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【2000~15ドラフト総検証:第3回】MVP2人輩出の13年西武、投打の主軸が育った10年ソフトバンク。最も「豊作」だったのは?<SLUGGER>

森(左)は高卒、山川(右)は大卒だが、実は13年ドラフトの同期生。同じドラフトで将来の主砲2人を引き当てた西武は「大成功」だろう。写真:金子拓弥(THE DIGEST写真部)、徳原隆元
今回は、2000~15年のドラフトで「何年のどのチームが豊作だったか」を見ていく。まず、各ドラフトにおける合計プレーヤーズ・バリュー(PV)をチーム単位で振り返ると、上位5位までは以下のようになる。

1位 2000年巨人(通算PV664.3)
2位 2010年ソフトバンク(564.2)
3位 2006年巨人(534.5)
4位 2010年ヤクルト(498.8)
5位 2001年西武(361.9)

これは第1回の選手別ベスト5とは順位が違うだけで、上位4つは指名した年も球団もまったく同一である。阿部慎之助や坂本勇人(いずれも巨人)のような歴史に残る名選手が1人でも出れば、他が戦力にならなくとも数字上は大当たりなのだ。

ただし、厳密な意味で豊作と捉えるかどうかは見解が分かれる。「大当たり」の選手が1人出るよりは、「当たり」の選手が2~3人出る方が成果が大きいと考えられるからだ。従ってここでは、「通算PV50.0以上の選手が複数出た球団」を豊作ドラフトとして挙げていく。この定義に該当するのは以下の6チームだ。

▼01年西武(合計PV361.9)

2位の中村剛也は本塁打王を6度獲得し、通算PVも275.0。11年には球界全体が飛ばない統一球に苦しむなかで、48本塁打を量産し、リーグ1位のPV54.0を稼いだ。4位指名の栗山巧も21年に通算2000安打を達成し、通算PVは92.7だ。

01年のドラフト指名選手全体、通算PV1位は中村で、杉内俊哉(ダイエー3位)を挟んで栗山が3位に入っている。1位指名の細川亨(−39.9/西武在籍時のみ)もPVこそマイナスだが853試合に出場。キャリア通算では1428試合で、同一年のドラフトで3人が1000試合を達成するのは稀有な例だ。
▼05年中日(177.5)

希望入団枠で獲得した吉見一起は09年、11年と2度最多勝を獲得。11年のPV29.8はリーグ4位で、通算90.4は05年ドラフトで全体2位。高校生ドラフト1位の平田良介はリーグ3位の打率.329を記録した18年の25.6が自己ベストで、通算でも84.7と吉見に匹敵する数字を残している。大学・社会人ドラフト3位の藤井淳志(通算PV−13.2)も、強肩を生かした外野守備を武器に通算1094試合に出場。プロ16年目の昨季限りで引退した。

▼05年オリックス(175.2)

通算PV50以上の選手を3人輩出しており、これは00年以降で唯一の例。高校生ドラフト1位の岡田貴弘(T−岡田)は10年にリーグ最多の33本塁打を放ち、PVも自己ベストの25.6を記録。毎年の成績にはかなり波があるが、通算の数値も65.3と上々だ。

希望入団枠の平野佳寿も、14年に40セーブでタイトル獲得。メジャーでの3年間を挟んでチームに復帰し、現時点で通算PVは57.2に達する。3位の岸田護も09年に先発として2ケタ勝利、11年には抑えとして33セーブを挙げるなど役割を問わずに活躍し、通算58.1は現時点の平野を上回る数字だ。

▼06年広島(300.8)

大学・社会人ドラフトでは有力な選手が出なかったが、高校ドラフトは1位が前田健太、3位は會澤翼と大成功。前田は3度も最優秀防御率を獲得し、PVも10年の46.0を最多として25.0以上が5回。メジャー移籍までに通算186.4を記録した。これは06年ドラフト組では坂本勇人(533.3/巨人)に次ぐ数字だ。

