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「信じられないほど素晴らしい」“最高の友”オラジュワンとドレクスラーが叶えた12年越しの夢【NBAデュオ列伝|後編】

1995年にドレクスラー(右)が加入しオラジュワンと(左)再びタッグを結成。同年のプレーオフでは史上初となる第6シードからの優勝を成し遂げた。(C)Getty Images
■苦しい時代を経てロケッツで再会を果たす

ドレクスラーとオラジュワン、2人のうち、最初にファイナルの大舞台に進んだのはオラジュワンだった。ラルフ・サンプソンとのツインタワーで1986年にウエスタンを制し、優勝を懸けてボストン・セルティックスと戦った。敗れはしたが、オラジュワンはファイナル記録タイの1試合8ブロックを記録するなど活躍した。

何より人々の脳裏に焼き付いたのは、身長213cmの巨人と思えないほど軽やかなフットワークだった。鈍重な大型センターを翻弄するその動きを、人はやがて〝ドリーム・シェイク″と呼ぶようになった。

「棒高跳びで7メートル跳んだり、1600メートルを3分で走る選手など考えられないだろう? でもアキームを見ていると、それと同じ衝撃を受ける。あれだけの大きさと強さを兼ね備えた人間が、あれほど素早い動きができるとは」(ロケッツGM、レイ・パターソン)。前途洋々のロケッツには、この先優勝する機会はすぐに巡ってくるように思われた。

ブレイザーズも徐々にチーム力を向上させ、90年にドレクスラー入団後初めてファイナルに進出したが、デトロイト・ピストンズの前に敗退。92年にも再びファイナルの舞台に帰ってきたが、ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに完敗した。

同じシューティングガードであり、プレースタイルも似ていることから、ドレクスラーは何かにつけジョーダンと比較された。そのため、このファイナルは戦前から、〝ジョーダンVSドレクスラー″として喧伝されたが、格の違いを見せてやろうと集中力を高めていたジョーダンの餌食にされてしまった。
この年の夏にはバルセロナ五輪のドリームチームに選ばれるなど、個人としてはスーパースターの座を揺るぎないものとしていたドレクスラーだったが、究極の目標でもあるチャンピオンリングには手が届かないままだった。

ドレクスラーがあと一歩の壁を破れずにいる頃、オラジュワンも苦しい時期を迎えていた。ロケッツはサンプソンの故障でツインタワーが機能しなくなり、強豪揃いのウエスタンで埋もれた存在になっていた。そんな状況に不満を抱いたオラジュワンはフロントと衝突し、公然とトレードを要求した。

しかし、92年のジャパンゲームへ向かう飛行機の中で新たな契約に合意。心機一転したオラジュワンは、選手として一段高いレベルに上り詰める。94年にはMVPに選ばれ、ロケッツのウエスタン優勝の原動力となっただけでなく、ニューヨーク・ニックスとのファイナルでは因縁のユーイングを圧倒。念願の王座を勝ち取り、ファイナルMVPも手にした。

オラジュワンの優勝をドレクスラーも喜んだ。そして羨ましく思った。ブレイザーズはファイナルに進んだ頃に比べ下り坂にさしかかっており、チームも衰えの見え始めたドレクスラーを整理する機会を窺っていた。

その日は突然やって来た。95年2月14日に移籍が決まり、“ドレクスラー、ヒューストンへ”の見出しが翌日の新聞を飾った。オーティス・ソープとの交換で、トレイシー・マレーとともにロケッツへトレードされたのだ。
「信じられないほど素晴らしい」と第一報を知らされたオラジュワンは手放しで喜んだ。「ロケッツとブレイザーズが試合をする時、いつも私たちは食事の席を共にしていた。そして、いつか再び一緒にプレーできたらなと話していたんだ。それが現実のものになるとは思ってもみなかった」

ヒューストンの街もかつての英雄の帰還を歓迎していた。だが、メディアの間ではこのトレードの評判は芳しいものではなかった。ただでさえ、ロケッツはディフェンディング・チャンピオンらしくない戦いを続けていた。

その上、有能なパワーフォワードのソープを失うのは痛手だった。ソープの穴はチャッキー・ブラウンやピート・チルカットら2線級の選手で埋めねばならず、しかもドレクスラーの加入は同ポジションの3ポイントシューター、ヴァーノン・マックスウェルの出番を奪うことになった。フェニックス・サンズのチャールズ・バークレーなどは「ソープを出すようじゃロケッツもおしまいだな」とせせら笑った。

悪い予感は的中し、ドレクスラー加入後は17勝18敗と負け越し。カンファレンス6位まで転落したロケッツに、連覇の道は閉ざされたかのように思えた。

ところが、プレーオフでロケッツは奇跡的なしぶとさを見せる。1回戦ではユタ・ジャズに1勝2敗のあと2連勝。第4戦ではドレクスラーが41得点、オラジュワンが40得点と大爆発した。カンファレンス準決勝ではサンズに1勝3敗から3連勝し、バークレーに赤っ恥をかかせた。
勢いに乗り、カンファレンス決勝ではリーグ最高勝率のサンアントニオ・スパーズを6戦で葬った。オラジュワンはシーズンMVPのデイビッド・ロビンソンを24.3点に抑える一方、自らは35.3点と完全にマッチアップを制した。

ロケッツの勢いはファイナルに入ってからも止まらず、オーランド・マジックをスウィーブ(シリーズ無敗勝利)。第6シードから勝ち上がった初めてのチャンピオンとなり、またリーグの勝率トップ4をすべて下した最初のチームともなった。

力のシャキール・オニールと技のオラジュワンのセンター対決は、32.8点、11.5リバウンドを記録したオラジュワンに軍配が上がり、2年連続でファイナルMVPを受賞。ドレクスラーも負けじと21.5点、9.5リバウンド、6.8アシストの大活躍だった。

「何より嬉しいのは、最高の友とともに優勝できたことだ。そして彼の力なくしては、この優勝はあり得なかった」

記者会見で、オラジュワンはドレクスラーとハイタッチを交わしながら語った。

「何て素晴らしい気分なんだ」

ドレクスラーも満面の笑みをたたえていた。「子どもの頃、いつもロケッツの試合を見ていた。そのチームで優勝できるなんて……しかもアキームと一緒だとは。これ以上の喜びはない」。

12年前に達成していたはずの栄光だった。だが、待たされた時間が長かった分、その思いも格別なものとなった。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2004年6月号原稿に加筆・修正

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