ハーデンを筆頭に好ガード揃い!アリゾナ州大の歴代ベストメンバーを選定<DUNKSHOOT>

現役のスーパースターであるハーデン(左)や80年代レイカーズを支えたスコット(右)らを輩出したアリゾナ州大のベストメンバーを選定。(C)Getty Images
1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターを送り出してきた。

では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

今回お届けするのはアリゾナ州大編。現役ではブルックリン・ネッツの司令塔、ジェームズ・ハーデンの出身校として知られるが、過去を遡ってみてもガードポジションに優秀なタレントがひしめいている。それぞれの実績とともに紹介していこう。
【ポイントガード】
ファット・リーバー

1960年8月18日生。191cm・77kg
カレッジ成績:113試合、平均10.1点、4.0リバウンド、3.9アシスト
NBA成績:752試合、平均13.9点、6.0リバウンド、6.2アシスト

“1980年代のラッセル・ウエストブルック”とも言うべき万能PGだ。82年のドラフト11位でポートランド・トレイルブレイザーズに入団すると、3年目にデンバー・ナゲッツへ移籍。この頃までは身長190cmそこそこでありながらリバウンドもよく取る選手、くらいに思われていたが、85年のプレーオフ・カンファレンス準決勝第1戦で19得点、16リバウンド、18アシストの大暴れ。プレーオフ史上2人目の15/15/15を達成した。

86−87シーズンには、それまで通算2回だったトリプルダブル(TD)を16回も量産。シーズン成績は平均18.9点、8.9リバウンド、8.0アシストと年間TDにかなり近づいた。翌年もTD11回、キャリア通算43回は引退時点で歴代5位にランクされていたが、「狙って達成していたわけではない。私が気にしていた数字はチームの勝利数だけだった」という。

ケガで全休した翌年の93−94シーズンもスティール/ターンオーバー比は1位と攻守に高いレベルを誇ったが、この年限りで引退。“ファット”とは体型には関係なく、本名のラファイエットが長すぎるので自ら縮めた通称である。
【シューティングガード】
バイロン・スコット

1961年3月28日生。191cm・88kg
カレッジ成績:90試合、平均17.5点、4.0リバウンド、3.1アシスト
NBA成績:1073試合、平均14.1点、2.8リバウンド、2.5アシスト

ユタ州生まれ、ロサンゼルス近郊のイングルウッド育ちで、大学ではリーバーの1年後輩。3シーズンでの通算1572得点は当時の学校記録だった。

83年のドラフト4位でサンディエゴ(現ロサンゼルス)・クリッパーズに指名され、開幕直前に自宅すぐ近くにホームコートがあったロサンゼルス・レイカーズへ移籍。ほどなく先発SGに定着し、2年目は3ポイント成功率43.3%でリーグ1位に立っている。スーパースターではなくとも、“ショータイム・レイカーズ”における貴重なウイングとして活躍し、87−88シーズンに自己ベストの平均21.7点をあげるなど、3度の優勝に大きく貢献した。

レイカーズではマジック・ジョンソンと仲が良く、大親友マイケル・クーパーと合わせて“三銃士”と呼ばれていた。引退後は指導者となり、2002、03年にはニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツのヘッドコーチとして2年連続カンファレンス制覇を果たすも、02年は古巣レイカーズにスウィープを食らった。その後もレイカーズを含め計4球団で指揮を執っている。
【スモールフォワード】
ジェームズ・ハーデン

1989年8月26日生。196cm・100kg
カレッジ成績:69試合、平均19.0点、5.4リバウンド、3.7アシスト
NBA成績:902試合、平均25.0点、5.5リバウンド、6.6アシスト

本来のポジションであるガードは好選手が多いため、フィジカルと万能性に長けたハーデンをSFへスライドした。大学時代も平均19.0点をあげてはいたが、どちらかと言えば2年連続でカンファレンス最多スティールを記録した守備力、そして「極めてアンセルフィッシュ」なプレースタイルが評価されていた。

2009年ドラフト3位でオクラホマシティ・サンダーに入団すると、11−12シーズンはシックスマン賞を受賞。翌シーズンの開幕直前にヒューストン・ロケッツへ移籍してからは先発に定着し、一挙に平均得点を25点以上へ上昇させた。ひげが伸びるのに合わせて得点も増え、必殺のステップバックジャンパー、そしてフリースロー獲得術も磨き、18年から3年連続でリーグ得点王。特に18−19シーズンの36.1点は、88年以降の34年間ではトップの数字である。

