
日本の黄金世代、79年組には、サッカー界を代表するビッグネームが名を連ねる。そのひとり、本山雅志選手は2020年に1年間の休養を宣言。2021年には、自身のキャリアで初となる海外クラブ、クランタン・ユナイテッドFC(マレーシア・プレミアリーグ2部)に移籍した。
日本のクラブ時代とは大きく異なる環境下も、楽しいと語る本山選手。その根底には、40代に差しかかってもくすぶり続ける、現役への強いこだわりがあった。
■クレジット
インタビュー=北健一郎
構成=佐藤智朗
写真=Yakult Malaysia Sdn Bhd
■目次
・1年の休養という決断
・新天地・マレーシアへ
・個性が輝く黄金世代
・本山雅志はいつ引退するのか
1年の休養という決断
──2019年、出場機会がない中での退団でした。引退という選択肢は頭によぎりましたか?
本山雅志(以下、本山) いいえ。引退はいつでもできるし、行くところまで行きたいという気持ちが一番でした。年齢を重ねたことで、自分の活躍よりもチームの力になりたいという気持ちが大きくなった気がします。
その頃はありがたいことに、さまざまなチームから選手やコーチなどのオファーをいただきました。ですが2019年シーズンはケガが多かったこともあり、2020年は身体と心をリフレッシュしようと決めたんです。
──1年間をあえて無所属で過ごすのは、すごく勇気のいる決断だったと思います。休養中は、ご実家の魚屋さんを手伝っていたのですよね。
本山 そうです。魚屋ってね、めちゃくちゃ朝が早いんですよ(笑)。毎朝4時起きで、僕が車を運転して4時半からの競りに父と参加していました。競り落とした魚は、自宅に戻ってからさばいた後、お店へ並べて。
お店に出られる時は、店頭にも立っていました。その後に、昼からトレーニングなど自分のことをする生活を送っていました。夏休みの期間は、コロナ禍が落ち着いたこともあり子どもたちにサッカー教室を開いていました。
──お客さんから声をかけられたことも多かったのではないでしょうか。
本山 地元の方には、よく声をかけてくださいました。最初は不慣れだったので、「こうさばいた方がいい」なんて教えていただくこともありましたね(笑)。お会いできた機会は少なかったですが、ファンの方も何人かいらしてくださいました。
家業を継ぐつもりはありませんが、父の頑張りを間近で目にして、尊敬しなおしました。
新天地・マレーシアへ
──魚屋さんでの1年間を経て、次の挑戦の舞台がマレーシアだったというのは、どんなきっかけだったんでしょうか?
本山 当時の僕は、代理人も付けておらず積極的にチームに入る活動はしていませんでした。播戸竜二のYouTubeに出させてもらったり、日本のチームから誘っていただいたりしていましたね。
その中で、株式会社マレーシアヤクルト代表取締役の濱田浩志さんから「マレーシアに来ないか」と誘われて。面白いなと思い、早い段階で決断しましたね。
──マレーシアで活動することに対して、不安はなかったですか?
本山 全くありませんでした。ギラヴァンツ北九州で一緒にプレーしていた渡邉将基が、今マレーシアでプレーしているんです。彼が「情報いる?」と言ってくれた時も、楽しみにしておきたいからいいと断っちゃって(笑)。
高校時代やユース時代に、過酷な環境は散々経験しましたね。それに比べると、マレーシアはとてもいい国ですよ。人は温厚で優しいし、互いを許し合う文化があるすごくのんびりした国です。
日本との違いで戸惑うことも、ほとんどありません。気候も年中暖かくて逆に動けてしまうので、ケガをしないよう抑え気味にするくらいです。食事も中華、マレーシア料理、インド系などいろいろあります。
僕がいる地区はタイも近いので、ご飯が美味しく物価が安いです。イスラム文化圏なので、豚肉とお酒が基本的にNGというところだけが難点でした。それも結局、中華系の市場で豚肉が買えるので、特に大きな問題ではありませんでしたね。
──現在所属しているクランタン・ユナイテッドFCは、どんなチームなのでしょうか?
