【#1】サッカーとの出会い 「たまたま」指導者の道へ (東京ヴェルディアカデミー寺谷真弓氏インタビュー)
27歳で引退、受付アルバイトから偶然指導者へ
現役時代は選手としてプレーするのに精一杯で、指導者の道など考えたことはなかった。そもそも、当時の女子アスリートは30歳手前で引退するのが当たり前とされていた。結婚や出産だけが理由ではない。女子サッカーは今と違ってプロリーグがなく、30代で生計を立てることができる業界構造ができ上がっていなかった。結果、引退後のキャリア形成は個人任せだった。寺谷も同様に、1999年に27歳で引退(当時は鈴与清水FCラブリーレディースに所属)してからは「これから仕事、探さなきゃなぁ」という具合だった。
引退後は、たまたま、当時のベレーザの監督を務めていた松田岳夫氏(現・マイナビ仙台レディース監督)に、「ヴェルディの受付でアルバイトを探してるぞ」と誘われ、受付でサッカースクールの事務作業を1年間続けた。
転機になったのは松田氏からの「ボールを蹴れるならGKコーチの手伝いをやったら?」という一言だった。受付のアルバイトも楽しかったが、久しぶりのピッチの感触はひとしおだった。
だが、その当時はベレーザの置かれた環境は厳しかった。98年に読売グループがヴェルディから完全撤退し、同年にベレーザから西友グループがスポンサー契約を引き上げた。クラブの経営権は日テレが引き受けたものの、ベレーザ・メニーナは縮小を余儀なくされた。さらに追い打ちをかけるように「女子サッカーの厳冬期」が訪れようとしていた。(第2話【女子サッカー「冬の時代」 寺谷が「お前たちは下手くそ」と言う理由】に続く)
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