ラバー事業に新規参入も売れず 卓球事業存続へミズノが決行した“イチかバチかの賭け”[PR]
「頑張ってたらやっぱりみんな応援してくれる」
一方、用具を出したことによる良い影響もあった。「用具を発売してからシューズやウェアの売上が伸びた」。
シューズ、ウェアだけでなく、ミズノがラバー、ラケットと卓球用具を総合的に販売したことは、卓球界でのブランド認知に繋がり、徐々に売上が上がってきた。卓球をセールスしてみようという営業の機運も上がってきた。
「だんだん社内外に応援してくれる人が増えていったのはすごく感じました。頑張ってたらやっぱりみんな応援してくれるんですよね」。卓球事業の最前線で戦ってきた玉山は感慨深げに振り返った。
GFシリーズで“反撃開始”
2014年12月、機は熟した。キャッチフレーズは“反撃開始”。ミズノは新ラバー「GFシリーズ」を世に送り出した。これがミズノラバー初のヒット作となった。
写真:ミズノのGFシリーズ/提供:ミズノ「GFシリーズが売れたときは本当に嬉しかった」。玉山は開発と共に試行錯誤した苦しい2年間を乗り越えた喜びを口にした。
「GFシリーズが売れてなかったらたぶん僕たちはラバー事業を断念せざるを得なかった。それぐらいミズノラバーは存在感がなかったんですよ。首の皮一枚繋がりました。でも、ミズノファンのために良いモノを出して、みんなに喜んでもらいたいという情熱があった。だから苦労より夢や希望が勝っていた。今考えたらよくやってたなと思います」と玉山は笑った。
写真:玉山茂幸(ミズノ)/撮影:槌谷昭人GFシリーズのヒットをきっかけに、ミズノは新たな挑戦に乗り出す。
ミズノは、それまでラバーの製造をOEM先に任せていたが、2015年、自社でのラバー開発をスタートさせる。
ついに、ものづくりのDNAを誇る総合スポーツメーカーが、自らの開発力でラバー開発と製造に乗り出したのだ。そこで生まれたのが大島祐哉が使用するQシリーズだ。
(第4話 「30点のラバー、これじゃあ使えません」ミズノ開発陣と大島祐哉、ともに歩んだ苦悩の2年間 に続く)
取材:槌谷昭人(ラリーズ編集長)
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