
輝きを放つアスリートたちは、どのようにして頂点を極め、そのときに何を感じ、そして何を手にしたのか—— 。
自身もプロゴルファーとして活躍している深堀圭一郎が、スポーツ界の元トップ選手や現役のトップ選手たちをゲストに招いて、アスリートたちの深層に迫る、BS無料放送『クロスオーバー』連動企画のテキスト版。
そこから垣間見えてくる、ゴルフにも通じるスポーツの神髄とは? 第5回目のゲストは有森裕子さん。
※敬称略
生きるための手段として「走ること」を選択!
深堀:今回は、日本女子マラソン界の礎を築いたレジェンド、有森裕子さんにお話を伺っていきたいと思います。有森さんは、現役を引退されてからは、どのような活動をされているのでしょうか?
有森:一番大きいものとしては「スペシャルオリンピックス日本」があります。私が理事長を務めさせていただいているのですが、これはスポーツを通して知的障害のある方々の自立と社会参加を促進し、豊かな生活が送れるように応援する国際的な組織です。さらに「スポーツを通じて希望と勇気を分かち合う」ことを目標にしたNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」の活動にも20年以上携わっています。たとえば、現在はカンボジアで体育教育が実現できるカリキュラムの作成や指導者の育成などを行っていますね。
深堀:障害のある方々の自立支援や、海外における教育支援など、活動の幅が広いのは素晴らしいことですね。有森さんはマラソンランナーとして輝かしい実績を残されていますが、中学校まではバスケ部に所属していたと聞きました。バスケットボールとマラソンは、かなり異なると思うのですが、ランナーの道を選んだ理由は何だったのでしょうか?
有森:バスケットボールは好きでしたが下手だったんです(笑)。そんなときに、チャンスが巡ってきたのが運動会の800m走でした。体力的に辛い競技で人気がなく、出場枠が空いていたんですね。当時「何か自分にできるスポーツはないか」と探していたので立候補。走ってみたら自分のなかで「コレならできるかも!」という感覚が芽生えたんです。そして、高校生の頃から本格的に陸上競技を始めましたが、名門校でしたから最初は陸上部に入部すらさせてもらえなかったんです。それで、押しかけて何とか入って…見様見真似で走り方を覚えました。とにかく、自分の存在感が薄かったので「私を見て!」みたいに人の前へ自ら飛び込んでいきましたね(笑)
深堀:そんなとき別競技が頭に浮かんだりはしませんでしたか?
有森:当時は自分が始めたことを「やり遂げる」思いの方が強かったですね。走ることを好き嫌いで判断しなかったのもよかったと思います。私の場合、陸上競技が大好きだったわけではなく、むしろ「この競技で何とかしなければ」という気持ちの方が強かったでんす。
深堀:大好きではないことを、突き詰めていけるのは、ひとつの才能だと思います。僕の場合はゴルフが大好きという人生ですから。
有森:私の場合、好きという感覚ではなくて「生きるための手段」という感じです。自分が自信をつけるために出合ったものなので、走ることに対して「好き」や「嫌い」という感情を向けたことがないんですね。
深堀:有森さんは、1990年の「大阪国際女子マラソン」で6位に入り、翌年の同大会で当時の女子の日本最高記録で2位になっています。この時期に一気に才能が開花した印象ですが理由は何だったのでしょう?
有森:圧倒的な練習量と悔しさです。とにかくタイムの更新と必死に向き合いました。私は日本体育大学卒業後にリクルートの実業団に入ったのですが、当時の小出義雄監督が出すメニューが本当にすごかった。朝から晩まで練習漬けで、走り込みも想像を絶する距離でした。当時、女子選手は「あまり長い距離を走らせてはいけない」という暗黙の了解があったのですが、小出監督は「それでは世界を目指せない」と声を上げ、長い距離を走る練習が増えたんです。
深堀:具体的には、どのぐらいの距離を走られたのでしょうか?
有森:現在では一般的な練習量ともいえますが、朝に15~20km程度、午後に約20kmで一日40kmらい走る感じです。これをほぼ毎日繰り返しながら、距離を少しずつ伸ばしていく。練習が終わると「気持ちいいぐらい」疲れていました。自分がやれると信じることに没頭できる毎日でしたから、ある意味、贅沢な時間だったと思います。
深堀:小出監督に「実践すべきメニュー」を明示されて「やりやすい面」があったのかも知れませんね。
有森:そうですね。きちんとしたメニューが出てくるので、あとは内容に納得して実践するだけですから。
深堀:内容について、監督に意見をいうこともあったのでしょうか?
