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堀川未来夢が実践!飛距離アップの秘訣は「きれいな体の回転」と「最下点...

堀川未来夢が、飛距離アップの秘訣を伝授します。大切なのは「きれいな体の回転」と「最下点の位置」。飛距離を伸ばしたい方は必見です。 堀川未来夢(ほりかわ・みくむ)。1992年生まれ。日本大学時はトップアマとして活躍し、14年からプロの道へ。15年には初シードを獲得。16年にシードを失うも、翌年にすぐさま奪還し、18年には賞金ランキング19位に入るなど、着々と力をつけた。 迎えた19年は、国内メジャー「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」でツアー初優勝を挙げて大ブレーク。賞金ランキングは自己最高の6位に入り、海外メジャー「全米オープン」、「全英オープン」を経験するなど実りある一年となった。 2020年「樋口久子 三菱電機レディス」でプロ初優勝。翌21年「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」でメジャー初勝利を飾った。22年には米国ツアーの予選会に参加し、ツアーカードを獲得。23年は米国をメーンに戦う。

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テンプラしてしまう原因 と対処法「ビギナーはこれをやれば上手くなる!」...

アマチュアがテンプラしてしまう原因を分かりやすく解説。さらに、効果的な対処法と練習方法をレッスン。 堀尾研仁(ほりお・けんじ)。1997年よりデビッド レッドベターに師事し、ゴルフティーチングの世界に入る。2002年よりツアープロの帯同コーチとして活動を開始。2003年KBCオーガスタでの田島創志、2005年アイフルカップでの高橋竜彦の初優勝に貢献。2005年は谷口徹の帯同コーチとして、マスターズ以外の3つのメジャートーナメントに同行。2016年は、塚田陽亮が日本ゴルフツアー選手権に優勝。現在まで国内男子、女子の多くのツアープロの契約コーチを経験している。 勝又優美(かつまた・ゆみ)。社会人として就職した会社でゴルフ場勤務となりゴルフを始める。一瞬にしてゴルフの魅力に取りつかれ、ティーチングプロを目指す。2010年にLPGA認定ティーチングプロとなり、静岡県内のゴルフアカデミーで多くの生徒を指導。非常にやさしく穏やかな性格の持ち主で、女性らしいきめ細やかなレッスンに定評がある。2013にLPGA A級ライセンス取得。将来の夢は日本一の女子ティーチングプロになること。

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飛距離が15ヤード伸びる!驚異の骨スイング(動画リンクあり)

ゴルフスイングで一番重要とされる、回旋運動。その動きをつかさどるのが「背骨」。背骨は「頸椎」「胸椎」「腰椎」の3つに分類され、その中の1つは特に回旋運動に重要だという。骨のスペシャリスト山本優子が、飛距離を伸ばす骨について分かりやすく解説する第1話。 山本優子(やまもと・ゆうこ)。1992年生まれ、神奈川県出身。日本脱力関節調律協会、代表理事。脱力を促し、正しい関節の動きを取り戻すことにより身体の痛みや不調を改善する治療法、脱力関節調律を開発した第一人者。身体の構造から最適なスイング動作を提案する、ゴルフに特化した、ゴルフ関節調律も確立した。 阿河徹(あが・とおる)。1976年生まれ。21歳で渡米し、サンディエゴゴルフアカデミーで最新のスイング理論を習得する。帰国後は藤本佳則や塩見好輝らのツアープロコーチとして活躍している。

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【目澤秀憲のアプローチレッスン】ベアグラウンドや薄い芝など悪いライか...

アマチュアの方が一番参考になるポイントを凝縮したレッスンをお届け。苦手な人も多いベアグラウンドや薄い芝など悪いライからのアプローチ。ミスが出やすいこの状況を安全にクリアする打ち方をレッスンする。ポイントはフェースをかぶせてヒールを上げて打つ事。 目澤秀憲(めざわ・ひでのり)。1991年生まれ。ゴルフ留学で米国のレッスン資格TPIを取得。河元結などツアープロからアマチュアまで広く指導。また新たに松山英樹のスイングコーチに就任し、話題となった。

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手嶋多一が教える パターで一番重要な「距離感」の作り方(動画リンクあり)

パターで最も大切なことは、カップを30〜50センチオーバーするタッチ(距離感)だと言う手嶋多一。また自分の持ち球に合わせたラインを練習した方がショットの上達にもつながるメリットがあるという。「マイ・パッティング・セオリー」シリーズではパターの打ち方に形なし、と言われるようにパッティングの打ち方、考え方は人それぞれ。プロ独自の工夫や打ち方など、深く掘り下げていく番組です。 手嶋多一 (てしま・たいち)。1968年生まれ。99年の「ファンケル沖縄オープン」で初優勝、2001年「日本オープン」で初のメジャータイトルをつかんだ。07年にはQTを通過して欧州ツアーに挑戦。14年「日本プロゴルフ選手権」でメジャー2勝目。翌年はホストプロとして「ミズノオープン」を制し、通算8勝目を挙げた。17年に生涯獲得賞金は10億円を突破し、18年まで22年連続で賞金シードを守るなど輝かしい実績を誇る。19年はシニアデビュー戦の「金秀シニア 沖縄オープン」で優勝し、21年「日本シニアオープン」も制した。