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陸上・高野大樹&寺田明日香「世界のトップに近づくように」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

鮮明に蘇るあの場面—

2021年6月、日本グランプリシリーズ鳥取大会男子100m決勝。ゴールを駆け抜けた山縣亮太が、9秒95の日本新記録を樹立したあの時—

日本人選手、21年ぶりの快挙!2021年8月、現役復帰からわずか2年、女子100mハードルの寺田明日香が、東京オリンピック準決勝の舞台に立ったあの時—

そんな歴史が動いた瞬間、いつもその陰で見守る男の姿があった。高野大樹、32歳(2021年当時)、プロ陸上コーチ。選手の繊細な感覚に寄り添う指導法で、数多のアスリートをトップレベルの舞台に送り出してきた、若き名伯楽だ。その高野が今、新たな挑戦に踏み出していた。目指す相手は世界!

早朝の慶應大学、日吉キャンパス。高野は学生たちの中に混じって現れた。すぐに陸上競技場へと向かう。大学の競争部でコーチを務めている彼は、学生たちが授業を受ける時間帯に、学外の様々な選手の指導を行っている。その一人が、日本最速のスプリンター・山縣亮太選手である。取材当時、右膝手術後のリハビリに力を入れていた山縣は、走るトレーニングは一切行っていなかった。それでも焦る様子はない。高野の膨大な知識量と指導法に、全幅の信頼を置いていたからだ。

学生時代に自身もハードラーとして活動した高野大樹だが、その実力は、インターハイ出場経験も無い平凡なものだった。

「将来は体育の教師にでもなるか、という感じでした」

そのために進学した大学、大学院では、体の仕組みや動作を追求する<運動学>を専攻。これが図らずも、指導者としての高野のベースとなっていた。

卒業後、定時制高校で体育教師を務める高野は、たまたまの出会いでパラアスリートの高桑早生選手の練習を診るようになった。その彼女が、高野のアドバイスでみるみる記録を伸ばし、なんとリオデジャネイロパラリンピックへの出場を果たしたのだ。高野は名誉を感じると同時に、複雑な思いに悩まされる。

「教員という仕事をやりながら、彼女を教える。それで世界のトップを目指すというのはあまりにも彼女に失礼じゃないかと思ったんです。彼女はそれでご飯を食べているわけで、それに対し、片手間みたいな距離のあるコーチングって、それは、本物のコーチングではないし・・・ 運命共同体にならないといけないんですよ」

プロコーチとして独立する選択肢が脳裏に浮かぶ。しかし高野は当時、結婚したばかり。教師という安定した職を捨てることには、当然迷いも出る。そんな時、背中を押してくれたのは、新妻の恵理さんだった。

「経済面とか問題もあると思いますが、先のことで不安になるよりも、自分のベストだと思う道に進んで欲しくて・・・その方が、絶対良い方向に向くと思いました」

高野はついに退路を断って、指導者の道へと進む。だからひた向きに研鑽を積んだ。今も彼の自宅の書斎には、膨大な資料や専門書が山積みになっている。

「読める本はすべて読んで・・・ コーチの仕事は、速くなる教え方だけでなく、トレーニングの組み方とか、どういう動きがケガにつながるとか、全方位で考えていかなくてはならないんです。今も新しい書籍が出れば必ず目を通しますし、解らないことが出れば、納得いくまで調べています」

東京オリンピック100mハードル、セミファイナリスト・寺田明日香は、数奇な運命を辿ったアスリートだ。元々将来を期待される選手だった彼女は、ケガで一度は引退を余儀なくされてしまう。その後、結婚、出産を経て、再び寺田明日香の名がクローズアップされる。ラグビー選手としてオリンピック出場を目指す姿が話題となったのだ。だがその間も、寺田の心には陸上、ハードルへの思いが潜んでいた。

そして2018年、28歳になった彼女は陸上界に電撃復帰する。2年後(延期以前)の東京オリンピック出場を目指して。その挑戦を無謀と呼ぶ者も少なくなかった。5年以上のブランクを、たった2年で埋め、さらに進化を遂げなくては、オリンピック出場など、夢のまた夢・・・ そんな時、寺田は、プロコーチ・高野大樹と出会った—

