“エアマックス狩り”から30年。バッシュ・スニーカーが文化になるまで【SHOE-LOG vol.5】

“履いているだけで狙われた靴”があった時代

もしかすると、最近を生きている方は、そんな時代があったことを知らないか、風の噂で聞いたことがある程度かもしれない。
「履いているだけで狙われた靴」の代表格といえば、「NIKE エアマックス95」だ。当時、この靴を履いているだけで声をかけられたり、盗まれたりする事件が相次いだ。いわゆる「エアマックス狩り」である。

いまではスニーカーは身近なファッションアイテムだが、1990年代の日本はそうではなかった。スニーカーは流行の象徴であり、履いているだけで“特別な存在”として見られるステータス性を帯びていたのだ。

では、なぜ一足のスニーカーがそこまでの価値を持つに至ったのか。そして現在、かつては入手困難だったジョーダン3やジョーダン11が、なぜ当たり前のように履かれているのか。本記事では、日本社会とスニーカーカルチャーを紐解きながら、その変化の歴史を追っていく。

前回記事:
日本人でシグネチャーモデルを持つ選手っているの?【SHOE-LOG vol.4】

なぜ「エアマックス狩り」は起きたのか。90年代の日本社会とスニーカーカルチャー

そもそも事件になった「エアマックス95」は、その名の通り1995年にリリースされたモデルである。この一足をキッカケに「スニーカーブーム」が加速していくわけだが、「エアマックス95」からいきなりスニーカーが流行したわけではない。

当時はNBAのレジェンド、マイケル・ジョーダンの全盛期であり、ジョーダンシリーズはすでに高い人気を誇っていた。そのほかにも、ナイキの「エアフォース1」やリーボックの「ポンプフューリー」、コンバースの「オールスター」などが定番として存在していたが、街の足元の主流は依然として「革靴」だった。80年代まで遡れば「革靴」を履くことが当たり前で、「スニーカー」はあくまで運動靴という位置づけ。普段履きとしてスニーカーを選ぶ文化はまだ一般的とは言えなかったのである。その価値観を大きく揺さぶった存在こそが、マイケル・ジョーダンの存在であり、彼のシグネチャーシューズの「ジョーダンシリーズ」である。

90年代前半になると、ジョーダン憧れ派と、従来の革靴派との二極化が進んでいく。ジョーダンに憧れた若者たちは、当時広がりを見せていたHIP-HOPカルチャーとともにジョーダンシリーズのスニーカーを履き「ストリート系」として原宿や渋谷を中心に支持を集めた。一方で革靴派の人々は、プレーントゥやストレートチップ、ローファーなどを履き、リーガルを軸に、オールデンやJ.M.ウエストンといった舶来靴を選んでいた。80年代に続き90年代でも、革靴は依然として大人の身だしなみや社会性を象徴する存在だった。

そうした中で、スニーカーが「普段履き」として本格的に浸透し始めたタイミングが1995年であり、その起爆剤になったのが、それまでにない斬新なデザインと大胆なカラーリングで登場したのが「エアマックス95」。人体構造をモチーフにしたアッパーデザイン、当時としては異質なほど主張の強いビジブルエア。この一足は、瞬く間に「特別な靴」として認識されていく。
当時の日本では、スニーカーはまだ誰もが気軽に履くファッションアイテムではなかったが、雑誌やテレビを通じて「エアマックス95」の流行が一方向に拡散。「何を履いているか」は、そのまま流行の中心にいるかどうかを示す指標だった。エアマックス95は、まさしくその最上位に位置づけられていたのである。