有森:メニュー自体を変えるつもりはないのですが「なぜこの内容なのか」については監督に聞いていました。やはり、実践する意味を理解してから練習した方が身につくと思いますね。
深堀:練習の意味を理解していることは大切なことですね。
レース当日に起きることを自分の味方にして力に変える
深堀:オリンピックについてお伺いしていきます。有森さんは1992年のバルセロナ五輪で銀、1996年のアトランタ五輪では銅と2大会連続でメダルを獲得されました。メダルを手にしてから次のオリンピックまでは長く感じるでしょうし、足の怪我などもされて大変だったと思うのですが。
有森:私は「メダルを獲得すること=その後を輝かせることができる」と考えていました。そして、銀メダルがとれたときは喜びに満ちあふれていたんです。しかし、その後に訪れたのは自分の価値観が変わるほど考えさせられる時間でした。実際に、追い求めたい理想の走りがあって「こういうトレーニングをしたい」などの希望をいっても「天狗になっている。わがままだ」みたいな言葉しか返ってこなかったんです。むしろ結果次第では、年齢を考慮して引退する、みたいな雰囲気でしたから。
深堀:まだ、日本のスポーツ界が成長し切れていない時代だったように感じます。アトランタ五輪にも出場し、銅メダルを獲得。そのとき「初めて自分で自分を誉めたい」という名言を残されましたが、どのような心境だったのでしょうか?
有森:あの言葉には、前置きがあるんです。最初にコメントを求められた際に「今回は銅メダルかもしれませんが、なぜもっと頑張れなかったのか、という走りだけはしたくなかった」といったんですね。そのとき、レース全体の流れを思い浮かべ「どこも手を抜いていないし、自分にできることは全部やって想像以上に踏ん張った」と感じました。さらに、オリンピックの舞台に戻って来られるとは思っていなかったので、すべての面でパーフェクトだと。自分が歩んだ時間に対し「よくできた」という気持ちが生まれ、あの言葉が出たんです。
深堀:有森さんは「大舞台でも力を100%以上発揮できる能力がある」と小出監督がいっていましたが、ご自身はどう思われますか?
有森:私はレース当日にネガティブなことを考えません。理由は日々の練習より試合当日の方が楽しく感じるからです。レースには応援してくれる方もいますし、給水もあって至れり尽くせり。しかも、1本のレースを走れば終わります。練習は毎日ですけど(笑)
深堀:マラソンで走っているときは、どんなことを考えているんですか?
有森:まず、スタートラインに立つと「ここから先はなるようにしかならない」と思います。次に5~10kmぐらいまでは「レースのペース」というか全体の流れを考えます。自分の体の状態(軽いか重いか)を見極め、ポジションを少し前にしよう、などペース配分を決めるんです。そして、20kmを超えるあたりから体が徐々に動くようになる。練習の成果が大きく出てくるのは30km以降。走っている最中は常に「自分との対話」があり、発生することに順応していく感じです。辛くなると、今までの練習のことが頭に浮かびますね。また、沿道に協力してくれた方の姿が見えたときは「感謝」の気持ちも大きくなります。
深堀:「自分と対話する」というのはゴルフも同じですね。歩きながら自分の気持ちやコンディションを整えたり、攻め方を考えたり。
有森:ゴルフもメンタルが影響するスポーツですよね。ゴルフとマラソンが似ていると思うのは、確定要素がない点ですね。例えば、同じゴルフ場でも季節によりコンディションが変わりますし、一緒にプレーするメンバーの影響も受けます。この辺はマラソンも共通していて、レース当日に起きることを自分の味方にして力に変える必要があるんです。
深堀:有森さんはプロ意識が高いと感じますが、アトランタ五輪後に「プロ宣言」をされたときの心境はどうでしたか?
有森:これが「私の生きる道」だと思っていました。プロとしての最初のレースはボストンマラソンで3位に入賞したのですが、賞金を公式にいただけたときは「プロであること」を実感できましたね。トレーナーさんや練習パートナーさんに賞金を振り分けているときも「プロランナーの生活」というのをリアルに感じました。厳しい環境でしたがすごくやりがいがあり、うれしかったですね。
深堀:有森さんにとってプロフェッショナルは、どんな存在だと思いますか?