會澤はレギュラーになるまで時間はかかったものの捕手としてはかなりの打力を誇り、18年(打率.305、13本塁打)はリーグ8位のPV36.8。翌19年は出塁率.387(7位)、PV33.7は4位にランクされ、通算でも114.4を叩き出している。

▼10年ソフトバンク(564.2)

1位の山下斐紹(PV−1.5)は大成しないまま18年にトレードで放出されたが、2位の柳田(446.0)に加え、育成4位で千賀滉大(110.7)と、後に投打の主軸に成長する2人が入団。井口資仁や松中信彦を指名した96年の合計504.4を超える、ホークス史上最高の成果となった。

▼13年西武(349.1)

この年のドラフトは桐光学園高の松井裕樹(5球団競合)、九州共立大の大瀬良大地(3球団)、東京ガスの石川歩(2球団)に人気が集中。3人ともプロで成功を収めたが、PV1位は西武が一本釣りに成功した大阪桐蔭高の森友哉だ。

19年に捕手としてはパ・リーグ54年ぶりの首位打者となってMVPを獲得し、PV77.0もリーグベストだった。21年も60.9で2度目の1位、通算では242.2に達している。また、2位指名の山川穂高も松井、大瀬良、石川よりもPVが高く、通算106.7。18年にはMVPも獲得しており、PV100以上が2人出るドラフトは00年以降で3組目である。
豊作のチームがあれば、当然不作のチームもある。豊作の判断基準は合計値で判断できるが、不作は単にマイナスPVが最も多かったチーム、ということにはならない。なぜかと言えば、第1回で述べたように、PVはリーグ平均の選手と比較した数字であって、マイナスだからといって、必ずしもチームに損失をもたらしたことを意味しないからだ。

一軍で多くの試合に出場した結果、マイナスになることもある。そういった選手が一軍の試合に出られず「PVがマイナスになる機会」すらない選手に比べれば、実力が上であるのは言うまでもない。

したがって「一番の不作」をPVで判断するには、一軍出場数の総数が少なく、なおかつPVが低いチーム、ということになる。その条件に最も合致したのが次の3チームだ。

▼ワースト3位:01年横浜(255試合、合計PV0.5)

指名した5人全員が一軍出場を果たしたものの、最も多い小田嶋政邦(2位)でも通算105試合(横浜在籍時)にしか出ていない。PVは田崎昌弘(5位)が0.3、9試合に投げただけの千葉英貴(6位)が0.2で、合わせてプラスは0.5でしかなかった。
▼ワースト2位:03年広島(249試合、PV1.2)

指名選手4人全員が一軍で出場し、特に4位の尾形佳紀は2年目に打率.303/PV10.0と活躍した。ところが右ヒザの度重なる故障によって大成できず、プロ生活は6年、通算147試合/PV1.2で終わってしまった。

1位指名の白濱裕太はまだ現役だが、18年間で通算86試合に出たのみ(PV−7.7)。2位指名の比嘉寿光も8試合のみの出場で、ともに通算2000安打を達成した早稲田大の同期だった青木宣親、鳥谷敬に大きく水をあけられてしまった。

▼ワースト1位:14年ヤクルト(105試合、PV0.0)

スワローズファンはもちろん、他球団のファンからも「暗黒ドラフト」と呼ばれているのがこの年。指名した8人中3人は一軍未出場のまま引退。残りの5人のうち4人が10試合未満、全員合わせて出場105試合でプラスPVも皆無だった。

即戦力との触れ込みだった1位の竹下真吾(ヤマハ)は二軍ですら好成績を残せずわずか3年で戦力外。ただ一人、一軍出場試合数が2ケタに達した2位指名の風張蓮も88試合に登板して2勝/PV−21.4で20年限りで退団したことで、ドラフトからわずか6年で全員がチームを去ってしまった。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB——“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球「ドラフト」総検証1965−』(いずれも言視舎)。

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