サッカー日本代表の歴代監督の名前や実績を徹底解説!

サッカー 日本代表 監督 歴代
サッカーの日本代表と言えば、日本のスポーツ界でもかなり注目される存在ですよね。

アジアカップやコンフェデレーションズカップなどの大きな大会はもちろんですが、やはりワールドカップの最終予選やワールドカップ本選の試合は日本中の人々が熱狂するほどです。

そんなサッカー日本代表では、選手だけではなく「監督」にも大きな注目が集まります。

これまでもかなり個性的な人が日本代表監督を務めてきました。

この記事では、そんな「サッカー日本代表の歴代監督の名前や実績」について解説していきたいと思います。

サッカー日本代表の歴代監督の名前や実績

日本サッカーの歴史を振り返る時、やはり転換期と言えるのが「Jリーグ開幕」でしょう。

この時期から、明らかに日本サッカーは急激に進歩していきました。

そして、日本代表も次々に本格的な外国人監督を招聘し、その強さを高めていったのです。

ハンス・オフト監督

1992年5月~1993年10月まで日本代表の監督を務めたのが「ハンス・オフト監督」です。

それまでアマチュアであった日本サッカーを、初めての外国人監督としてレベルアップさせました。

基本フォーメーションは「4−4−2」で、中盤をダイヤモンド型に配置するという特徴がありました。

33試合を指揮し、16勝9敗8分というまずまずの戦績を残しましたが、残念ながら「ドーハの悲劇」によってアジア最終予選を突破することはできませんでした。

しかし、日本サッカーを1歩前進させたという意味では、非常に存在意義の高い監督だったと言えるでしょう。

ファルカン監督

ジーコやソクラテス、トニーニョ・セレーゾと共に「黄金のカルテット」と呼ばた元世界的な名手で、1994年5月~1994年10月の間監督を務めました。

いわゆる「ドーハ組」を半数以下に減らし、一気に若返りを進めた監督でもありました。

基本フォーメーションは、「4−4−2」ですが、当時では最先端のフォーメーションであるダブルボランチシステムを採用していました。

ゾーンプレスとショートカウンターを推し進めましたが、3勝2敗4分と結果が出ずに早々に退任しました。

加茂周監督

日本国内で抜群の実績を持っていた加茂周監督がファルカンの後を継ぎ監督に就任します。(1997年まで)

