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28年前、原田香里が小兵到来を告げるメジャー2冠 そして今週、戦いの場へ【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

93年、最終戦を制してメジャー2冠を決めた原田香里(撮影:ALBA)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

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記憶の襞をたどってくれたのは原田香里。1993年日本女子プロゴルフ選手権優勝の顛末(てんまつ)だ。のちに日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)理事、副会長となってツアーから離れたが、歴代優勝者として9日からの第54回大会に挑む。最初から最後まで、自分のゴルフを貫いて大きなステップとなった一戦の鮮やかなシーンとは…。

手ではなく、足が震えた。生まれて初めてのことだった。3打差単独首位で迎えた最終日。最終組でスタートした直後の1番でのことだ。「確かグリーンに乗らず、1メートルちょっとに寄せたパーパットが、めちゃめちゃ緊張しました。『今日は、これを入れたら1日うまくいきそうだな』という気がしていました」。独特の予感めいたものは、それまでにも何度かあった。この時も「真ん中からまっすぐ!」と思ってしっかり打ったパットを沈めて、落ち着いた。

強豪、日本大学ゴルフ部4年の時、日本女子学生タイトルを獲得し、89年にプロ入りした原田は、92年のミズノオープンで初優勝。この時「次は公式戦に勝ちたい」と、漠然とだが考えたことを覚えている。そのチャンスが、巡ってきた。

舞台は、鳥取県の旭国際浜村温泉ゴルフ倶楽部。山口県光市の実家から比較的近く、両親が応援に来てくれることになっていた。実家の経営するゴルフ練習場で腕を磨き、プロになった原田にとって、父は“師匠”でもあった。だから「頑張ろう」という気持ちはいつも以上に強かった。

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