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グローバル化が進むNBAに新たな歴史。ネミーアス・ケイタがリーグ初のポルトガル人選手になるまで<DUNKSHOOT>

ポルトガル出身選手として初めてNBAのコートに立ったケイタ。リーグの歴史に新たな1ページが加わった。(C)Getty Images
グローバル化が進むNBAに、また新たな国旗が加わった。

現地時間12月17日(日本時間18日、日付は以下同)に行なわれたサクラメント・キングス対メンフィス・グリズリーズ戦、今年のドラフトでポルトガル人選手として初めてドラフトされたネミーアス・ケイタがコートに立ち、同国初のNBAプレーヤーが誕生したのだ。

1999年7月生まれ。 身長213cm、体重111kg、そして身長よりも長いウイングスパンを誇るビッグマンのケイタは、22歳になって間もない今年のドラフトでキングスから全体39位で指名を受け、8月に2WAY契約を締結した。

今季これまではGリーグのストックトン・キングスを主戦場としていたが、 アルビン・ジェントリーHC(ヘッドコーチ)を筆頭に、キングスは新型コロナウイルスの安全衛生プロトコル入りする選手が続出する事態。そこでアシスタントコーチのダグ・クリスティは、Gリーグで11試合に先発して平均15.4点、8リバウンド、2.2ブロックの成績をあげていたケイタを招集したのだった。
「いつ来るかわからないけど、チャンスが来たらベストを尽くして、できる限りチームの力になりたいと思っていた」

デビュー戦後にそう感想を語ったケイタ。4本打ったシュートは入らず、初得点は叶わなかった上、試合も105−124でキングスが敗れ、初戦を白星で飾ることはできなかった。ただ、7分44秒の出場時間で5リバウンド、1ブロック、1アシストというのは、なかなかの数字だ。

「フロアに立ってプレーできたことには大きな達成感がある。ここに来るまで、ずいぶん長い間やってきたようにも感じる。バスケットボールを始めた時からこの日を夢見ていた。今日、それが実現して本当に嬉しい」

ギニアビサウ出身の両親の元、リスボン郊外で生まれたケイタは、10歳でバスケットボールを始めた。きっかけは、地元クラブのトライアルを受けた姉の練習についていって、自分もやってみたくなったという、よくある流れ。早速男子部の練習に参加させてもらうと、すぐに夢中になり、プロのバスケットボール選手になることが彼の夢になった。
サッカーの世界的な大スター、クリスティアーノ・ロナウドを誇りとするこの国において、バスケットボール人気は高くない。街中にはコートもほとんどなく、誰もがプレーできる環境ではないが、そのなかでもケイタが育ったリスボン郊外のバレイロは、バスケ人気が高い部類に入る土地柄だった。

18歳の時にフットボールで全国区の人気を誇るプロクラブ、ベンフィカのバスケ部門に入団。Bチームに属しながら、ファーストチームにも参加してプロの試合にも出場していたケイタは、その頃すでに地元では人気者だった。そんな彼の噂はヨーロッパ内のみならず、海を越えたアメリカまで轟き、スカウトマンも彼のプレーを視察に訪れるようになっていた。

2018年の夏にブルガリアで開催されたU-20欧州選手権ディビジョン Bで、ポルトガル代表の全7試合に出場。チームハイの平均10.3リバウンドに加え、14.1点、2.9ブロックをマークしたケイタは、この大会でさらにアメリカの大学から注目を浴びた。

しかし一足早く、4月から交渉を始めていたユタ州大学(USU)に進学を決めた。
単身で渡米しての新生活では、ホームシックになったり、大学の食堂が“バイキング形式”だったため、入学後あっという間に7kgも太ってしまったというエピソードもある。ただ、言葉に関しては『プリズン・ブレイク』といった人気テレビドラマシリーズを観てみるみる上達。肝心のバスケでも1年目からレギュラーに定着し、平均11.8点、8.9リバウンドを記録して8年ぶりのNCAAトーナメント出場にも貢献した。

コーチのクレイグ・スミスは「彼に限界はない。ネミーアスが将来何を成し遂げようと、私は驚かない」と、ポルトガルから来た新入生のポテンシャルに早い時点から確信を抱いていた。

「こちらでは、よりフィジカルなプレーが多い。ヨーロッパのプレースタイルは、ゲームの流れを読み、自分が何をすべきかを事前に把握することが重要になる。どちらも難しい。こっちは凄く速いけど、向こうは考えないといけないから」
アメリカでのプレーの印象についてそう話していたケイタが最も苦労したのが、ファウルへの対応。アメリカの審判は、ヨーロッパでは流すようなコンタクトプレーにも笛を吹き、ファウルアウトする試合もあった。

1年目にして手応えを得た彼は、ドラフトへのアーリーエントリーを宣言。その後翻意して撤回すると、2021年夏まで大学に在籍し、3年間で86試合に出場して平均13.2点(フィールドゴール成功率 59.5%)、9.0リバウンド、2.0アシスト、2.5ブロックを記録した。さらに2019、21年には地区の年間ベストディフェンダー賞に選ばれ、通算219ブロックとUSUの歴代新記録も樹立している。

両手を揃えてジャンプする、通称“バレーボール・ブロック”は、彼のシグネチャームーブのひとつだ。スタイルとしては古典的なセンターといった感じで、アウトサイドシュートを得意とするタイプではないが、ゴール下の動きはダイナミック。USUのスミスHCも「彼は非常に温和な青年だが、コートでは決して優しくはない。彼には粘り強くプレーする精神的な強さもある」と評価している。

大学では憧れのマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)が着けていた23番を着用。ただ、キングスではルイス・キングがすでに袖を通していたため、88を選択した。
ドレッドヘアの“88”がキングスのホームコートを駆けた金曜の試合は、「自分たちの国にとっては歴史的な出来事だ」とポルトガル人記者が言ったのを聞いて、2004年にフェニックス・サンズで 田臥勇太が、日本人として初めてNBAデビューした時の感動を思い出した。

「バスケットボールが決して盛んではないこの国で彼のような先駆者が出現したことは、少年たちにとって大きな夢や目標を与えてくれる」

この試合は、ポルトガル時間で早朝6時ティップオフだったが、多くの人々が早起きしてライブ中継にかじりついていたことだろう。

「僕のプレーを見るために起きてくれているのは、本当に特別なことだと感じる。いつも機会があるたびに僕を支えて応援してくれる彼らに本当に感謝したい」と、ケイタも試合後に故郷の人々にメッセージを送った。

ケイタの地元の町には、20m大の彼の壁画がある。ポルトガルのバスケ史に名を刻んだ88番の活躍が、これから先も見られることを祈って。

文●小川由紀子

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