基本フォーメーションは、「4ー4−2」で、ダブルボランチシステムを採用しています。

24勝14敗8分となかなかの好成績を残しましたが、1997年に行われたワールドカップ最終予選の成績が芳しくなく、予選途中で解任されてしまいました。

岡田武史監督

加茂監督の解任を受けて監督に就任したのが「岡田武史監督」です。

就任期間は1997年~1998年の期間となります。

それまで加茂監督の下でコーチをしていましたが、昇格という形で監督経験ゼロにもかかわらず日本の命運を託されたのです。

9勝6敗4分とまずまずの成績を残し、「ジョホールバルの奇跡」によって日本代表を初めてのワールドカップへと導きました。

基本フォーメーションは、「3−5−2」で、ダブルボランチにトップ下を1人置くシステムで戦うことが多くありました。

残念ながらワールドカップの本選では、3戦全敗となり、退任することとなりました。

フィリップ・トルシエ監督

日本サッカー協会は、アーセンベンゲル監督の招聘に失敗をしましたが、そのベンゲル監督の推薦によって就任したのが「フィリップ・トルシエ監督」です。

1998年から2002年の4年間監督を務めました。

ユース年代やオリンピック年代もフル代表とともに兼任し、小野、稲本、高原といったいわゆる「黄金世代」を率いて戦いました。

基本フォーメーションは前任の岡田監督と同じ「3−5−2」で、ダブルボランチにトップ下を1人置くシステムを採用。

トータルでは23勝12敗15分という戦績でしたが、2002年日韓ワールドカップでベスト16に進出するなど、一定以上の成果を残しました。

積極的なオフサイドトラップを行う「フラット3」は、トルシエ監督の代名詞となりました。

ジーコ監督

「白いペレ」と呼ばれることもあったサッカーの長い歴史上でも10本の指に入るレジェンドであるジーコも、日本代表の監督を経験しています。

2002年~2006年の4年間監督を務めました。

基本フォーメーションは、「4−4−2」のダブルボランチシステムを採用していました。

中田英寿や中村俊輔、小野伸二、稲本潤一といった日本サッカー史上最高のメンバーを率いましたが、37勝19敗16分と期待の大きさと比例するような結果を残すことはできませんでした。

最高のメンバーを揃えながらも、ドイツワールドカップでは1勝もできずに敗退となってしまいました。

イビチャ・オシム監督

イビチャ・オシム,サッカー,監督
TOKYO, JAPAN – AUGUST 02: Head coach Ivica Osim of JEF United Ichihara attends a press conference after the J.League J1 first stage match between JEF Untied Ichihara and Urawa Red Diamonds at the National Stadium on August 2, 2003 in Tokyo, Japan. (Photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images)

2022年5月1日に惜しまれながらこの世を去ったオシム監督は、2006年~2007年に監督を務めました。

12勝3敗5分と勝率も高く、「考えて走るサッカー」を日本サッカーに植え付けようとしました。

日本サッカー最高の監督とも称されるほどその手腕は高かったのですが、病気によって残念ながら退任することとなりました。

基本フォーメーションは、「4−2−3−1」でしたが、考えて走るサッカーと言うだけあってフォーメーションも頻繁に変更していました。

岡田武史監督

2008年~2010年に2度目の監督を務めたのが、「岡田武史監督」です。

26勝11敗13分という戦績で、2010年南アフリカワールドカップでは超守備的な戦い方を選択し、ベスト16へと導きました。

基本フォーメーションは「4−5−1」でした。

アルベルト・ザッケローニ監督

2010年~2014年の4年間監督を務めたのが「アルベルト・ザッケローニ監督」です。

本田圭佑、香川真司といったスター選手を上手に使いこなし、魅力的な攻撃サッカーを展開したことにより、かなり人気となった監督でもあります。

基本フォーメーションは、「4−5−1」を採用。

30勝13敗12分という戦績で、ブラジルワールドカップでは期待されていたにもかかわらず勝ち点1しか奪えずグループリーグ敗退となりました。

ハビエル・アギーレ監督

2014年8月~2015年2月まで監督を務めたのが「ハビエル・アギーレ監督」です。

6勝2敗2分と勝率も良かったのですが、過去の八百長疑惑によって短期間で解任されました。

基本フォーメーションは、「4−3−3」で、堅守速攻の戦術を採用していました。

バビド・ハリルホジッチ監督

2015年~2018年の期間に監督を務めたのが、「バビド・ハリルホジッチ監督」です。

21勝8敗9分で、アジア勢にもなかなか勝ちきれなかったことも多かったため、ロシアワールドカップ本選前に解任されました。

基本フォーメーションは、「4−5−1」で、サイドからの攻撃を強化するスタイルでした。

西野朗監督

2018年ロシアワールドカップを率いたのが、「西野朗監督」です。

ワールドカップ直前での就任であったため、対戦相手も強豪ばかりであったため、2勝4敗1分と成績はそれほど良くはありませんが、本選ではベスト16進出を達成させています。

基本フォーメーションは、「3−5−2」で、攻撃的なサッカーを好むタイプの監督です。

まとめ

今回は、「サッカー日本代表の歴代監督の名前や実績」について解説してきました。

数多くの個性あふれる日本代表監督が歴任してきていますが、現在は「森保一監督」が代表監督を務めています。

その采配や選手起用、戦績で批判を受けることも多いのは事実ですが、2022年5月の段階で34勝8敗5分と戦績はかなり良かったりします。

カタールワールドカップでの名采配を期待しながら応援しましょう。

関連記事