
男子ハンドボール日本代表のキャプテンとして東京五輪に出場し、Tik Tokクリエイター「レミたん」として560万人のフォロワーを持つ(※2022年3月30日現在)異色のハンドボール選手・土井レミイ杏利。
人気と実力を兼ね備え、常に「前向き」な発信を行う彼は今年、初の著書となる『レミたんのポジティブ思考 “逃げられない”なら“楽しめ”ばいい!』を発売した。
同書には自身の生い立ちから東京五輪、代表引退までの競技人生はもちろん、「レミたん」としてSNSの世界で爆発的な支持を得ることになった経緯まで綴られている。
しかし、順風満帆に思えるその競技人生にも、大きく暗い影を落とす出来事があったことをご存じだろうか──。
土井自身が「人生で一番つらかった」と語るその経験こそ、異国の地で受けた壮絶な「人種差別」だった。
(引用:レミたんTikTok)
■目次:
・現役引退→まさかの復帰を経て
・フランスで体験した壮絶な差別
・自宅で包丁を持って立ちすくんでいた
・涙をボロボロと流しながらチームメイトに訴えた
・人種差別を克服したレミたんからのメッセージ
現役引退からフランスでまさかの復帰
土井は現在、日本ハンドボールリーグに所属するジークスター東京でプレーしている。しかし、2018年までは世界トップレベルのフランスリーグで、唯一の日本人選手としてプレーしていた。
フランスに渡ったのは2012年のこと。日体大を卒業した土井は当時、両ヒザに大きな故障を抱えており、大学卒業を機に現役引退を決断。「選手」としてではなく「語学留学」で父の祖国での生活をスタートさせた。
ある日、ホームステイ先でできた友人からジョギングに誘われて少しだけ走ってみると、なぜかヒザの痛みが消えていた。
「ハンドボールをあきらめた理由でもあるヒザの痛みが消えて、『もう一度、ハンドボールがしたい!』という衝動にかられました。すぐに地元のチームに連絡をして、『どのカテゴリでもいいから練習させてほしい』とお願いしたんです」
最初は、「趣味程度でいい」と思っていた。
しかし、ヒザの痛みが消え、いざ地元のクラブでプレーをするといきなりの大活躍。シーズンを終えるころには所属していたクラブのトップチームから「プロ契約」を打診された。
「トップチームには北京、ロンドン五輪で連覇を達成したフランス代表の選手が何人もいて、そこでプレーできるというだけで夢のようでした。もともと“あきらめていた”ハンドボールだったのでプレーするだけで楽しかったし、プレッシャーもまったくありませんでした」
一度は現役を引退して留学したフランスで、気付けば世界トップレベルのクラブでプロ契約……。まさに“シンデレラストーリー”だったが、トップチーム昇格後に大きな挫折が待ち受けていようとは、土井自身も思いもしなかった。
フランスで体験した壮絶な人種差別
「当時の僕は、まだフランス語をそこまで理解できていませんでした。それでも、少しずつ勉強してチームメイトとも徐々にコミュニケーションがとれるようになってきました。ただ、言葉を理解できるようになって、初めて気付くこともあって……」
トップチーム昇格後、土井はチームメイトから事あるごとに「シントック」と呼ばれるようになった。最初はどんな意味かも理解できずに受け流していたが、実はこの言葉は中国人などのアジア人を軽蔑するときに使われる、フランスのスラングだった。
「フランス人からすれば、アジア人は全員が中国人という感覚です。そして、その一番汚い言い方が『シントック』。チームにアジア人は僕一人だったので、僕だけが毎日みんなから『シントック』と呼ばれ、馬鹿にされるようになりました」
島国の日本ではあまりなじみがないかもしれないが、当時のフランスでは、こういった「人種差別」が日常的に行われていたという。
「日本では最近、『誰も傷つけない笑い』が主流になってきていますよね。ただ、少なくとも僕がいたころのフランスはそれとは真逆。人種差別に代表される、相手をディスるブラックジョークが笑いの主流でした。彼らにどの程度の『悪意』があったのかは分かりませんが、日常的に差別用語を浴びせられ、少しずつですが精神がすり減っていきました」
人種差別の渦は、チームメイトだけでなく、ファンにも伝染する。
「僕が所属していたシャンベリというチームはフランスでも伝統のあるクラブ。だから、そんなところにヘタクソなアジア人が入団して、誇りを汚されたような気になったのかもしれません。気付けば試合でも誰も応援してくれないし、コート上ではパスも回ってこなくなりました」
自宅で包丁を持って立ちすくんでいた
毎日のように差別的な言葉を浴びせられ、追い詰められていった土井はある日、自分でも想像していなかった行動に出てしまう。
「自宅で、気付いたら包丁を持って立ちすくんでいました。誰かに向けようとしたのか、自分に向けようとしたのかは今でも分かりません。我に返ったときは尋常じゃないほどの汗が噴き出て、頭を抱えて震えていました。そのときです。『このままじゃダメだ。俺が変わらないと終わってしまう』と思ったのは」
遠く日本から単身フランスにやってきた土井は、そのとき初めて「チームメイトを敬い過ぎていた」ことに気付いた。大学を卒業したばかりで、日本代表での経験もない。そんな自分が金メダリストを相手に意見をするなんておこがましい……。そんな呪縛を、自らにかけてしまっていた。
「日本の『相手を敬う』文化は素晴らしいと思います。ただ、フランスではそれだけではダメでした。相手をリスペクトする前に、まずは自分をリスペクトする。自己主張の強いフランスでは、『何も言わない』は『何も考えていない』『何も感じていない』と同じこと。僕自身、周りから差別的な言葉をかけられても『ここで怒ったら雰囲気が悪くなる』と思い込んでしまい、はっきりと相手に『NO』を伝えることができていなかった。もちろん、差別している側のほうが悪いに決まっているので、本当なら周りが変わらなければいけないのは分っていました。でも、他人を変えることってそんなに簡単じゃない。だから、自分が『変わろう』と決意したんです」
