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賢人に聞く『国枝慎吾選手へ最初に教えたのはフォークとナイフの使い方‐テニスコーチ_丸山弘道』

現在、日本のトップテニスプレーヤーといえば錦織圭選手だろう。しかし、その前から世界の舞台で活躍し続けている選手がいる。車いすテニス選手の国枝慎吾選手だ。世界最高峰・グランドスラムにあたる4大大会をシングルスで20回、ダブルスで20回制覇。その国枝選手を育てたコーチが丸山弘道氏である。

夢へ向かうことに近道も遠回りもない

当初、車いすテニスにはまったく関心がなかったという丸山弘道氏。

「私は初め、健常者のテニスにおけるジュニア育成をメインに指導していましたが、ある日、アトランタ、バルセロナパラリンピックに出場した大森康克選手から指導を依頼されたのです。車いすテニスはルールから違うので断りましたが、繰り返しお願いに来るので、次第に私はこの人と縁があるのかもしれないと思った。そこで、コーチではなく練習相手を引き受けることにしたのです」

これが縁となり、自らの意思とは裏腹に山倉昭男選手、斎田悟司選手を指導。

「私は常識を疑い、“できる”前提で入っていきます。勝ちたいならそういう部分からやっていくことが必要だということです。同時に、いかに車いすテニスを健常者のテニスに近づけていくか、というのが私の指導のテーマだともいえます」

例えば、世界で斎田選手を勝たせるために車いすの操作技術を上げて、ツーバウンドで拾っていたものをワンバウンドで返していった。早く打ち返すことができれば相手の時間を奪い、自分の時間を作ることにつながる。また、車いすテニスのダブルスは2人の選手両方がコートの後方から打ち合うというのが一般的だったが、健常者のテニスと同じように前衛と後衛に分けた。世界でも初めての試みだった。

そして、世界のトップに上り詰めることになる国枝慎吾選手と出会うことになる。

「当時、私がジュニアコーチを勤めていた施設に練習に来ていたんですね。彼はまだ17歳でした。そのとき、私は彼に“キミは世界のトップレベルにいくと思う。どうせやるならスターになるためにカッコよくやろう”といいました。たとえ伊達(だて)でもいいから、格好よくないとスターにはなれないと思ったからです」

最初に指導したのはフォークとナイフの使い方というから驚きだ。

「トップ選手になれば、すごい人が集まるパーティーに出席することも出てくる。これは斎田選手とつき合う中で感じ取っていたので分かっていました。彼らは体のバランスをとるのが難しく、食事をする時に肘をつきやすい。それではまずいのです。コート上だけのことしかうまくやれないのでは通用しません。

もともと私はコーチとしてプロを育てたいのではなくて、生涯を通じてテニスを楽しみ、その人にさまざまな意味で豊かに生きていただきたいと思っていました。それをゴールとして考えていたのです。たまたま今はより競技性の高い部分で指導していますが、根本的な考え方というのはそこにあります。それは国枝選手も同じで、人間力を育てるところから始め、私も彼らとともにその力をつけていきました。もちろんコート上の勝負で最後に物をいうのは“体”なので、練習を通して鍛えていくということは当然やっていく必要がありますが」

今、テニスコーチは減ってきているという現状を憂いている。

「体を使う、きつい仕事ですから。でも、指導者が育ってくれないと日本のトップ選手が逆輸入ばかりになってしまうかもしれません。私の姿から夢と希望を若い指導者には与えたいですし、パラスポーツを教えることだけで生活していけることを見せていきたい。

私は現在、大阪体育大学の大学院にも行っています。そこでは大学に対し、もっと現場に学生を出すことを提言しています。学生のうちから実戦経験を積ませ、卒業後に即戦力となれる人材を育成することこそが体育大学の強みになると思います。それは今までのコーチとしての経験や指導者育成の観点から、選手の適正を早く見極め、生かしてあげられる人材を増やしていきたいという思いがあるからです。

私は達成できない夢はないと思っています。夢へ向かうことに近道も遠回りもなくて、“やる”ということはすべて近道です。そして達成するまでやり続けることが大切だと若い人たちには伝えたいですね」

▼丸山 弘道(まるやま・ひろみち)

1969年7月20日生まれ。明治大学卒。10歳よりテニスを始め、学生時代にはインターハイ、インカレに出場。大学卒業後は会社員を経て、吉田記念テニス研修センター(TTC)でテニスコーチを始める。ジュニアの育成と並行して車いすテニスの指導にあたり、斎田悟司選手、国枝慎吾選手など世界トップクラスの選手を輩出。 TTC離職後は名古屋グリーンテニスクラブディレクターを務めた。現在は株式会社オフィス丸山弘道を設立し、国枝慎吾選手や三木拓也選手を指導する傍ら、競技の普及発展に尽力している。

▼協力:AZrena(アズリーナ)
※詳しい記事はAZrenaの公式サイトでご覧ください。
>> 「世界の国枝」を育てた名伯楽。共に掴んだ頂と指導者としてのあくなき挑戦

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