有森:自分の持っているもので生活が組み立てられて、周囲に対しても価値をきちんと落とし込める仕事をしていることだと思います。そして、レベルを落とさずに高い位置で継続しながら価値を継承できて、自分自身の生活も成り立っていることがプロという存在ではないでしょうか。
深堀:まさに、その通りだと思います。
走ることで気付きが生まれ頭の中も整理されていく
深堀:有森さんに現役引退後について、お伺いします。有森さんは、解説者としてシドニー五輪で高橋尚子さん、さらにアテネ五輪では野口みずきさんの金メダルを見届けておられます。メダリストのすごさは、どんな部分にあると思いますか?
有森:自分が実践していることに対しての「こだわり」や「しつこさ」などが、ほかの選手とは大きく違うと思いますね。
深堀:プロゴルファーにも個性があり、そのうえで「よいと感じること」を取り入れていく選手は強いですね。反対に「いわれたこと」を何となく行う選手は、ある程度伸びても途中で成長が止まってしまう印象があります。
有森:私の場合は、とにかく自分が実践することに対して「しつこかった」ですね。すべてに対して本気というか必死でした。それが相手を動かして惹きつけたのだと思います。また、女子のマラソン選手の場合は監督の指導法も非常に大切です。そして、選手は一番大事な場面では監督に「いわれたこと」を素直に聞ける心も必要だと思います。そういう意味では、賢さも求められますね。
深堀:確かにトップアスリートの方々は、みなさん賢いですよね。有森さんは近年、競技の指導や普及などにも尽力されていますが、選手の育成はどのように考えていますか?
有森:まずは子供たちがスポーツを通じて「生きる力」を養うのが大切だと考えています。今は競技人口も低年齢化して世界的なジュニア大会に出場する機会もありますから、なぜスポーツが必要で頑張らなければいけないのか、その意味をきちんと教えてあげるべきだと思いますね。さらに、基礎体力も身につけなければいけません。私が子供のころは、普段の生活の中に山や谷があって、自然と基礎体力が鍛えられました。しかし、今の時代はそのような環境が少ないのが実情で、結果的に身体機能も衰えがちです。将来の競技選手の道を開くためにも、子供のころに基礎体力をしっかり身につける必要があると感じます。実際に、子供のころに基礎体力を磨かないと怪我をしやすいため、練習量も増やせません。今スポーツの現場で、これが指導者の大きな悩みになっているんです。練習で追い込むと怪我につながるため、監督やコーチから出されたメニューを選手がこなせない。結果的に「できること」だけ行うことになります。本来の練習は「できない部分」を「できるようにする」ものですから、これでは大きな成長につなげるのは難しいと思います。
深堀:やはり、基礎体力を養っておくことは重要ですね。有森さんは、子供のころから目標を「目より少し上の眉あたり」という手が届く範囲に設定し、ひとつずつクリアしてきたと聞きました。この考えは、どこから生まれたのですか?
有森:基本的には「目の前のことを全力で行う」スタンスです。手を抜くという言葉は、自分の中にはありませんでしたし、今やるべきことを「一生懸命に頑張る」という気持ちですね。両親の生き方もそうでしたから、影響を受けているかも知れません。特に母は厳しかったですね。
深堀:ご両親の教育方針もすごく大切ですよね。改めて伺いたいのですが、有森さんにとって「走ることの魅力」とは何でしょうか?
有森:そうですね。自分の足で走ることで、車や電車による移動では気づかないものが数多く見えてくるんです。いろいろな物や景色を見ても「それに対して自分がどうか」という視点になります。「自分自身の発見」ですね。メンタルや体調などさまざまな面での気づきが生まれ、頭の中も整理されます。もし、走るのが苦手なら、最初は「お茶を飲みに行く」など、目的地を決めるといいと思います。次に歩いても構わないので「その場所」を目指しましょう。すると、歩くことにイライラしてきて「早く行きたい」と、自然と走り始めます。疲れたら途中で休んでもOKですし、目的地に着いたら電車で帰宅して構いません。行く場所を変えながらこれを繰り返すと、走る距離が少しずつ伸びて「どれだけの速さで行けるか」という面白さも生まれます。いずれにしても、走ることを通じて「楽しいと思える範囲」で実践することが大切だと思います。
深堀:確かに走ると頭の中が整理されたりしますね。僕もランニングは得意ではありませんので試してみたいと思います(笑)
スポーツから得たものが自分自身を育んでいく
深堀:有森さんにご自身のこれからの夢のこと、そして子供たちのスポーツへの取り組み方などについて、伺いたいと思います。有森さんは中学生までバスケットボール、その後に長距離ランナーに転向されています。僕はいろいろなスポーツを少年少女期に経験することが大切だと思うのですが、有森さんはどのようにお考えですか?
