岩田朋之 TOMOYUKI IWATA Vol.1「ロービジョンフットサルとの出会い」

ロービジョンフットサルとの出会い

——それからまた大学に入学されたんですよね?

病気になってから理学療法士の国家資格を取るために筑波技術大学に入学したんですね。正直、なんでこんなところに来なければいけないんだ。なんで俺はこんな病気になったんだという思いがまだありました。その一方で、ここで大学を卒業せずに資格も取れないと本当に自分は何者でもなくなってしまうと思いました。一つひとつの授業、一つひとつの試験を大事にしましたね。ましてや単位を落とすなんてあり得ないと思いながらできる限り授業も取っていました。

——そこでロービジョンフットサルと出会ったんですよね?

そうですね。2012年の11月にブラインドサッカーの関東リーグを観に行ったときにロービジョンフットサルの存在を知ってからですね。ただ、当時は日本代表とか、今のように子供たちに教えたりとか、そんなことは全く考えてなかったですね。ただ、趣味としてサッカーができればいいかなと思って始めました。勉強ばかりじゃ疲れてしまうから気分転換ですよね。

——それから大学に入学してF.C.SFIDAつくばに所属されたわけですね。

2013年の4月に筑波技術大学の入学を機につくばに移って、それで大学を拠点にしているF.C.SFIDAつくばに所属するようになりました。文武両道というか、勉強と両立で誰にも文句は言わせないと頑張りましたね。そこでできた視覚障がいのある仲間とのフットサルをするのは新しい楽しみでした。

——視覚障がいのある人のサッカーにはブラインドサッカーもありますけど、そちらを選ぶ選択肢はありました?

ロービジョンフットサルならそれまで一緒にやってきたフットサルのコミュニティーの人たちともできるかなと思ったんですよね。それとレーベル病は母親系の遺伝なので、自分の子供には遺伝しないわけですよね。だからもし自分に子供ができたときに一緒にできるようにとなるべく健常者に近い方ということでロービジョンフットサルを選んだというのもあります。ルールも変わらないので。あとブラインドサッカーは全盲にならないと日本代表にはなれないので自分とは合わないというのもありました。それから関東リーグで実際にブラインドサッカーを目の当たりにしたときに、すごく激しくて怪我が怖かったんですよね。自分はまずは社会復帰を目指さなければいけないのに、サッカーで怪我をしている場合ではないなと思ってブラインドサッカーは選ばなかったというのもありました。

Vol.2「障がいがあっても、胸を張って生きる」
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Vol.3「本田圭佑が命を救ってくれた」
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■プロフィール

岩田朋之(いわた・ともゆき)
1986年1月17日生まれ。東京都出身渋谷区出身。趣味は、サッカー日本代表観戦、サーフィン。2012年夏に突然、レーベル病を発病し、急激な視力低下で視覚障害者となる。
同年10月、関東リーグの観戦をきっかけにロービジョンフットサルと出会う。2015年にロービジョンフットサル日本代表に選出される。F.C.SFIDAつくばを経て、CA SOLUA葛飾でプレーする。
https://twitter.com/tomozoo17

■クレジット

取材・構成:Smart Sports News 編集部

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