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カナダのナッシュにアルゼンチンのジノビリ…アメリカ&ヨーロッパ出身以外のNBAベストチームを選定!<DUNKSHOOT>

90年代以降、国際化が進むNBA。アメリカ&ヨーロッパ出身者以外でもナッシュ(左)、ジノビリ(右上)、オラジュワン(右下)ら好選手が揃っている。(C)Getty Images
近年は様々な国からトップ選手が集まり、国際化が著しいNBA。そのなかで、海外出身選手に限定して歴代ベストメンバー選出した場合、どういった顔ぶれが並ぶのだろうか。

ヨーロッパ出身のベストチームを選んだ前回に続き、今回は“アメリカ&ヨーロッパ以外の出身者”から成るNBAのベストチームを選定した。

【ポイントガード】
スティーブ・ナッシュ
(カナダ/出身は南アフリカ共和国)
1974年2月7日生。191cm・88kg
キャリアスタッツ:1217試合、平均14.3点、3.0リバウンド、8.5アシスト

NBA史上屈指のPGであるナッシュはサッカー好きでも知られるが、それは彼の育った環境を考えれば納得がいく。イギリス人の父親がプロサッカー選手で、弟マーティンもサッカーのカナダ代表なのだ。

ナッシュが生まれたのは南アフリカ共和国、育ったのはカナダ西部と、いずれもバスケットボールとは縁の薄い地域だったが、中学生になってバスケットに目覚め、1996年のドラフト全体15位でフェニックス・サンズに入団。98年にダラス・マーベリックスへ移籍してから実力が開花し、巧みなボールハンドリングとゲームメイキング、そして正確無比のシュート力を兼ね備え、サンズに復帰した2005年と翌06年に2年連続MVPを受賞した。

5度のアシスト王にも輝き、通算1万335アシストは歴代4位。シュート全般の優秀さを示す「50−40−90」(フィールドゴール成功率50%、3ポイント成功率40%、フリースロー成功率90%以上)は4回も記録した。ステフィン・カリーですら1度しか達成していないのだから、その凄さがわかる。
【シューティングガード】
マヌ・ジノビリ
(アルゼンチン)
1977年7月28日生。198cm・93kg
キャリアスタッツ:1057試合、平均13.3点、3.5リバウンド、3.8アシスト

ナッシュが現在ヘッドコーチを務めるブルックリン・ネッツのカイリー・アービングも、父ドレデリックがオーストラリアでプレーしている間に生まれたので、実はオーストラリア出身。しかし2歳の時にアメリカへ帰ってきたので「海外出身」とは言い難い。80年代の名選手ローランド・ブラックマンも、パナマ生まれだが8歳からアメリカに住んでいる。

となるとやはり、生まれも育ちもアルゼンチンのジノビリが、アメリカ&欧州以外のベストSGに当てはまるだろう。99年にドラフト57位でサンアントニオ・スパーズに指名され、02年に入団。“ジノビリ・ステップ”の異名がつけられた変幻自在のムーブと、国際試合で鍛えられたメンタルの強さが売り物で、勝負所では特に存在感を発揮した。

キャリア平均13.3点という数字以上のインパクトを残し、07−08シーズンはシックスマン賞を受賞してオールNBAチーム(3rd)入り。04年のアテネ五輪では準決勝でアメリカを撃破し、アルゼンチンを見事金メダルへ導いた。
【スモールフォワード】
アンドリュー・ウィギンズ
(カナダ)
1995年2月23日生。201cm・89kg
キャリアスタッツ:579試合、平均19.4点、4.4リバウンド、2.3アシスト

父のミッチェルはシカゴ・ブルズのSGだったが、マイケル・ジョーダンの加入を受け、トレードされた過去を持つ。時を経て、有望な少年たちが参加する“ジョーダンズ・ゲーム”でジョーダン本人が目を留めたのが、当時15歳のウィギンズだった。

カナダの象徴であるカエデにかけて“メイプル・ジョーダン”、もしくはカナダのレブロン・ジェームズとも呼ばれた逸材は、2014年のドラフトではそのレブロンがいるクリーブランド・キャバリアーズから1位指名された。だが、すぐにケビン・ラブとの交換でミネソタ・ティンバーウルブズへトレード。ミネソタでは在籍5年半で平均20点以上を3度記録したものの、守備面などの評価が低く、期待通りとは言えないままゴールデンステイト・ウォリアーズへ移った。