有森:五感を広く働かせる、そういう基礎的な部分や動きは成長してからは固まっていくと思うんですね。ですから、欲をいえば小学生になる前から、さまざまな発想を持ちながら動きをイメージして日常を過ごすことが必要です。私もキッズキャンプを主催していますが、そこではいろいろな種目に挑戦するんです。基本的に子供たちからは種目を選べません。たとえ苦手でも、先生が来たら必ずトライする。上手くいかなくてもいいんです。そのときに「上手い人はなぜできるのか」を考えることで、別の気づきや動きが生まれたり、それが「頑張り」にもつながります。結果的に、何をしても大切なことが身につくわけです。そういうことを教える機会としても、スポーツは本当に素晴らしいと思います。
深堀:自分のセンサーを敏感に保つことは大切ですね。いろいろなことにチャレンジして目や肌で感じて「今の感覚が何か」という点を自分でしっかり理解することが必要ではないでしょうか。さて、最近はさまざまなスポーツで競技寿命が長くなる傾向にあると思いますが、それに比べると陸上競技は引退が早いように感じます。有森さんは子供たちだけでなく、引退後のアスリートの活動支援にも力を入れているそうですね。
有森:アスリートの方々がよくいうのが、例えばゴルフの選手なら「自はゴルフしかしてこなかった」という言葉。しかし、ゴルフをしているときに多くのことを学んでいるはずですし、ひとつでも極められるだけで実はすごいことなんですね。それを競技以外で活かせるのもスポーツのよさだと思います。私もそうですが、技術以外のところで、自分自身を育んでくれるんです。選手として生きることの大切さ、食の大切さ、勝ち負けの大切さ、生きていくうえで必要なことを学ぶ機会に溢れています。そして、勝者は弱者への思いやりなども理解するようになりますし、チームワークから生きていくために必要なコミュニケーションの取り方が学べます。スポーツのルールは日常生活における社会の決まりを守ることにもつながるんです。私の場合はアトランタ五輪が終わったときに、ある方から「今度は世の中の人たちを元気にして欲しい」という依頼で、初めてカンボジアに行ったんですね。当時、カンボジアでチャリティーマラソンがスタートして、地雷被害で手足がない人たちに義手や義足のサポートをしたり、地雷撤去を支援するという話がありました。そこにランナーとして、ジョインさせてもらったんです。1年目は「こんなことができるんだ」という感じで終わりましたが、翌年は状況が大きく変わっていた。マラソン大会に興味がない感じだった子供たちが、1年目に私たちが持参したTシャツを着てすごくうれしそうに練習していたんです。当時は、カンボジアの政局が不安定な状況でしたから、それを見たときに「すごい!」と思いました。本当にスポーツをやってきてよかったと。これ以降、スポーツを通してカンボジアと交流しようとスタートしたのがNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」の活動なんです。スポーツで名を成した人が、引退後にできることは山程あります。その人が持つ影響力をいい意味で肯定して、活躍して欲しいと思いますね。
深堀:最後に、有森さんの今後の夢は聞かせてください。
有森:知的障害のあるアスリートが、スポーツを通して社会参加することを支援していく「スペシャルオリンピックス日本」の活動にも力を入れていきたいと思っています。そして、常にスポーツを通して社会的に意義のあることを見つけていきたい。このような役割を持てる人は私以外にも数多くいると思いますから、そういった流れも止めたくないですね。
深堀:有森さんの実践している意味を理解して、それを後につなげていくことはすごく大切なことだと思います。今回は、お忙しいところ本当にありがとうございました。
▼有森裕子/ありもり・ゆうこ
1966年12月17日生まれ、岡山県出身。女子マラソンでバルセロナ五輪は銀メダル、アトランタ五輪では銅メダルを獲得。「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。
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