すでに幼稚園で習っている ゴルフマナーの本質とは?
「自分がされたら嫌なことを人にしてはいけません!」
担任だったM先生が言っていました。幼稚園のときの記憶です。シンプルでとてもわかりやすい教えですね。
いまでもこの教えに「その通り」と胸を張って答える人はどれくらいの比率で存在するでしょうか? 道徳や倫理観は時代と共に移り変わるものですが、できれば同感と思う人が多数派であってほしいものです。なぜこんなことを書くのかというと、人生の最初期に誰しもが教わることとゴルフマナーとは、本質的に同じものだからです。
目土袋に目土を入れるのが、スタートホールでゴルフのスイッチを入れる儀式になっています。
「ディボットを埋めるわけね」なんて、物知り顔で言う人がいますが、ディボットはショットなどで切り取られた芝生のことで、目土するのはディボット跡です。目土をすることで、穴が空いた芝生が復活する期間を短くすることができます。芝生の保護というわけですが、ディボット跡を放置すれば、そこに他の人のボールが入ってしまうことがあるので、それを防ぐためというのも目土の重要な目的のひとつですね。
第1打目を打った時にティが折れたとします。折れたティを拾ってゴミ箱か、なければティマークの根元に置きます。管理スタッフが芝を刈るときに、負担を減らすのと、芝刈り機の刃を傷めないためです。木製のティなら大丈夫というのは都市伝説ですべてのティペグが対象です。
バンカーにボールが入ったら、打った後に自分の足跡、打った跡をバンカーレーキで均します。近くにバンカーレーキがない場合は、足を使ってサッときれいに均すこともありです。当たり前ですが、均さずに放置すればその凸凹にボールがハマり、後からプレーする人が苦労してしまうことがあるからです。
グリーンに乗ったらボールマークを修復します。グリーンフォークを使うのが定番ですが、ティを使って直すこともできます。ボールマークを放置すれば、その跡の形に芝生は枯れてしまいます。そのまま放置することに比べたら、ティでも良いので使って修復するのが正解。
こういう話を書くと、カッコつけの自己満足ですよね、みたいな意見が必ず出ます。そんなに良いものではありません。人の家のトイレを借りたときに、きれいに使うようにするのは当たり前ですし、使用後に流すのも常識で、カッコつけでも自己満足でもありません。自分の家のトイレを貸して、きれいに使用し普通に流した人にカッコ付けの自己満足と指摘するのでしょうか?問題の本質は同じはず。
バンカーを均さなかったり、ゴルフコース上で自分の後始末をしないのは、トイレを流さないで平気な行為とまったく同じです。
ゴルフコースで善行を積むのは当たり前のことで、立つ鳥跡を濁さず、なのですが、同時に“情けは人のためならず”です。つまり、巡り巡って善行はいつか必ず自分に戻ってきます。みんながきれいに後始末したら、次に自分がバンカーに入った時もきれいな状態のはず。だから頑張れるのです。
イタズラのドッキリのように、見られていることがわかっていれば動ける、という人は多いのですが、赤信号みんなで渡れば怖くない的に、仲間意識でスルーする現実は変わらないようです。やればわかる。誰も見ていないときのほうが、善行を積む行動が効果的に感じるものです。正直に書くと、ひとりでひっそり後始末を当たり前にしているときに、照れ笑いをしているときがあります。
自分で行動はしないのに「コースが荒れていて、ゴルフにならない!」と怒っている人を見るたびに、放置した悪行も因果応報で、いずれその人に戻っていくのだ、と同情します。ゴルフマナーを学ぶことは、人格形成や共同体の中で生きていく上でとても有益なもの。
いま一度基本に立ち返ってみてはいかがでしょう?
幼稚園を卒園して半世紀が過ぎました。ゴルフコースで、今でも時々「自分がされたら嫌なことを人にしてはいけません!」というM先生の声が聞こえる気がするのです。
(取材/文・篠原嗣典)
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