それでも移籍3年目となる今季は、ディフェンス面の成長を評価されてオールスターに初出場。因縁のレブロンではなくケビン・デュラントのチームにピックされ、大舞台を踏んだ。
【パワーフォワード】
アル・ホーフォード
(ドミニカ共和国)
1986年6月3日生。206cm・109kg
キャリアスタッツ:932試合、平均13.7点、8.2リバウンド、3.3アシスト

ウィギンズと同じく、ホーフォードも二世選手。父のティトはドミニカ共和国出身者で初のNBA選手で、アルも14歳までドミニカで暮らしていたが、アメリカの高校に入学するためミシガン州へ引っ越した。

07年ドラフト全体3位でアトランタ・ホークスに入団。派手さはなくとも、チームが求める役割をしっかりこなせる選手で、ボストン・セルティックス時代と合わせてオールスターに5回選ばれた。本来はセンターだが、PFで起用されることも多いので今回はこのポジションで選んでいる。

ちなみに、2年連続で全米制覇を遂げたフロリダ大で同学年だったジョアキム・ノアも、ニューヨーク生まれながら父ヤニックはフランス人で、有名なプロテニス選手。母はミス・スウェーデン、自身も13歳までパリで暮らした国際人だった。

なお史上最高のPFの1人であるティム・ダンカンも出身地はカリブ海のヴァージン諸島だが、アメリカの自治領であり国籍もアメリカなので選外としている。
【センター】
アキーム・オラジュワン
(ナイジェリア)
1963年1月21日生。213cm・116kg
キャリアスタッツ:1238試合、平均21.8点、11.1リバウンド、2.5アシスト

今でこそアフリカ出身の選手は珍しくないが、80年代前半まではNBAで通用する者がいるなど誰も考えていなかった。ナイジェリア生まれのオラジュワンも、NBAへの憧れは抱いていたものの、ヒューストン大に留学したのは学位を取るのが目的だったという。

ところが在学中に全米有数の選手に成長を遂げ、84年のドラフトではマイケル・ジョーダンらを差し置き、全体1位指名でヒューストン・ロケッツに入団。1年目から平均20.6点、11.9リバウンドを記録すると、以後12年連続で平均20点&10リバウンド以上。サッカーのゴールキーパーだった頃に鍛えた軽快なフットワークを武器に、攻撃ではディフェンスを翻弄、守備では相手のシュートを次々にはたき落とした。

ジョーダンの引退期間中だった94年はシーズンMVPに輝き、ロケッツを初優勝に導くと、翌年も連覇を達成。2年連続でファイナルMVPに選ばれた。96年のアトランタ五輪には米国国籍を取得し、ドリームチーム3のメンバーとして金メダルを獲得した。
【シックスマン】
パトリック・ユーイング
(ジャマイカ)
1962年8月5日生。213cm・109kg
キャリアスタッツ:1183試合、平均21.0点、9.8リバウンド、1.9アシスト

海外出身の好選手はセンターに多く、アフリカ勢だとディケンベ・ムトンボ(コンゴ民主共和国)、ジョエル・エンビード(カメルーン)らが代表格。そのなかでも、ジャマイカ出身のユーイングが最大の出世頭になる。

イギリスの植民地だったこともあって、子どもの頃はサッカーやクリケットを楽しんでいたが、12歳でアメリカへ移り住むとバスケットボールで才能を発揮。ジョージタウン大時代の84年はオラジュワンを擁するヒューストン大を破って全米制覇、同年のロサンゼルス五輪にもアメリカ代表として選ばれ、金メダルを獲得した。

ドラフト1位でニューヨーク・ニックスに入団した85−86シーズンには新人王を受賞。その後も毎年のように得点とリバウンド、ブロックでリーグ上位につけたように、間違いなく一流選手ではあった。しかしながらここ一番で勝負弱さが顔を覗かせ、個人タイトルにもチームの優勝にも無縁。94年のファイナルではオラジュワンに大学時代の借りを返された。

文●出野哲也

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