ただし、エアマックス95は高価だった。
当時でも定価は18,000円前後。完全に高級靴という位置づけである。週刊少年ジャンプが200円前後、マクドナルドのチーズバーガーが100円前後だった時代背景を考えれば、現代でいう30,000〜40,000円程度の感覚だったと言っても過言ではないだろう。加えて流通量も限られていた。欲しくても手に入らない人が多くいる一方で、履いて街を歩ける人間はごく一部。スニーカーは履き物であると同時に「手に入りにくく高価なエアマックス95を履いている」という状態が、視覚的に非常にわかりやすいステータスになっていった。
結果として起きたのが「エアマックス狩り」である。履いているだけで声をかけられ、奪われる。異常な事件ではあるが、その背景には、モノに過剰な価値が集中してしまった当時の社会構造があった。

重要なのは、これは単なる治安の問題ではないという点だ。スニーカーが流行の象徴であり、自己表現であり、序列を示す記号になってしまった結果「履いている=持っている」という事実そのものが、リスクを生んでしまったのである。エアマックス狩りは単なる事件ではなく、スニーカーに過剰な意味と価値が集まった時代が生んだ、ひとつの社会現象だった。

バッシュは「戦う道具」から「履く文化」へ:ハイカット全盛期とローカット革命

「エアマックス95」が、スニーカーを「足を守るための道具=運動靴」から「魅せるための道具」へと押し上げた象徴的な一足であることは間違いない。しかし同じ時代、バスケットボールの世界では、まったく異なる価値観が支配していた。当時のバッシュは、あくまで「戦うための道具」だった。足首を守るために、バッシュはハイカットであるべき──それは長らく疑われることのない常識だったのである。

ジョーダンシリーズは、日本ではエアマックス95と並び「普段履き」としても高い人気を誇っていたが、その出自はあくまでバスケットボールをプレーするためのシューズ。そのため、当時のジョーダンシリーズの多くは、厚みがあり、重厚で、いわゆる「ゴツい」デザインが主流だった。

この背景には、当時のスポーツ医療やギアの成熟度が大きく関係している。
90年代前半まで、足首用のサポーターはまだ発展途上であり、テーピングの技術もトレーナー個人の経験や技量に大きく左右されていた。だからこそ、「誰でも一定のサポートを得られる装置」として、バッシュそのものに安定性を求める考え方が主流だったのである。

さらに、当時のバスケットボールは接触が激しく、空中戦の多い競技だった。着地時の衝撃は大きく、足首をひねるリスクも高い。そのためバッシュには、「衝撃を吸収できるクッション性」と「足首を固定する構造」が最重要視されていた。選手が「守られている」という感覚を得ることで、はじめて全力のプレーが可能になる。ハイカットは、その心理的安心感まで含めた「正解」だったのである。

そして、この思想を決定的なものにしたのが、マイケル・ジョーダン自身の成功だった。
ジョーダンはハイカットのバッシュを履き、キャリアの中で大きな故障に悩まされることなく、二度の3連覇を成し遂げた。
「結果を出している成功者の足元」──それ以上に説得力のある答えはなく、この時代においてローカットや軽量なバッシュは、「危険」「怪我をしやすい」と見なされがちだった。

技術の進化とスターの存在が、ハイカットという概念を変えた

しかし、この常識もやがて揺らぎ始める。
2000年前後になると、サポーターメーカーの技術向上によって、バッシュに頼らずとも足首を安定させることが可能になった。加えて、トレーナーの知識普及やテーピング技術の標準化により、「テーピング+サポーター」という選択肢が一般化していく。その結果、「そもそもバッシュでここまでガッチリ固定する必要はないのではないか」という新しい発想が生まれ始めた。

この流れを象徴する存在が、コービー・ブライアントである。
コービーは自身のプレースタイルに合わせて、「軽さ」と「スピード」を最大限に活かすシューズを求めた。従来の「重くて安心感のあるバッシュ」ではなく、「軽くて動きやすいバッシュ」を選び、テーピングとサポーターで足首を補う。その結果、圧倒的なフットワークとキレを武器に、時代を代表するスコアラーへと成長していく。

