【前編】甲子園で仙台育英が決勝に進んだ33年前、当時の決勝メンバーが再会
「地獄で待ってるぞ」唯一の2年生レギュラーの思い
――優勝メンバーだから合宿は免除にならないんですか?
中村さん:ならないならない!しかも合宿が地獄で…。甲子園に行かない同期のメンバーからは「先に地獄で待ってるぞ」って散々脅されていました。アウトカウントが増えていくたびになんか変な気持ちになっちゃって…。せめて砂くらいは持って帰りたいって思っていたんだけど、禁止されてるから、守備の間にちょっとずつ拾ってポケットに入れてました。最悪なのが、それがテレビに映されてて、「やはり優勝を前にして落ち着かない様子です」とか言われちゃって(笑)。
――それはちょっと恥ずかしいですね。ショートで出場した冨沢さんですが、当時の様子はどんな感じだったんですか?
冨沢:特にあのときの帝京はちょうど夏の大会に入る前に、エースピッチャーの吉岡がケガしたんですよ。足をくじいちゃって。それで、4番でエースだったので、俺らがやるしかないと。奮起して、俺らでなんとかしようっていうミーティングをやり始めたんです。それが功を奏して、ずっとそれでやってきたんです。もちろん2番手のピッチャーが頑張ってくれたのもあるんだけど。監督は交えずに生徒たちだけでミーティングをしていたんです。そりゃ鮮明に覚えてますよ。
村上:前田監督は抜きで?
冨沢:そうそう。いまさら監督に技術的な指示を出されても急に打てるようになるわけじゃないからね。
村上:あのとき、どんなこと話してたの?
冨沢:技術的なことっていうよりも、やっぱり精神的な部分。あとは選手が大越の球を見て感じたものっていうのを話し合いましたから。スライダーいいねとか。まっすぐで押してくるねみたいな、そんな話、それを個人でどう対応してくるかっていうのを考えていこうっていう話をした。
【後編】甲子園で仙台育英が決勝に進んだ33年前、当時の決勝メンバーが本気で語り合う
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