• HOME
  • 記事
  • その他
  • フレスコボールとは何か? 澤永遼が語る「敵のいないスポーツ」の魅力

フレスコボールとは何か? 澤永遼が語る「敵のいないスポーツ」の魅力

今回はフレスコボール・澤永遼さんにお話を伺います。

フレスコボールはブラジル生まれのビーチで行うラケットとボールを用いたスポーツです。サッカー一家に生まれ育った澤永さんですが、神奈川大学在学中に留学先のブラジルでフレスコボールに出会い、現在は日本フレスコボール協会に勤務されています。選手としても世界選手権に出場するなど、様々な形でフレスコボールに関わっています。

フレスコボールのルール

・ペア競技ではあるが、「敵」はいない
・「パートナー」「味方」という概念
・ラリー回数やテクニックを披露し、採点が行われる
・制限時間は5分
・ペア選手同士の距離は7メートル
・大会ごとに、審判による加点がある

フレスコボールに出会うまで

——まず、フレスコボールについて知らない人も多いと思うので、簡単に教えてください。

ブラジル・リオデジャネイロのコパカバーナ・ビーチ発祥のラケットスポーツです。1対1で選手同士が向かい合い、この向かい合う選手は味方同士、すなわちペアです。このペアでラリーを行うのですが、制限時間内にそのラリーにおける技術やアクロバティックさを審判に評価され、得点が決まる採点競技です。

由来は、夕暮れ時に波打ち際で涼みながらテニスをするところから来ています。ラケットも当初は通常のテニスラケットを使用していたそうですが、潮で錆びてしまうので木で作られるようになりました。

現在は一般のビーチ利用者にボールが当たってしまう可能性があり危険なため、現地では波打ち際でやることが時間帯により禁止されています。その代わりに特設コートが作られ、そこで思う存分楽しめるようになっています。

涼みながらやっていたくらいのスポーツなので、現地では競技というよりはレジャーとしても親しまれています。フレスコボールは「ブラジリアン羽子板」であると考えて頂ければ分かりやすいと思います。そう話すと今までスポーツをあまりやってこなかった人にも興味を持ってもらいやすいです。

フレスコボール

——ありがとうございます。それではフレスコボールに至るまでの澤永さんのスポーツ経歴を教えてください。

僕は3人兄弟の末っ子なのですが、父と母を含めた家族全員が何かしらサッカーに関わってきた家庭です。今はもう退任しましたが、父は中学のクラブチームの監督、母は地元・富山出身の柳沢選手が所属していたJリーグ・鹿島アントラーズのファン、兄と姉もサッカーをやっていました。

必然的に僕も小さな頃からサッカーボールに触れていて、家の中でボールを蹴って障子を破り、よく怒られていました(笑)サッカーだけでなく、野球やバドミントンなどをして家族でよく遊んでいましたね。スポーツのある生活、それが僕の幼少期の日常生活でした。

しかし、小学校低学年の時に病気で入院していた時期があって激しい運動ができず、結局僕自身がサッカーを始めたのは高学年になってからのことです。通っていた小学校にあったサッカーチームは朝練習がメインで、朝は6時に集合しなければならず、練習メニューも走ることが中心でした。

——小学生にはなかなかハードですね。

そのような生活を送っていたところ、ある日の朝練習後に目眩がして保健室に行くことがありました。その後も3、4日同じ症状が続くので、病院に行ったところ起立性低血圧と診断されました。目眩は朝のまだ血の巡りが悪い中で急に運動したことによって起きたものでした。

結局小学校ではサッカーを半年ほどしか続けられず、中学校に上がってから父のクラブチームで本格的に始めることになります。当初は小学校のクラブ活動でやっていた卓球を部活でやることも考えたのですが、友人から誘われてサッカーを選択しました。

高校は工業高校に進学しました。学力的には他の学校に行くことも可能でしたが、父の知り合いだったサッカー部の監督の熱い想いと、元々考えていた進学重視の高校と同様レベルの大学への進学も見込めることからサッカーの面、勉強の面でも惹かれて入ることを決めました。この決断は僕にとっては1つの分岐点になったと思います。

それは高校時代のコーチから今でも大事にしている2つの言葉をもらったからです。1つは「大きなことを成し遂げるには、小さなことがらコツコツと」というものです。特にうるさく言われたのが部室の掃除と道具の管理です。そういった細かいところからしっかりやることが結果に繋がってくると学びました。今でも大事にしています。

もう1つは「練習試合と公式戦、違うのは名前だけだ」。重要度という観点から考えれば、もちろん異なります。しかし、いかなる試合であっても結果を求めて手を抜いてはいかず、負けてもいい試合なんて1つもありません。物事の大小に捉われずに全力で取り組むことが大切である、ということです。この2つは僕の人生においても重要な教訓になっています。

——高校時代はサッカーに打ち込み、その後どのような進路を選ばれたのでしょうか。

高校時代からスポーツと高校で学んできた工学を結びつけるようなことを探していましたが、なかなか見つからず、受験もうまくいかなかったので1年間の浪人生活を経て、進学のために関東に出てきました。ただ進学したのはスポーツとは関係ない、神奈川大学外国語学部スペイン語学科です(笑)。

——目指していたスポーツとは全く違う分野ですね。

スポーツを学ぶのであれば日本ではなく、事例の多い欧米やアメリカなどの海外で学んだ方がいいとは思っていたので、語学の勉強をしておけば将来的に役立つだろうと考えました。それで特に当時サッカーが強かったスペインを選びました。バルセロナにヨハン・クライフ国際大学というのがあって、そこでスポーツについて体系的に学びたいなという思いもありました。

澤永遼

ブラジルでのコンフェデレーション杯開催時期に現地へ

関連記事