【卓球】大雨災害の青森全国8強に「地元の人を喜ばせたい」

弘前卓球センター,長谷川志文,秋元良太,丹藤貴監督,今瑠希也 ,工藤海希

今月(8月)小学生の日本一のチームを決める「ロート製薬杯 第40回全国ホープス卓球大会(全国ホープス)」が東京都で開かれた。男子で初のベスト8入りを果たしたのは、地元が大雨被害に見舞われた弘前卓球センター(青森)だ。メンバーの長谷川志文は、大会直前に避難所と家とを行き来する生活を余儀なくされた。「一番不安だったのは、ホープスに行けるかどうか」と話す。6年生で迎えた最後の全国ホープスにかける思いとは。その胸中を語ってくれた。(取材・文/二株麻依)

まずは自分の命 卓球どころではなかった

長谷川志文(弘前卓球センター)
写真:長谷川志文(弘前卓球センター)

丁寧なボール運びで勝利を引き寄せたカットマン、長谷川志文(弘前卓球センター)。
全国ホープスで初勝利し、チームはベスト8の新記録を達成した。

そんな長谷川だが、実は大会直前に地元が大雨の被害を受け、自身も避難所と家とを行き来する生活をしていた。

大雨に見舞われた鯵ヶ沢町の様子,弘前卓球センター
写真:大雨に見舞われた鯵ヶ沢町の様子/提供:弘前卓球センター

青森県では、停滞する前線の影響で記録的な大雨となり、長谷川の住む鯵ヶ沢町では、住宅や店舗など少なくとも445棟の建物が浸水するなどの被害が出た。

長谷川の自宅は被害を免れたものの、裏山が崩れたことから一家で避難を決めた。

大会の4日前のことだった。

鯵ヶ沢町の避難所の様子,弘前卓球センター
写真:鯵ヶ沢町の避難所の様子/提供:弘前卓球センター

当時の様子を「卓球どころではなかった」と長谷川は話す。

一番不安だったのは、ホープスに行けるかどうか

長谷川志文(弘前卓球センター)
写真:長谷川志文(弘前卓球センター)

避難することになってから大会が始まるまでの4日間、身の安全は確保されたものの一番不安だったのは「ホープスに行けるかどうか」だった。
雨の状況を見ては、自宅に帰ることもできたが、クラブチームの練習に行くことはできなかった。ボールを触ったり、1人でサーブ練習をしたりして大会への気持ちを高めていった。

この大会にかける思いも大きかった。
「小学生のうちから全国大会で活躍してきた3人の兄たちのように自分も勝てるようになりたい。常に追いつきたいと思っている」

まだ全国大会で勝ち星をあげたことのない長谷川にとって、今回の全国ホープスは最後のチャンスだった。

(次のページへ続く)「勝って地元の人を喜ばせたい」

勝って地元の人を喜ばせたい

長谷川志文(弘前卓球センター)
写真:長谷川志文(弘前卓球センター)

無事に大会出場が叶った長谷川は安堵の気持ちだった。

父の耕平さんは「練習は満足にできていませんが、新幹線に乗ったら、もう腹くくっていました」と語る。

長谷川耕平さん,長谷川志文(弘前卓球センター)の父
写真:息子を見守る長谷川耕平さん

長谷川には「勝って地元の人を喜ばせたい」という思いがあった。

何より地元に残って避難所の仕事をしている母に勝利の報告をしたかったのだ。

長谷川志丈(弘前卓球センター写真右),工藤海希(弘前卓球センター/写真左)
写真:工藤海希(弘前卓球センター/写真左)と長谷川志丈(弘前卓球センター/写真右)

ダブルスで起用された長谷川は、持ち前の安定感あるカットでチームの苦しい場面を守りきるのが役目だ。

父が見守る中、冷静に1本1本を重ねていく。

そして、念願の1勝をあげることができた。

弘前卓球センター,長谷川志文,秋元良太,丹藤貴監督,今瑠希也 ,工藤海希
写真:弘前卓球センター(左から長谷川志文、秋元良太、丹藤貴監督、今瑠希也、工藤海希)

長谷川の1勝が、チームにとっての最高戦績に繋がった。

監督の丹藤貴さんは「災害があり、コロナの影響もある中、よくやってくれたと思う。青森に胸を張って帰れます。みんなで協力して思いを一つに、また頑張りたいです」と嬉しそうに語ってくれた。

大会後、長谷川は「チームの新記録が出せた嬉しさと、安心した気持ちでいっぱいです」と話してくれた。これからの目標について聞くと「全国優勝」と答えてくれた。

勝てなかった卓球少年を、一回りも二回りも大きくした全国ホープスだった。

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写真提供:Rallys