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『そのまま頑張れ』 メジャー4勝のエルスが石川遼を激励 「めっちゃうれしいです」

がっちりと握手をかわすアーニー・エルスと石川遼(撮影:佐々木啓)

<ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント! 最終日◇23日◇PGM石岡ゴルフクラブ(茨城県)◇7039ヤード・パー70>

決勝ラウンド2日間をメジャー4勝のレジェンド、アーニー・エルス(南アフリカ)とともにした石川遼。ラウンド後のアテストのときに、『そのまま頑張れ』とエールを送られたことを明かした。

最終日はトータル3アンダー・51位タイからスタートした石川。7番でバーディを先行させると、9、10番で連続バーディを奪って、一時はトータル6アンダーまで伸ばした。14番できょう初めてのボギーを叩いたが、すぐさま15番パー4でバウンスバックを決める。しかし、最終18番パー4ではティショットを曲げて3オン。2メートルのパーパットを外してボギーとなった。結局、4バーディ・2ボギーの「68」でトータル5アンダーに伸ばし、順位を上げてフィニッシュした。

「10ホールくらいは林にいたんじゃないですか(笑)。うまくセーブしていたほうですけど、最後パーセーブしたかった。内容は4日間あまり変わらないんですけど、ドライバーが成功した後にショートアイアンでバーディを獲れたのが、最終日に『やっときたな』みたいな感じだった。そこは良かったなと思います」

石川のドライバーでの基本の持ち球はドロー。右の林が迫る7番と9番は、ドローではフェアウェイキープが難しく、ずっと打ちにくそうにしていた。初日から3日目までの2ホールのフェアウェイキープは6回中2回。しかしきょうは、どちらもドライバーでフェードを打ってフェアウェイキープに成功し、バーディを奪った。「ドローもフェードも両方打てるように、徐々にしていきたい」というなかで、一定の成果は感じている。

決勝ラウンドをともにプレーした石川とエルス。2011年には世界選抜VS米国選抜の「プレジデンツカップ」でチームメイトとして一緒に戦っている。エルスは「全米オープン」(94、97年)と「全英オープン」(02、12年)を2度ずつ制した実力者で、日本では93年の「ダンロップフェニックス」で優勝。静岡県の太平洋クラブ御殿場コースで行われた01年の「WGC-EMCワールドカップ」ではレティーフ・グーセン(南アフリカ)とのコンビで優勝している。2011年には世界ゴルフ殿堂入り。53歳となった現在は、米シニアツアーを主戦場としており、今年3月には3勝目を挙げた。

そんなレジェンドと「昔の話をしたり、いま何をやっているとか、次はどの試合に出るとか…御殿場でのワールドカップや、フェニックスで回った話も」と会話を楽しんだ。そして、「僕が生まれてからずっと第一線で活躍していて、本当にテレビで見ていた存在。すごいありがたい経験をさせてもらいました」と話す。石川遼が生まれたのは91年。そのときエルスは22歳で駆け出しのプロだった。

将来的には、13年~17年まで5年間参戦した米PGAツアーへの復帰を目指している石川。「終わった後に僕のゴルフはどうですか? って聞こうか迷った(笑)」とレジェンドに評価を求めようとしていた。「そうしたら向こうから言ってくれたんです。『けっこういい当たりも打っているし、パッティングもいい感じだし、そのまま頑張れ』って。めっちゃうれしいです」と顔がほころぶ。

「次アメリカに行くときは、どこを拠点にするかとか、ここがいいよとか、そういう話もしました。夢の話ですけど、また頑張りたいなと思います」。石川にとって世界最高峰の舞台への思いをいっそう強くした大会となった。(文・下村耕平)

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