【ロービジョンフットサル】岩田朋之 TOMOYUKI IWATA Vol.2「障がいがあっても、胸を張って生きる」
視覚障がいが正しく伝わっていない
——見た目ではわからない障がい者への理解や許容、認知というところをもっと高めていかなければいけないという意識なんですね。
東京の弱視学校の子どもたちを対象にキッズトレーニングをしたことがあったんです。それはブラインドサッカー協会のオフィシャルという形で行ったんですね。協会の職員のかたと、ブラサカ日本代表の黒田智成選手と僕でいきました。午前中は全校生徒を対象にオリパラ競技の黒田選手が職員の人とパス交換をしたり、ドリブルをしたり、それを全校生徒が囲んで見ているわけですよね。僕はそこで職員みたいな感じの紹介のされ方をして、まず自尊心が傷つきますよね。選手として行って、しかも日本代表のキャプテンとして行っているのにと思って。でも自分のやれることをやろうと思って、球拾いをしたりしていました。僕としては午後に弱視の子どもたち14、15人に会えるからもうそこだけでいいと割り切って午前中はやり過ごしました。
——まずブラサカとの扱いから差があったんですね。
それで午後になって黒田選手が冒頭20分くらい話をして、そのあとに体育館に移動してみんなで運動しましょうという感じでした。そのときにまったく僕が子どもたちに向けて話をする時間がもらえなくて、そこで黒田選手がさすがに「僕は全盲だし、子どもたちからしたら岩田くんの話を聞きたいはずだから」と言ってくれたんですね。それで選手間だけで打ち合わせして20分のうち5分間だけもらって話をしました。
——周りの大人たちは“パラリンピックの黒田選手”しか見ていなかったんですね。
話をしてから体育館に移動してまず全員にブラサカのアイマスクとボールを配って、黒田選手がデモンストレーションをするんですね。それでみんなアイマスクをした状態で片足ずつボールタッチしてみようと。でも普段あまり運動をしていない子どもたちなので、アイマスクをして片足立とかろくにできないんですよね。子どもたちは「できない」「難しい」「怖い」とずっと言っているんです。でも周りの大人は少しでもボールをタッチできただけで「すごい!できてる!」とまるで赤ちゃんがつかまり立ちができたみたいに褒めるわけですよ。僕としては百歩譲って、障がいがない人たちにアイマスクをさせてブラサカの体験というのならわかるんです。でもこの弱視の子どもたちに対して、それをやりますかと思ったんですね。全盲ではなく、弱視で見えているのに、それを奪ってやらせることに意味があるのかと思ったんです。でも「ぜひパラリンピックの黒田選手のプレーを体験させたいです」と、それで僕は家に帰って泣きました。
——ロービジョンの当事者として、ロービジョンフットサルの日本代表選手として納得できないですよね。
僕は筑波大の大学院に入った1年生の頃だったので、大学の研究室の先生にそのときのことを話したんです。そしたらこれは大きな問題で、あれだけ大きく取り上げられているブラインドサッカーで視覚障がいのことが正しく伝わっていなくて、周りの大人たちが選択肢を狭めているというのは、なんとかしなければいけない課題だと。だから岩田頑張れと言われましたね。
——それがあってよりロービジョンフットサルに対してスイッチが入ったわけですね。
やっぱりもっと正しく、より主張をしていかないとダメだなと思いましたね。誰かが声をあげなければいけないし、それを待っていても誰もやってくれないので、自分がそれを担おうという思いになりましたね。
Vol.1「ロービジョンフットサルとの出会い」
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https://ssn.supersports.com/ja-jp/articles/5fbcbd2d6243be7cca3dc9e2
Vol.3「本田圭佑が命を救ってくれた」
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■プロフィール
岩田朋之(いわた・ともゆき)
1986年1月17日生まれ。東京都出身渋谷区出身。趣味は、サッカー日本代表観戦、サーフィン。2012年夏に突然、レーベル病を発病し、急激な視力低下で視覚障害者となる。
同年10月、関東リーグの観戦をきっかけにロービジョンフットサルと出会う。2015年にロービジョンフットサル日本代表に選出される。F.C.SFIDAつくばを経て、CA SOLUA葛飾でプレーする。
https://twitter.com/tomozoo17
■クレジット
取材・構成:Smart Sports News 編集部
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