当時、高野は寺田の走りを一目見て、すぐに欠点を指摘したという。寺田には、ハードルを飛ぶ際、足が横から出る癖が染みついていた。これでは体に無理な捻じれが生じ、タイムロスを引き起こしてしまう。その矯正のため、高野が寺田に課したのは、気が遠くなるような地道な練習だった。しかも半年間、休むことなく毎日・・・ だがその努力はすぐに結果となって表れた。

復帰後わずか10カ月で、当時の日本記録を更新。日本人女性として初めて12秒台をマークした。そして承知の通り、31歳となった2021年には、念願の東京オリンピック出場を果たし、準決勝に進出する。目標のファイナリストには届かなかったが、日本人選手としては、21年ぶりとなる快挙だった。

2022年4月下旬高野と寺田の姿は広島県にあった。

東京オリンピック後、初の実戦レースの場に選んだ、織田記念陸上(※略称)に出場するためだ。しかし、降りしきる雨の影響でコンディションは悪化。寺田は大事を取って、このレースを棄権する。2年後のパリオリンピックを見据えた、高野の判断だった。

「これから世界で戦うためには、ニュー寺田明日香にならないといけない。それを考えると、今は無理していく状態ではないんです」

この時から遡ること数カ月、2022年に入り、寺田明日香と高野大樹は、パリオリンピックでのファイナリストを目指し、二人三脚で再始動していた。高野がまず着手したのは、改めて彼女の走りを詳細に分析すること。寺田のベストタイムは12秒87。メダリストとの差は0.3秒に迫っている。そこで高野は、1秒間に260コマ撮影できる特殊なカメラを用い、走りを1歩ごと細かく分析し、1000分の1秒単位でその差の理由を探る。結果・・・ ある事実が明確になってきた。

「100分の2秒ですね」

それは、寺田と世界記録保持者が、ハードル一台を飛ぶにあたって付く差だった。

「簡単に言えば、1台につき100分の2秒縮めることができれば、寺田は世界のメダリストになれるんですよ。これをどう捉えるかなんですけどね」

わずか100分の2秒・・・ しかしその差を埋めるのは容易ではない。高野に厳しい課題が突き付けられる。

高野は、そのタイム差がどこから生じるのか、研究を重ねる。導き出したのは、ハードリングの滞空時間。そこで高野は、再び寺田のフォームを改造する決断を下した。2人は、体の細かな動きまで徹底的に話し合う。特に高野は、寺田のアスリートとしての繊細な感覚を大事にし、彼女の言葉を一言たりとも聞き逃さず、その感覚に寄り添って練習メニューを組み立てていった。

「選手が自分の体の構造まで理解した上で、やるべきことが出来るというのが大事で、勢いでやったら出来ちゃったというのは、意味が全然違います」

そして2人が共通認識を持って研鑽を積む先にだけ、ゴールが見えるのだと言う。

再び、地道でハードな練習の日々。今もまだ、試行錯誤の段階だ。練習の合間、寺田明日香に、リスクも伴うフォーム改造について聞いてみた。

「ガラッと動きを変えると、今までの感覚も変わってくるので、自分がどれくらいで走れているかわからなくなる。そこはちょっと不安な面もあるのですが、ちゃんとできた時には、どうなるのか期待もあって・・・私はそこに賭けています」

4月下旬のレースを棄権してから間もなく、寺田はシーズン初戦を迎える。不安を抱えながら走り切ったその記録は、13秒07・・・自己ベストには程遠い。しかし、レースを見守った高野も、レースを走り切った寺田自身も、前向きな笑みを浮かべていた。

「僕も寺田も確実に変化は感じ取れたので、じっくり分析して、1歩でも2歩でも・・・半歩でも、世界のトップに近づけるように熱心に研究して、熱心に練習していきたい」

2年後のパリオリンピックに照準を合わせる寺田明日香、そして高野大樹。世界との差、100分の2秒を追求する2人の闘いは、スタートを切ったばかりだ。

TEXT/小此木聡(放送作家)

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