「自分がレジェンドだと思ったことはない」謙虚なスター、ノビツキーが築いた偉大なキャリア<DUNKSHOOT>

輝かしい実績を残したノビツキー。しかし本人は「自分がレジェンドだと思ったことは一度もない」といたって謙虚だ。(C)Getty Images
トレードや解雇が目まぐるしく繰り返されるNBAで、21年間にわたり同じフランチャイズでプレーを続けるというのは、相当に特別なことである。それを実現したのが、1998−99シーズンにNBA入りし、2018−19シーズンに引退するまでダラス・マーベリックス一筋でキャリアをまっとうしたダーク・ノビツキーだ。

このドイツ人のビッグマンは、ただ同じ球団に在籍していただけでなく、大黒柱としてチームを牽引し、球団初のチャンピオンタイトル獲得(2011年)にも貢献。その彼が背負っていた背番号41が永久欠番となることは昨年から報じられていたが、コロナ禍の影響もあってセレモニーの実現が遅れていた。

しかしいよいよ、来年1月5日にダラスで行なわれるゴールデンステイト・ウォリアーズ戦でお披露目になりそうだと、NBAの情報通マーク・ステイン記者が伝えている。マーベリックスのファンは、ノビツキーがMVPに選ばれた2011年ファイナルの対戦相手であるマイアミ・ヒート戦が最高の舞台だと期待していたようだが、今シーズンのヒート戦はすでに11月2日に終わってしまっていた。
先日発表された『NBA75周年記念チーム』の76人の1人にも選ばれているノビツキーだが、彼自身は非常に謙虚で、バスケットボールゲーム『NBA2K』の75周年記念版の表紙を、カリーム・アブドゥル・ジャバー(元ロサンゼルス・レイカーズほか)、ケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)とともに飾った際にも、「自分がレジェンドだと思ったことは一度もない」とコメントしていた。

「自分に起きたことは本当にクレイジーだ。信じられないような話だよ」

そう振り返る彼は、20歳の誕生日を迎えた直後の1998年ドラフトでミルウォーキー・バックスから1巡目9位指名を受け、その後トレードされたマーベリックスでNBAデビュー。初年度の1998−99シーズンはロックアウトが敢行されるという不運なタイミングであり、さらにドイツでは“センター並の体格で3ポイントを得意とするシュート力のあるパワーフォワード”として圧倒的な力を見せつけていたが、アメリカのフォワード陣とのマッチアップでは、フィジカル面で劣る厳しさにも対面した。
しかしそこから着実に成長し、21シーズンのキャリアで計1522試合に出場して平均20.7点、7.5リバウンド、自己最多はそれぞれ53得点、23リバウンドという素晴らしい成績をマーク。オールスターに14回出場し、2007年には欧州出身選手として初めてシーズンMVPにも選ばれた。

「自分がドイツを離れた時は、その先に何が待ち受けているのかまったく予想できなかった。欧州の選手たちにとっては、今の方が順応しやすいように思う。このリーグで自分が成長できるのか、果たして自分はここでやっていけるほど強いのか、才能があるのか。まったくわからなかった。だからこそ、その後のキャリアをダラスでプレーし続けることができたことは本当に幸せであり、誇りに思っている。ひとつのフランチャイズで全うできたのは、自分にとって非常に特別で、栄誉なことなんだ」
ノビツキーはインタビューで「自分が入団した当時は、アメリカ以外の国から来た選手がチームの中心人物となることは稀だった」と語っているが、彼こそがそのパイオニアの1人だ。

今ではギリシャ出身のヤニス・アテトクンボ(バックス)が2年連続でシーズンMVPとなり、昨季もセルビア出身のニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ)がMVP受賞と、3年続けて欧州出身のプレーヤーがMVPに選ばれた。昨季のオールNBA1stチーム5人のうち3人が欧州出身選手で(アテトクンボ、ヨキッチ、ルカ・ドンチッチ)、最優秀ディフェンダーもフランス人のルディ・ゴベア(ユタ・ジャズ)だ。

そしてノビツキーの古巣では現在、スロベニア人のドンチッチがエースとしてチームを牽引している。

「ルカのプレーを観ると、いつもスペシャルだと感じる」。ノビツキーはそう話す。

「彼はとても面白い選手だ。本人も何をしようとしているのかわからずやっていることもあるように思う。彼はゲームに驚きを与えることに長けているんだ。まだ22歳だが、すでに信じられないほどのレベルに達していて、怖いくらいだよ。コートに立つ姿、シュートを打つ姿、ピック&ロールを分析して、自分より小さい背中を見つけてそこから点を奪う姿……。この2年間もすでにMVP候補だったし、オールNBA1stチームにも入っていた。彼には長いキャリアが待っている。彼がキャリアを通してマブズに留まってくれることを願うよ」
そして「クリスタプス・ポルジンギスを5番(センター)で使い、よりエリアを広げてプレーする今のNBAでプレーしてみたい」と思ったりもするそうだ。

ノビツキーは現在もダラスに住み続けている。引退した後、新型コロナウイルスのパンデミックが発生する前は、これまで21年間もご無沙汰していた家族や親戚たちに会いに行く旅を重ねていた。特に、スウェーデン生まれでケニアにもルーツがある彼の妻の親族は各国に散らばっていて、彼らを訪ねて世界中を飛び回っていたそうだ。

2020−21シーズンの前に、スティーブ・ナッシュがブルックリン・ネッツのヘッドコーチに就任した時は、1998年にともにマーベリックスに入団した同期の旧友から直々にアシスタントコーチになってほしいと懇願された。4歳違いのナッシュとは、外国人選手同士、絆を築いた仲だ。

「でも自分にとってはやっぱり、マブズと仕事することが一番しっくりくる」という理由でノビツキーは誘いを固辞した。もとより、指導者としての自分の姿はあまり想像できないのだと、昨年夏のインタビューで語っている。
しかし「スティーブもコーチになることを思い描いていたわけではなかったが、その機会がタイミングとともに訪れた。だから何事も、『絶対ない』とは言えないけれどね」と、指導者となる可能性も完全には除外していない。

今年6月にはマーベリックスの特別アドバイザーに就任。長年ドイツ代表を支えてきた彼は、国際バスケットボール連盟FIBAの選手会会長であり、来年9月にチェコ、ジョージア、イタリア、そして祖国のドイツで共催されるユーロバスケットではアンバサダーも務める。

「このスポーツで、自分は成功し、素晴らしい人生やキャリアを手にすることができた。だからこれからは、この競技に恩返しがしたいんだ」

あの“片足フェイダウェイ”でバスケットボール史にレガシーを残したノビツキーは、これからのセカンドキャリアでも、バスケ界に存分に尽力してくれることだろう。

文●小川由紀子

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