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ノビツキーが悲願のNBA制覇を遂げた2011年ファイナルを回顧「彼らが結成1年目だったのはすごく幸運だった」<DUNKSHOOT>

2011年、当時32歳のノビツキーは若きスター軍団のヒートを相手にエースとして奮闘。悲願のリーグ制覇を成し遂げた。(C)Getty Images
21年間のNBAキャリアで歴代4位の通算1522試合出場、同6位の通算3万1560得点、同13位の3ポイント成功数1982本を記録し、将来の殿堂入りが確実視されているダーク・ノビツキー。2011年には悲願のリーグ制覇を成し遂げたが、ダラス・マーベリックス一筋のレジェンドは“時の運”のおかげだったと当時を振り返っている。

1998年のドラフト全体9位指名でNBA入りしたノビツキーは、ロックアウトにより短縮シーズンとなった1年目こそフィジカル面で苦しんだが、翌シーズンから不動のレギュラーに定着。3年目からは12シーズン連続で平均20点以上、オールスターには11年連続、計14回の出場を果たすなど、リーグを代表するパワーフォワードに上り詰めた。

自己ベストの平均26.6点を記録した2005−06シーズンは自身初のNBAファイナルに進出。ドゥエイン・ウェイド、シャキール・オニールらを擁するマイアミ・ヒートと対戦し、先に2連勝するも、そこから4連敗を喫し、悔しい敗退となった。『ESPN Radio』系列のスポーツトークショー『The Dan Le Batard Show with Stugotz』に出演したノビツキーは「いまだに悪夢だよ」と語り、キャリアにおいてもショッキングな出来事だったことを明かしている。

一方、13年目で待望の初優勝を遂げた2010−11シーズンも、奇しくもヒートとNBAファイナルで相まみえ、今度は4勝2敗で勝利。当時の相手はレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、ウェイド、クリス・ボッシュの“スリーキングス”だった。ノビツキーは当時の激闘を振り返る。
「私たちは劣勢だと思われていた。(ヒートは)我々よりもスキルと身体能力があったからね。でも、私たちもスマートで、ベテラン揃いのチームだった。スモールラインナップやゾーンを駆使したり、相手をスローにさせようとすべてをやった」

さらに番組ホストから「(身長206cmの)レブロン・ジェームズは(178cmの)JJ・バレア相手にポストアップを拒んだ」と話を振られると、ノビツキーはスリーキングスが結成1年目だったことが自分たちにプラスに働いたと見解を述べる。

「結成1年目の彼らとの対戦だったのはすごく幸運だった。誰がビッグショットを撃つのか、どんな時にアグレッシブに行くのか、ためらいがあったし、まだ自分たちの役割を理解していなかった。2、3年目に顔を合わせていたら、レブロンがかなりアグレッシブに攻めてきただろうし、おそらく手玉に取られていただろう」

このシリーズ中、ノビツキーは風邪の症状があり、第4戦は体調不良を押して出場。ベンチで咳もしながら、21得点をあげて勝利に貢献した。第5戦前に練習を終えたレブロンとウェイドがその姿を真似るように咳払いをして笑い合っている映像が繰り返し放送されて話題を呼んだが、これに関しては「面白くはなかったけど、怒り倒したわけでもない。ファイナル期間中だから、特にモチベーションにはならなかった」と冷静に振り返っている。

長年積み重ねた実力と経験、そして少しの“運”が味方したことで、悲願のリーグ優勝が現実のものとなったとノビツキーは考えているようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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