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【前編】甲子園で仙台育英が決勝に進んだ33年前、当時の決勝メンバーが再会

2022年の甲子園決勝、仙台育英高校が下関国際高等学校を破り、東北勢初となる栄冠を手にした。2018年の金足農業、2015年仙台育英、2011、2012年光星学院、2003年東北、1989年仙台育英、1971年磐城、1969年三沢、そして第一回大会の1915年秋田中である。
実に9回のチャレンジを経て10度目で念願叶った訳である。

これまでも何度も東北勢は決勝まで進みながら、勝てなかった。平成元年、33年前もそうだ。だが、確かにあのとき、大優勝旗は確かに東北の地に「わたりかけた」のだ。あの試合の当事者たちは何を思うのだろうか。

仙台市の繁華街・国分町のほど近い「あづま寿司」。ここは野球好きが集う知る人ぞ知る店だ。店主の村上重寿さんの握る寿司もさることながら、店内を彩る甲子園のペナントやポスターに目が行く。そのどれもが1989年のものが多い。そう、村上さんは「あの年」の甲子園球児だ。仙台育英の二塁を守っていたのが村上さんだ。

そんなあづま寿司には村上さんを慕って、多くの野球関係者が訪れる。この日もカウンターは社会人野球で活躍した選手や仙台育英野球部の後輩で満席だ。入れ替わるように、過去の社会人野球の強豪・熊谷組でピッチャーを務めていた大ベテランがカウンターに腰掛ける。村上さんが「あれ、見る?」と声をかけるとともに背中の棚が開く。そこには甲子園や社会人野球など、過去の様々な試合がおさめられたDVDがずらり。東北の海の幸を肴に野球談義に花を咲かせるのがあづま寿司の魅力だ。

その時、入り口の引き戸がガラガラと開いた。入ってきたのは、この店をしばしば訪れるという冨沢仁さん。帝京高校のショートを守っていた。「あの年」の優勝メンバーだ。2人が出逢えば話すことは一つ。1989年の試合のことだ。(聞き手:豊岡正貴)

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(左から、豊岡、冨沢さん、村上さん)

初優勝、名物OBは9回裏で涙した

――ようやく仙台育英が優勝しましたね。東北勢初優勝をどう感じていますか?

村上:野球はスリーアウトチェンジまでわからない。俺らはそうやって教わったから、安心できなかったんですよ。実は、九回に、トミー(冨沢さん)から連絡を受け「もう勝ちだぞ」「もう喜んでいいんだよ」って。

冨沢:そうそう。そうしたらね…。

村上:優勝の瞬間に…こう…ぶわっとね…

冨沢:嘘泣きが出ちゃったんだよな。

村上:本物だよ!

その年の決勝戦は、4番ピッチャー吉岡が率いる強力打線の帝京高校が前評判通り打ち続け順当に決勝まで進んだ。一方の仙台育英は3回戦で弘前工に2−1で辛勝、準々決勝では巨人で活躍した元木大介率いる上宮に10−2で大勝したものの準決勝では尽誠学園に3−2と再度辛勝しようやく決勝まで辿り着いた。

決勝戦は大方の予想を裏切り両チームはホームベースを踏めぬまま0−0で9回を終え、延長戦にもつれ込んだ。そして、宮城県大会をほぼひとりで投げきり、甲子園でもひとりで投げ続けた大越投手は力尽き、10回に2点を失った。

村上:あのときの甲子園は仙台育英の大越(後に福岡ダイエーホークス)と帝京の吉岡(後にジャイアンツ)でしょ?他には上宮高校に元木(大介)がいてね。あの3人が注目された大会だったかな。そもそも当時の俺たちはさ、決勝まで行くって思ってなかったもん。県大会の東陵高校で2対1でようやく勝って、甲子園に出れたんだけど、それも東陵のエラーでたまたま点が入っちゃった(笑)。

冨沢:でも決勝まで上がってくるんだからやっぱり大したもんだよ。帝京からすると東京予選を勝ち上がってきた自負がどうしてもある。だから絶対負けたくないって思っちゃうんだよな。

当時のことは鮮明に…

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――当時のことは鮮明に覚えてるんですか?

村上:覚えてるよ。もちろん。俺、デッドボール食らったし。

冨沢:あれ、吉岡(帝京のピッチャー)覚えてないんだって(笑)あ、あとさ、優勝チームってあの当時は砂持って帰れないんだよ?

村上:そうなの??

冨沢:持って帰っちゃいけないんじゃなくて、タイミングがないんだよ。写真撮影とかインタビューとかあって、持って帰る時間がないの。まあ負けたとしても、当時の(帝京の)前田(三夫)監督が「お前ら、もう一度甲子園に戻ってくる気がないのか!」って言うもんだから、持って帰られないんだよな(笑)。なあ、ヒデ!

「ヒデ」と冨沢さんが声をかけたのは、あづま寿司を訪れていた元帝京高校野球部の中村英則さん。2年生で唯一のレギュラーとして、セカンドで出場、冨沢さんとは二遊間を守っていた。

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中村さん:僕は優勝する時、実は複雑な気持ちで。僕だけ2年生だったんですが、優勝が決まると、新聞社への挨拶が終わり次第、2年生達の合宿に参加しないといけないんです…。優勝のときも、3年生はクライマックスを迎えて感極まっている中、ずっと僕だけ「終わっちゃった…」って思ってました。


(次のページ「『地獄で待ってるぞ』唯一の2年生レギュラーの思い」へつづく)

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