• HOME
  • 記事
  • その他
  • 東日本大震災から10年。諸橋寛子が訴え続ける「スポーツの持つ力」

東日本大震災から10年。諸橋寛子が訴え続ける「スポーツの持つ力」

日本スポーツ界は「競技一辺倒」から脱却すべき

──USFの活動は、2021年で10周年を迎えました。これまでの活動を振り返っていかがですか?

諸橋 私はUSFの活動を通じて、目の前の社会課題をハッキリと浮き彫りにできたと感じています。

それは、スポーツにおける教育格差問題や、スポーツ環境やコーチの地方格差問題などさまざまです。「こっちの大会には出られるけれど、こっちの大会には規定上出られない」という、大人が作った理不尽なルールで子どもたちがどれほど犠牲になっているかも目にしました。

私はどうやったらそれを解決できるのか、スポーツでいい国が作れるかを考え続けています。

そこで参考にしているのが、海外で成功している事例です。

例えば男子プロゴルフツアーの運営団体であるPGAは、「ファーストティー」という団体を立ち上げています。これはゴルフを通じて、リスペクトや感謝の心を学ぶというプログラムです。

NBAでも人格形成の研修プログラムがあり、それを受けないと試合に出られません。海外ではこうした取り組みを、ずっと前から実践しています。

海外では、プロとして人々に夢を見せる立場であるアスリートには人間性も求められるという姿勢で、教育を行なっています。勝つことは重要ですが、日本では「とにかく勝つ」という競技一辺倒の教育になりがちです。

私は海外の事例を、もっと日本に導入したいと考えています。そしてゆくゆくは、日本オリジナルのプログラムを作りたい。それが結果として、社会問題の解決につながると信じています。

若手がスポーツ現場でもっと輝ける環境づくりを

──これからの10年を見すえて、USFでどのような活動をしていきたいですか?

諸橋 これからの10年は、地方と中央の格差をなくすような教育普及や、日本独自の新しい教育モデルを研究していきたいです。

──先ほどのプログラミングキャンプとのコラボのように、クロスカルチャーしていくことで新しいものを生み出していけるかもしれませんね。

諸橋 そうですね。

社会ではよく「共生」が叫ばれているじゃないですか。しかし私は、スポーツの世界において不思議なことがたくさん起きていると感じています。

例えばバスケットボールの場合、5×5も車椅子バスケットボールも3×3も、すべて一緒の協会でいいじゃないかと思うんです。しかし、実際にはそうなっていません。

本来、スポーツは人種などあらゆる垣根を越えて共生できるものです。オリンピックとパラリンピックはもちろん、知的障害を持つ人々のための「スペシャルオリンピックス」だって、同じ枠組みで考えることができるはず。

私は、スポーツではなく人間側に問題があると考えています。人々が自ずと、スポーツに枠を設けているんです。

そうした枠組みを越えられるよう、まずは今後10年、目先の子どもたちの現状を変えるべく活動していきたいなと思います。

──日本におけるスポーツは、今後どう変わっていくべきだと思いますか?

諸橋 今ある既存の形をブレイクスルーして、エンターテインメントや他の産業との融合を図るべきだと思います。

もっとスポーツの敷居を低くして、誰でもアクセスできるようにする。

間口を広げて、既存の考え方にとらわれず、他の分野と融合する。

そうすることで、日本という国が本当の意味で豊かな国になるし、海外との新たなつながりも生まれると思います。

それをなし得るのは、スポーツに関わってない人材以外考えられません。

しかし日本のスポーツ業界は、既得権益が多すぎます。若手に決定権がなく、活躍できる場が少ない。

「人」こそがすべての資産です。もっともっと、20代、30代、40代の方々が活躍できる環境を作りたい。だからこそ、すでに業界にいらっしゃる方々には、若手とともに、今までにない新しいチャレンジを前向きに捉え、応援していただきたいです。

■プロフィール
諸橋寛子(もろはし・ひろこ)

スペシャルオリンピックス日本・福島 副理事長
一般財団法人脳神経疾患研究所 理事
NPO法人ファースト・ティ・ジャパン 副理事長

福島県いわき市出身。2011年3月東日本大震災後、同年9月に設立された一般財団法人UNITED SPORTS FOUNDATIONの代表理事に就任。スポーツを通して社会文化振興に対する貢献、スポーツ文化振興に対する貢献、将来を担う子どもたちに対する貢献を活動理念とし、福島県内で活動後、現在は全国でイベントを主催。

関連記事