各メーカーは、この変化を見逃さなかった。コービーシリーズをはじめ、Zoom Flightなどの軽量モデルが次々と登場し、競技用でありながら「街で履いても違和感のないバッシュ」が増えていく。こうしてバスケットボールシューズは、「守るために重くする」時代から、「守りながら軽くする」時代へと移行していった。ハイカットが「絶対的な正解」だった時代は、ここで静かに終わりを迎えたのである。

興味深いのは、この「守るためのバッシュ」が完成形に近づいていた時代と、エアマックス95が街で熱狂を生んでいた時代が、ほぼ同時期だったという点だ。エアマックス95は、機能以上にデザインが語られ、「足をどう守るか」よりも「足元をどう見せるか」が評価された一足だった。つまり1995年前後のスニーカーシーンには、コートの上では「守る靴」が正解であり続ける一方、街ではすでに「魅せる靴」が正解になり始めていたという、二つの価値観が並行して存在していたのである。

このズレこそが、次の変化を生む土壌となった。
街で変わり始めたスニーカーの感覚は、やがて競技用のバッシュにも影響を与え、「軽さ」「スピード」「シルエット」といった要素が、機能と同じ重みで語られるようになっていく。そしてこの流れの先に、バッシュは「戦う道具」であると同時に、「履く文化」としても受け止められる存在へと変わっていったのである。


コービーシリーズの中でも1番人気と言って過言ではない「KOBE 6」

今、売れている復刻モデルは何が違う?リバイバルブームの正体

2010年、2020年と時が経つにつれ、バスケットボールシューズは、あらゆるスポーツメーカーが参画するジャンルへと進化していった。80年代や90年代にブームを築いたコンバースやリーボックは、一時期NIKEやadidasの影に隠れる存在となったが、近年は再び存在感を取り戻しつつある。さらにアンダーアーマーなどの新興ブランドも台頭し、バッシュ市場はまさに群雄割拠の時代を迎えている。

コービー・ブライアントが変えた「バッシュの常識」は、2025年の現在、「デザイン」という側面でひとつの到達点に達したと言えるだろう。機能性は進化を続け「ローカット」でありながら「高いクッション性」を備えたモデルも珍しくなくなった。90年代には“不可能”と考えられていた構造が、いまや当たり前の選択肢になっている。バスケットボールシューズは、ついに「魅せて、なおかつ守る道具」へと進化した。

しかし、競技用バッシュがここまで成熟したにもかかわらず、「エアマックス95」をはじめとする90年代の名作スニーカーは、いまなお変わらぬ人気を誇っている。それらは「復刻モデル」として再び市場に並び、当時とはまったく異なる文脈で支持を集めている。

かつて、エアマックス95を欲しくても買えなかった学生たちは、いまや社会人となり、可処分所得を持つ世代になった。

「あのとき手に入らなかった一足を、いま履きたい」

この欲求こそが、現在のリバイバルブームを支える大きな原動力になっている。かつては入手困難で、履くことすらためらわれたモデルは、いまや特別な存在でありながら、同時に「普通に履ける靴」として市民権を得た。

もっとも、すべての復刻モデルが同じように成功しているわけではない。単なる懐かしさだけで売れるのであれば、メーカーは復刻モデルを出し続ければいいはずだが、現実はそう単純ではない。デザインとしての完成度、語り継がれるストーリー、そして「当時は買えなかった大人」たちの存在。さらに言えば、転売市場との距離感や、現代のファッションに溶け込めるかどうかという点も、リバイバル成功の重要な要素になっている。

その中でも、ひときわ強い存在感を放っているのが、エアマックス95、そしてエアジョーダンシリーズだ。エアジョーダンの復刻には、明確な“人気の序列”が存在する。とりわけ支持を集め続けているのは、ジョーダン3、ジョーダン1、そしてジョーダン11である。

ジョーダン3

ジョーダン3が特別視される最大の理由は「エアジョーダンという物語が、初めて完成したモデル」だからだ。

ティンカー・ハットフィールドによるデザイン、ジャンプマンロゴの誕生、そしてジョーダンがナイキを離れずに済んだという逸話。ジョーダン3は「バッシュとしての完成度」「デザイン性」「ストーリー」このすべてが初めて噛み合ったモデル。復刻されるたびに支持されるのは、「履く」という行為と同時に、物語を身にまとう感覚を提供しているからにほかならない。

