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「ベストの選手だが、同時に軽視していた」識者がジョーダンとピッペンの“複雑な関係性”を明かす<DUNKSHOOT>

“史上最高のデュオ”と謳われるジョーダン(右)とピッペン(左)だが、2人の間には複雑な関係性があった。(C)Getty Images
スコッティ・ピッペンはNBA史上屈指のオールラウンダーであり、殿堂入り選手、そしてリーグ創設75周年を記念した“偉大な75人”(投票結果タイにより最終的に76人)にもその名を刻んでいる。リーグ優勝6回の経験を含めてそのキャリアは栄光に彩られているが、『The Athletic』では「スコッティ・ピッペンがNBA史上最高のオールラウンドプレーヤーの1人になるための旅は容易ではなかった」と特集を組んだ。

ピッペンと言えば、シカゴ・ブルズで“神様”マイケル・ジョーダンと史上最高級のデュオを形成。1991~93年、96~98年にそれぞれ3連覇を達成して黄金期を築いたレジェンドの1人だ。

だが、お互いを完璧に補完し合っていた2人も、2020年4~5月に放映されたドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』の描写を巡って関係悪化が取り沙汰された。さらに、ピッペンは昨年11月に発売した自伝『Unguarded』のプロローグで「私は『神』という言葉や『バットマンのロビン』と呼ばれるのが嫌だった」「私はマイケルよりもはるかに優れたチームメイトだった」と、かつての相棒ジョーダンを公然と批判したことで波紋を呼んだ。
ジョーダンの“裏の顔”が明かされた有名な書籍『The Jordan Rules』の著者として知られるサム・スミス記者は、『The Athletic』でピッペンとジョーダンの“複雑な関係”について語った。

「ピッペンはマイケルに奇妙なアンビバレンス(相反する感情)を持っていた。マイケルに受け入れられ、キャリアをともにしたいと渇望していたんだ。しかし、マイケルはサメ(強欲な人間)だった。対等だとみなされたいと思っているピッペンを軽視していた。ピッペンは自分が望んでいたように受け入れられなかったから、ホーレス・グラントやほかのチームメイトに謝罪するような形になった。

ピッペンはコート外では大人げない部分があったが、コート上ではセルフィッシュではなかった。彼はマイケルにとって史上ベストの選手であり、マイケルが必要としているものにフィットする完璧な存在だった。ピッペンは単なるNo2ではない。超一流だった。誰よりもマイケルが必要としていたものにフィットしていたからね」
また、1989~94年にブルズでプレーし、控えビッグマンとして前期3連覇を経験したステイシー・キングは、ピッペンが“ポイントフォワード”の先駆け的な存在だったと高く評価している。

「スコッティのバスケットボールIQは桁違いだ。ウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア/現ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)がゲームを変えた。カリーム・アブドゥル・ジャバー(元ロサンゼルス・レイカーズほか)がゲームを変えた。マイケルがゲームを変えた。だけど、スコッティはゲームを変える上での役割を十分に評価されていない。
グラント・ヒル(元デトロイト・ピストンズほか)やケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)を思い浮かべたらいい。ディフェンスとスコアリングができ、リバウンド、アシストもこなす。ピッペンの“ポイントフォワード・モード”に分類される選手はたくさんいる」

ピッペンは「今まで一緒にプレーしたなかで、ベストのチームメイトはマイケル・ジョーダン。それに疑いの余地はない」とも話していたが、世間の見る目による“格差”が、長い時を経て大きなひずみを生じさせてしまったようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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