16−17シーズンはアシスト王、17−18シーズンはMVPにもなったが、いつの間にか手を抜くようになった守備、そしてプレーオフで結果を出せない点などが非難の対象に。昨季途中から加入したネッツではチャンピオンのみをターゲットに据えている。
【パワーフォワード】
アイザック・オースティン

1969年8月18日生。208cm・116kg
カレッジ成績:61試合、平均15.0点、7.4リバウンド、1.4アシスト
NBA成績:432試合、平均7.6点、4.7リバウンド、1.2アシスト

ガードは名選手揃いのアリゾナ州大だが、ビッグマンは人材不足で、特にPFはほとんどNBAで活躍した選手がいない。候補者としては70年代後期~80年代にプレーしたマーク・ランズバーガーとカート・ニンフィアス、そしてオースティンの3人で、その中からMIP受賞経験があるオースティンを選んだ。

91年にドラフト48位で入団したユタ・ジャズでは出場機会に恵まれず、94~96年はフランスとトルコでプレー。96−97シーズン、マイアミ・ヒートのサマーキャンプに参加した際、ヘッドコーチのパット・ライリーから評価されて3年ぶりにNBA復帰を果たした。

同年はアロンゾ・モーニングの控えセンターとして82試合にフル出場し、平均9.7点、5.8リバウンドをマーク。さほど目を惹くような数字ではなかったが、ライバル不在の状況にも助けられてMIPに輝いた。シーズン途中でクリッパーズへ移籍した翌シーズンの13.5点、7.1リバウンドが自己ベスト。その後はジャーニーマンと化し、最後は中国でもプレーした。
【センター】
アルトン・リスター

1958年10月1日生。213cm・109kg
カレッジ成績:82試合、平均12.0点、8.2リバウンド、1.6アシスト
NBA成績:953試合、平均6.6点、6.3リバウンド、1.0アシスト

アリゾナ州大出身者で唯一、NBAで確たる実績を残したビッグマンである。大学時代はリーバーやスコットと一緒にプレーし、80年のモスクワ五輪代表にも選ばれていたが、アメリカの参加ボイコットによって幻となった。

翌81年ドラフト21位でミルウォーキー・バックスに入団。得意技はブロックで、87、89年の180本を最多として、83年から7年連続でリーグトップ10に入った。シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)に移籍した86−87シーズンに自己ベストの平均11.6点、9.4リバウンドを記録。93年に一旦イタリアに活躍の場を移したがすぐNBAに戻り、39歳まで現役を継続した。

17年間も第一線でいられた秘訣は「常にハードにプレーし、チーム第一の姿勢だったから」と自己分析している。NBAでの通算リバウンドとブロックはアリゾナ州大出身者で1位。現在はフィリピンでコーチをしている。兄のジェームスもセンターで、NBA経験こそないものの海外で長く活躍した。
【シックスマン】
ジョー・コールドウェル

1941年11月1日生。196cm・88kg
カレッジ成績:83試合、平均18.3点、11.2リバウンド
NBA成績:468試合、平均15.2点、5.1リバウンド、2.7アシスト

アリゾナ州大から初めてドラフト1巡目指名され、なおかつ今に至るまで最上位で指名されたのがコールドウェル。大学での3年間(当時は1年生は出場できなかった)、毎年NCAAトーナメントに出場し、4年時には平均21.8点を記録。64年にドラフト2位の高評価でデトロイト・ピストンズに指名され、デビュー前にアメリカ代表として東京五輪に出場、金メダルを手にしている。
ポジションはSG兼SF。“ジャンピン・ジョー”と言われた跳躍力を武器としたスタイルで、1年目にオールルーキー1stチームに選ばれ、アトランタ・ホークス時代の69、70年は2年連続でオールスターに選出された。

71年にはライバルリーグであるABAのカロライナ・クーガーズへ移籍して、さらに2度の球宴出場を果たしたが、球団フロントと衝突して出場停止処分を下され、そのまま引退に追い込まれる。その点を不服として裁判に訴え、20年以上戦った末に勝訴した。その才能は、孫にあたる現役のマービン・バグリー三世(サクラメント・キングス)に受け継がれている。

なお、現役のアリゾナ州大出身者では、ハーデンのほかにサンダーのルージェンツ・ドート、今年のドラフト24位でロケッツに入団したジョシュ・クリストファーの2人がいる。

文●出野哲也

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