ジョーダン1

次に強いのがジョーダン1だ。
これはもはやバスケットボールシューズというより、ストリートカルチャーそのものの記号と言っていい。NBAの規定違反カラー、「禁止されたシューズ」という神話、そしてシンプルで完成されたシルエット。

ジョーダン1が今も売れ続ける理由は、90年代を知らない世代にとっても「文脈抜きでカッコいい」と成立するデザインにある。つまりジョーダン1は、懐古に依存しない復刻が可能な、極めて稀有な存在なのだ。

ジョーダン11

そしてジョーダン11。このモデルが今も強い理由は、極めてシンプルだ。

「当時、欲しくても手に入らなかった人が多すぎた」

パテントレザーという異質な素材使い、72勝シーズンとファイナル制覇という圧倒的な成績、ジョーダンが1回目の引退から復帰した年に発売されたという物語、そして「特別すぎて履けなかった」という記憶。

ジョーダン11は「思い出」「憧れ」「買えなかった悔しさ」そのすべてを回収できるモデルとして、子供の頃に憧れを抱いたまま大きくなった大人たちに選ばれている。

エアマックス95が、かつての「危険な靴」から「安全な市民権を得た一足」へと変わったように、ジョーダンの名作たちもまた、時代を経て「履くための名作」へと再定義されている。
リバイバルブームの正体とは、単なる懐古ではない。それは、かつては憧れで終わった名作を、いまの感覚で受け止め直すことができる時代が訪れたという事実にほかならないのだ。

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「狩られる靴」から「語れる靴」へ。スニーカーが文化になったワケ

スニーカーが、ただの履物ではなく「文化」として語られるようになった背景には、いくつもの要素が重なっている。
バスケットボール、ヒップホップ、ストリート。これらは別々に存在していたものではなく、互いに影響を与え合いながら、スニーカーに「意味」を持たせてきた。

コートの上では、スター選手が履く一足が勝利や成功の象徴となり、街では、音楽やファッションと結びついたスニーカーが自己表現の一部になっていった。いつしか「どんな靴を履いているか」は「どんな価値観を持っているか」を示す指標のひとつになっていく。

だからこそ、いまの若者たちは、エアジョーダンの細かな歴史や背景を知らなくても、それを自然に履いている。72勝のシーズンや禁止カラーの逸話を知らなくても、そのシルエットや存在感が、現在のファッションや空気感と違和感なく噛み合っているからだ。スニーカーは、知識がなくても選べてしまうほど、文化として定着した存在になったと言える。

かつては、懐かしさだけが消費されて終わっていた「復刻」も、いまでは意味合いが変わってきている。思い出はただ再生されるのではなく、時代を越えて再解釈され、新しい文脈の中で受け止め直されている。エアマックス95やエアジョーダンの名作たちが、いま「普通に履ける靴」として受け入れられているのは、その象徴だろう。

振り返れば、スニーカーは危険なほど欲しい存在だった時代が確かにあった。数が少なく、価格も高く、履いているだけで特別視され、ときには奪われるほど、過剰な熱をまとっていた。

しかし現在、スニーカーは安心して履き、語ることのできる存在になった。それは流行が落ち着いたからでも、熱が冷めたからでもない。市場が成熟し、選ぶ側に余裕が生まれた結果だ。
スニーカーが「文化」になったということは、モノそのものよりも、そこに紐づく物語や価値観が共有されるようになった、ということでもある。誰かに見せつけるためではなく、自分の感覚として選び、語れる存在になった。

それは同時に、かつての青春が、個人の思い出から、ひとつの歴史へと変わった瞬間でもある。
あの頃、欲しくてたまらなかった一足は、いま「思い出ごと」あなたの足元に戻ってきているはずだ。