本山 すごく若いチームです。できてまだ4年目で、2年前に2部に昇格しました。Jリーグではありえないスピード感ですよね。
──チーム自体も、濱田さんが中心となって日本人監督を呼んだり、日本人選手も獲得したりといわゆる「本山シフト」を敷いたと聞いています。
本山 そのおかげで、チームともかかなり溶け込みやすかったです。選手も僕入れて3人で、監督もコミュニケーションできるという状態なので。
──1シーズン目を終えたということで、今の感想を聞かせてください。
本山 楽しめています。イレギュラーもたくさんあるんですが、それも驚かず対応できるようになったというか、勉強になることが多いです。
例えば、チームの顔である選手が問題起こして、突然いなくなったり、選手が練習こなくなったり(笑)。遠征とかも、バス移動で12時間かかることもあるんですよ。
当日の午前中に、急遽「今晩から遠征に行くよ」と通達されることも珍しくありませんでした。次の試合まで間隔が空く時に、1週間で3試合の練習試合が入っていることもありましたね。さすがにこの歳では、結構堪えました(笑)。
それにいちいち反応するのではなく、臨機応変に対応するというか。若い時とは違う分、しっかりリフレッシュするなどの対応力が身についたと思います。
──かなり慌ただしいシーズンを過ごしたのですね。来シーズンの目標はありますか?
本山 来年もマレーシアでプレーしたいと思っています。今年より、もっとこの国のサッカーにフィットできるかなと。チャレンジすることも重要だと思っているので、チャンスさえあればアジアのさまざまな国でプレーしたいという思いもあります。
個性が輝く黄金世代
──黄金世代の方々は、現在さまざまな形を取りつつ活躍していますよね。
本山 皆すごいですよね。
(小野)伸二は北海道コンサドーレ札幌でプレーして、ヤット(遠藤保仁)はジュビロ磐田で、チームの中心的存在となっている。橋本(英郎)は今治FC、イナ(稲本潤一)はSC相模原でそれぞれ頑張っています。高原(直泰)は、自分で立ち上げた沖縄SVでプレーを続けています。
引退した選手も、小笠原(満男)は鹿島アントラーズのアカデミーでテクニカル・アドバイザーをしているし、曽ケ端(準)も鹿島でGKアシスタントコーチをしています。中田浩二も、鹿島のCRO(Club Relations Officer)を務めています。
彼らの姿を見て、刺激をもらうことはたくさんありますね。
──それにしても、79年組の黄金世代には現役の方が多いですね。
本山 基本的に、みんなサッカーが好きというのが念頭にあると思うんですよね。特に伸二は、昔からずば抜けて上手かった。彼が79年組の中心で、みんなを引き上げていたと思います。
ヤットも小さい頃から友人ですが、めちゃくちゃ上手かった。今もほとんど変わらないプレースタイルを貫いている裏には、相当な努力があるはずです。イナも高校からJリーグで活躍していて、みんなで「あいつすげーな」って言いながら頑張っていました。
──本山さんは、やはりドリブルの印象が強烈にあります。
本山 ドリブルは、小さい頃からめちゃくちゃ好きでした。元Jリーガーだったコーチに、ボールの扱いやドリブルの方法を教わって。ドリブルは一人で練習できるので、それをずっと反復して練習していましたね。
性格的にも、一度ボールを持ったら離さないわがままな選手でした。中学時代からは、周りも使いつつ行けるところは行くスタイルで。高校時代にボランチを経験してからは、パスも使うことを学びました
それでも、本質的にはドリブルが好きです。疲れますけどね(笑)。
──ドリブルのリズム感は、いい意味で日本人っぽくない気がします。最近では、三苫薫選手に本山選手と近しいものを感じますね。
本山 ありがとうございます。三苫選手は僕も注目しているので、そう言ってもらえると嬉しいです。