「このままでは終わる」——。そう考えた土井は、まずチームメイトへの態度を変えることから状況を打開することにした。
「たとえば、いつものように『おい、シントック』と言われる。そんなとき、僕も相手に対してブラックジョークで返してみる。すると、『お、お前、言うようになったじゃないか』となるんです。そもそもブラックジョークが主流の文化なので、それで雰囲気が悪くなることはありませんでした」
土井自身の変化で、チーム内の雰囲気も少しずつ変わっていった。ただそれでも、人種差別が完全になくなることはなかった。
涙をボロボロと流しながらチームメイトに訴えた
そんなある日、事件が起こる。
「チームのSNSに試合結果が出ていて、僕の個人成績が間違って記載されていたんです。当時の僕はとにかく『結果を出して認めてもらう』ことを考えていたので、自分のFacebookで『この記載は間違っています』と投稿したんです」
これに、チームメイトのひとりが反応した。投稿の翌日、強い口調で「なんで自分の成績なんて気にしているんだ?チームのことの方が大事だろ!」と土井を責め立てたのだ。
その瞬間、土井のなかでなにかがブチッと切れた。
「お前ら、毎日俺のことを『シントック』と罵っておいて、なんでチームのことを考えろとか言えるんだ?俺が一体、なにしたっていうんだよ!」
今まで抱えていたストレスがあふれ出し、涙をボロボロと流しながらチームメイトに訴えた。
その日を境に、人種差別はピタリとやんだ。
「最初は腫物を触るように誰も話しかけてこなくなりました。それはそれで嫌なので、僕のほうから冗談めかして『この雰囲気はさすがに嫌だ』ということもみんなに伝えました。そこからは多少のブラックジョークはありましたけど、僕の本心は理解してもらっていたので、お互いの感情は全く違いました。当時、毎日のように僕を『シントック』と呼んでいた一人の選手は、今では僕の親友です(笑)」
人種差別を克服したレミたんからのメッセージ
異国の地で壮絶な人種差別を受け、それを克服した土井は改めてこう感じたという。
「フランスでは『自分を出すことで相手に認められる』ことを学びました。日本では海外ほど人種差別が身近ではないかもしれないけど、いじめや自殺の多さは大きなニュースになります。もちろん悪いのは加害者ですけど、自分を守るためには、自分自身を認めてあげる必要がある。もし今、何かに追い込まれている人がいるとすれば、『どれだけ周りに否定されても、自分だけは自分を肯定してあげて』と伝えたいです。どんな人にも無限の可能性がある。そのことに、一人でも多く気付いてほしいです」
常に「ポジティブ」な投稿を見せてフォロワーを楽しませている“レミたん”こと“土井レミイ杏利”。しかし、その裏には大きな挫折と傷を負いながら、「思考」を転換することで乗り越えた過去がある。
傷ついたことがあるからこそ、その発信が、多くの人々の心を打つのかもしれない。
土井レミイ杏利『レミたんのポジティブ思考“逃げられない”なら“楽しめ”ばいい!』(日本文芸社)
■プロフィール
土井レミイ杏利(どい・れみい・あんり)
1989年9月28日生まれ、32歳。千葉県出身。フランス人の父と日本人の母の間に生まれ、小学3年生の時にハンドボールを始めた。全国でも屈指の強豪校である浦和学院高校へ進学し、大学も全国トップの日本体育大学へ進む。その後、語学留学を目的にフランスへ渡り、2012 年に1部リーグに属するシャンベリ・サヴォワ・ハンドボールのセカンドチームの練習に参加。同チームのトップ昇格を機にプロ契約を結ぶ。2014-15シーズン序盤からスターターに抜擢されると、驚異のシュート成功率75.61%を記録し、チームをリーグ4位、EHFカップ出場権獲得に導く。2017年2月にパリで開催された「ハンドスターゲーム2017」の外国人国籍選抜チームとして、日本人ハンドボール選手史上初の出場を果たす。6シーズン、フランスでプレーした後、2019年7月より日本ハンドボールリーグに所属する大崎電気OSAKI OSOLにてプロ契約。2年間プレーし、2021年5月にジークスター東京へ移籍。東京2020大会をもって、ハンドボール現役日本代表を引退した。ハンドボール以外でも多彩な才能を発揮し、ダンス、楽器演奏、マインドフルネスなど様々な趣味を持つ。TikTokのフォロワーは、560万人(2022年3月30日現在)を超え、TikTokクリエイターとしても注目を集めている。
TikTok(560万人):@anriremi
Instagram(42.2万人):@remianri
Twitter(2.6万人):@remianri
公式ホームページ:https://anridoi.com
■関連記事
- 「競技無視」でフォロワー500万人。土井レミイ杏利が示した令和時代の選手像
- 参入枠上限なし。降格なし。新ハンドリーグは他リーグとどう違う?
- 革命的、2024開幕構想。ハンドボールが選んだ「第3世代」のプロリーグ
- 「エントリオ」がすごすぎる……!最新型コンパクトアリーナのポテンシャルとは?
- 太田雄貴の危機感。「スポーツのライバルは、他の娯楽です。他競技ではないんです」
- スポーツ界のアベンジャーズが明かすハンドボールリーグのビジョンとは
- 改革者・葦原一正が思い描くハンドボール・リーグ1年目は未来への投資「ビジネスよりもまずガバナンスやリーグ構造改革が必要」
Follow @ssn_supersports