【第2回】最速153kmから営業マンへ。1滴も酒を飲まずに挑んだ「後悔なき2年間」

日本の野球における独立リーグとは、日本野球機構(NPB)とは別に独自の運営を行い、地域密着と将来のNPB選手育成を目的として活動する“プロ野球リーグ”のことだ。

主なリーグに、NPBと同じく12球団が参加するベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)や、2005年設立と最も歴史の古い、四国アイランドリーグplusなどが存在する。

選手の待遇は、NPBと比較すると厳しいものだ。

NPB支配下登録選手の平均年俸が4,905万円(2025年度)に対し、独立リーグでは平均10万〜40万程度の選手給与が発生するのはシーズン中(約7ヶ月間)のみ、それ以外の時期はバイト等で生活費を稼ぐ選手も多い。

ところで、私たちは、何をもってアスリートをプロと呼ぶのだろうか。

「統一契約を結んでいること」「主たる収入が、リーグからの選手給与であること」などをもしその定義とするなら、独立リーグ選手はプロ野球選手である。

社会での働き方や仕事が多様化した現在、“プロ選手”の定義もまた、人それぞれで良いのかもしれない。

 

球速153kmを投げたがプロには呼ばれなかった

ここに、一人の男がいる。
愛媛県出身の25歳。NPB入りを目指してBCリーグに参加、最速153kmを武器にリリーフとして活躍し、2023年と2024年の2シーズンで計33試合に登板した。

2024年のドラフトで名前を呼ばれなかった男は、その年できっぱりと選手を引退、今は地元・愛媛の企業の東京支社で会社員として働く。

ちなみに男にとっては、プロとは「ドラフトで名前を呼ばれた選手のこと」である。


>>【第1回】球速153kmだった会社員

何かを捨てないとなにかを得られない

大学1年の春に痛めた男の右肘は、4年生の春には再びボールを投げられるようになっていた。

NPBのプロ野球選手になる勝負は24歳までの2年間と決め、大学卒業後は独立リーグのチームの門を叩いた。

練習環境は、名門校だった自身の高校、大学時代のほうが整っていた。プロと定義する独立リーグのチームは、廃校になった中学校の荒れたグラウンドで練習する日もあった。

それでも、環境を言い訳にする時間さえ男にはもったいなかった。練習相手がいないときは、一人でネットに向かって投げ続けた。

給料も低い。多くの選手がシーズンオフにはバイトで生活費を賄うなかで、男は「2年間だけ、自己投資させてほしい」と両親に頼み込み、食費、ジムの会費など、野球選手として人一倍かかる費用のすべてを親に負担してもらった。

「何かを捨てないと何かを得られない。親には迷惑をかけましたが、2年間は時間のすべてを自分の野球のために使わせてもらいました」

独立リーグの2シーズン、男は1滴も酒も飲まず、一度も遊びに行かなかった。同世代が口ずさむ流行りの曲は全く知らないまま季節は過ぎていった。

 

投げられない大学時代も無駄じゃなかった

全力で野球に費やす日々の中で、大学時代140km台だった球速は、コンスタントに150kmを超えるようになっていた。

男は今も、最初に150kmを超えた1球の感覚を覚えている。

「独立リーグ1年目の公式戦で、これだというまっすぐが決まったとき、スピードガンを見たら151kmでした。その試合をスカウトの方も観に来ていて、“これから見るよ”と声をかけてもらいました。投げられずに身体づくりをし続けた大学4年間は無駄じゃなかった、頑張ってよかったと思いました」

独立リーグ選抜にも選ばれ、NPB球団の育成チームと何度も対戦した。

NPBのプロ野球選手になる。その目標達成のために厳しいトレーニングを黙々とこなしながら、いつしか男の心境は、怪我の焦りから“清々しさ”のような心地に変わっていった。

やれることはすべてやりきった。

私たちの人生で、そう言い切れることはいくつもない。そのやりぬいた自身と矜持を、プロと呼びたい気もするのだ。

そして、球団事務所で迎えたドラフト会議。一年目も、そして二年目も、男の名前が呼ばれることはなかった。

 

「ずっと楽しませてもらった、ありがとう」

そのドラフト当日のことで覚えていることはあるか、と尋ねた。

「ドラフト後に、両親に電話しました。この独立リーグの2年もそうですが、ずっと支えてくれたのに結局NPBに行けなかった、申し訳ないと伝えようと思ったら、両親から先に“ありがとう”と言われました。ずっと楽しませてもらった、ありがとう、と」

そうか、自分の挑戦は両親の楽しみでもあったんだなと思った。死ぬ気で挑んでもプロには行けなかったけれど、20年近く野球しかなかった日々が、報われた気がした。

そこでやっと、涙が出た。

もうプレーヤーには何の未練もなかった。やれることはすべてやりきったからだ。

 

仕事と野球の違うところ

いま、男は会社員として地元愛媛の企業の東京支社で営業職として働く。

仕事と野球の違うところは“ゴールや方法が人それぞれであること”だと言う。

「野球なら、球速を上げたい場合に身体の使い方を教えてあげたら球速は簡単に上がります。バッターと対戦するときにはデータもあります。でも社会人の仕事は、ゴールも方法も自分が作り出せるし、取引先もそうだから、考えられる選択肢が無数にある。自分の経験の浅さも感じますし、やりがいを感じますね」

男にとっては、社会人の仕事もまた、自らを律し課題を克服しながら勝負していく競技なのだ。

“ドラフトの代わりに、自分で定めた一年間の目標に向けてやっているので、不思議と気持ちは変わらないんですよね”と、筋肉質なスーツ姿で笑う。

「野球をやっているときから、野球も仕事も人生も大事なことは同じだと思っています。感謝すること、与えられた仕事はひたむきに全力でやること、そして健康」

男は、いまも毎朝5時台に起きて、一通りのトレーニングをこなしてから出社する。

草野球は、やっていない。

 

 

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