彼は緩急の付け方が上手いですよね。一歩目の加速が速いので、抜いた瞬間に余裕が生まれて次のプレーにつなげやすい。狭いエリアから大きく抜け出すこともできるし、細かなドリブルもできる。
日本にはなかなかいないタイプで、日本代表はもちろん、世界でも活躍できると思います。
──日本人選手は献身的な印象が強いですが、今後ビッグクラブで活躍する選手が増えるには、そうした個人の力をどれだけ伸ばせるかも重要だと思います。
本山 日本人のレベルは、全体的に上がっていると思います。そのなかで永遠の課題となっているのが、身体のサイズですよね。速くて、大きくて、強くて、足元も上手い。昔と違い、今はそんなすべてを兼ね備えた選手が世界中にいます。
日本でもサイズで勝負できる選手が増えてきているので、そこは楽しみかなと。一方で、古橋亨梧選手のように小さいけれどスピードで裏に抜けられる、ゴール前の嗅覚が強い選手もいます。
東京オリンピックを観ていて、これから個性ある面白い選手がたくさん出てくるという期待感を抱きました。
──世界で活躍する選手もどんどん増えていますよね。海外に行くことが珍しくない今の環境を、うらやましく思うこともありますか?
本山 身体がふたつあれば、もう一人の自分に海外へ行ってもらったかもしれません(笑)。海外でチャレンジしたかった思いもありますが、それでも僕は鹿島でいいシーズンを過ごせました。タイトルを取るための努力もできたし、今までのキャリアに後悔はありません。
本山雅志はいつ引退するのか
──本山さんは、何歳までプレーをしたいと考えていますか?
本山 考えていないです。辞める時はいずれ来ますが、辞めるとは言いたくないというか。ゴンさん(中山雅史)みたいな感じです。あ、カズさん(三浦知良)は別次元なので、あの人を目指してはダメです(笑)。
──ゴンさんは両膝に深刻な怪我を抱えながらも、リハビリに励みアスルクラロ沼津で現役復帰しました。退団後はジュビロ磐田のコーチに就任したものの、現役引退は表明していませんね。
本山 ギラヴァンツ北九州時代、ゴンさんに会ったことがあります。その時お互いの怪我の話をしたんですが、彼に「早く辞めろ」って言われたんです。僕らの世代が現役を続けていると、自分が目立たなくなるからって(笑)。
──私はSC相模原のオフィシャルライターで、稲本さんともよく話しますが、彼も「サッカーをやらない生活が想像できない」と話していました。皆さんほどの選手であれば、引退してメディアで活躍するという道もあると思います。それでも、怪我やきつい練習に耐えつつ現役にこだわるのはなぜでしょうか?
本山 監督に選ばれ、試合に出られる。昔からそれこそが理想だからじゃないでしょうか。練習はしんどいこともありますが、試合に出るために必要なことだと考えています。ボールを使った基本練習は今でも楽しいですしね。
指導者の道も、全く興味がありません。子どもたちと一緒にプレーをするのは楽しいので、マレーシアでもサッカー教室をしています。この前もマレーシアヤクルトさんに協力いただいて、3日間で3カ所を移動しながら、15歳以下の子たちと一緒にサッカー教室を開催しました。
それでも、僕はプレーヤーこそが一番面白いことを知っています。頭の片隅には、ずっと現役ではいられないとわかっています。だからこそ、やれるところまでやりたいんです。
■プロフィール
本山雅志(もとやま・まさし)
1979年生まれ、福岡県北九州市出身。東福岡高3年時に全国総体、全日本ユース、全国選手権と史上初の「高校3冠」を達成した。1998年鹿島アントラーズに入団し、背番号「10」を背負う。2000年シドニー五輪代表。2016年にギラヴァンツ北九州へ移籍し、19年末までプレーした後に1年の休養を宣言。
2021年から、マレーシア・プレミアリーグ2部のクランタン・ユナイテッドFCに移籍した。
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