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「ハセさん、ありがとう」長谷川勇也がホークスに残した“レガシー”<SLUGGER>

2010年代を代表する打撃職人・長谷川が引退を決断。その研鑽を続ける姿勢は、時に怖さも与えたが、すべてはホークスの成長のためのものだった。写真:THE DIGEST編集部
鷹の打撃職人・長谷川勇也は2021年シーズンをもって現役を引退した。10月21日、西武とのホーム最終戦が長谷川の引退試合となった。多くのファンが駆け付け、チームメイトや後輩たちも最後の雄姿を目に焼き付けた。

チームはCS進出へ向け、一戦も負けられない緊迫した試合が続いていた。長谷川に用意された最後の打席は0対0で迎えた7回1死二塁、喉から手が出るほど1点が欲しい先制のチャンスでの代打だった。

身体がボロボロになって引退する選手がコールされる場面だとは到底思えなかった。長谷川の強い気持ちに、勝利を託した首脳陣からの厚い信頼と敬意さえ感じられた。結果は一塁ゴロに終わったが、文字通り執念のヘッドスライディング。長谷川の消えぬ闘志に、球場全体が胸を熱くした。ベンチで涙するナインの姿が、長谷川の偉大さを物語っていた。

【動画】気迫のヘッドスライディング! 長谷川の“現役最後”の雄姿を見届けよう!

酒田南高から専修大を経て、2006年の大学・社会人ドラフト5巡目でホークスに入団。13年には打率.341で首位打者、198安打で最多安打の二冠に輝いた。この年の活躍は、長谷川を語る上で必ずスポットが当たる輝かしい軌跡だ。しかし翌年、右足首を負傷。その傷が選手生命に大きな影響を及ぼし、引退するまで長谷川を悩ませることとなってしまった。

16年には通算1000本安打を達成し、また一つ偉大な功績を残したが、翌年からは二軍暮らしが長くなり、出場機会は減少。それでも変わらず黙々とバットを振り、自らの技を磨き続けたが、出番の多くが代打の切り札としての難しい場面。その一打にかける思い、打席に向かう心境を、長谷川は「崖から飛び降りるような気持ち」と表現したこともあった。

他を寄せ付けぬオーラをまとい、集中力を研ぎ澄ます姿はまさに侍のよう。右足首の状態も不安定だったが、長谷川は問題ないことをアピールするかのように積極的な走塁、力強いスライディングを見せる場面も目立った。まさに気持ちで、打ち、走り、守っていた。

18年オフの契約更改では、「若い選手に負けるとはさらさら思ってない」「意識の高い(若手)選手がいない」と、二軍でともに過ごす時間が増えた若手に苦言を呈していた。球界の世代交代の流れを感じつつも、それに劣らぬ確かな努力と技術がそこにはあった。それでも、年々ベテランのチャンスは減っていく……。歯がゆさを感じていたはずだ。
そんな長谷川の背中を見て、変化を見せる若鷹も徐々に出てきた。一軍に昇格できない選手たちにはそれぞれ課題がある。長谷川は、質問されたことには身振り手振りで助言を送ってきた。ある時は、練習後の汗を流していた風呂場で若鷹に打撃のことで相談を受けた。すると、再び練習場へ誘い出し、ともにバットを振りながら熱弁をふるったのだった。

本気で取り組む選手には、誰であろうが本気で向き合う男。そして、長谷川に息をかけられた選手は面白いようにトンネルを抜け出し、状態を上げていった。今シーズン、一軍での出場を得るようになったリチャード、柳町達、佐藤直樹……多くの選手が「ハセさんのおかげで」と感謝した。

近寄りがたかった寡黙な職人は、いつしか若鷹たちが「ハセさん、ハセさん」と慕い、教えを乞う存在になっていた。
主力として成長著しい栗原陵矢は、来季から長谷川が背負ってきた背番号24を継承することになった。慕ってきた長谷川に自ら志願し、受け継ぐことになったという。長谷川が打ち立てた、198安打でのチーム最多安打記録を塗り替えると意気込んだ栗原。決意の大きさがにじんでいた。

そして長谷川は、自身の記録を破ってくれるような選手を指導する側に回ることとなった。引退からあまり時間が経たぬうちに、一軍打撃コーチとして再びユニフォームに袖を通した。

長谷川勇也の物語は止まることはない。立場が変わっても、決して変わらぬ野球への情熱と一打にかける魂。 長谷川勇也こそ、ホークスが常勝軍団であるために語り継がれるべき存在ではないか。

取材・文●上杉あずさ(タレント)

【著者プロフィール】
ワタナベエンターテインメント所属。RKBラジオ「ホークス&スポーツ」パーソナリティやJ:COM九州「ガンガンホークス CHECK!GO!」リポーターとしてホークスを一軍から三軍まで取材。趣味はアマチュア野球観戦。草野球チーム「福岡ハードバンクポークス」の選手兼任監督を務める。

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