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【武岡優斗】古巣への恩返しと二度目の『ただいま』~川崎フロンターレとメディカルパートナー契約を締結して~
初めまして、武岡優斗と申します。最初に少しだけ自己紹介をさせてください。
僕は国士舘大学を卒業後2009年から12年間、プロサッカー選手をしていました。計5チームに在籍した後、2021年3月1日に現役引退を発表し、同年5月からセルソース株式会社で勤務しています。
2009年:サガン鳥栖
2010~2013年:横浜FC
2014~2018年:川崎フロンターレ
2019年:ヴァンフォーレ甲府
2020年:レノファ山口
この度、所属するセルソースが古巣の川崎フロンターレとメディカルパートナー契約を結ぶこととなり、約5年の時を経て、川崎の地に戻ってきました。数奇すぎるこの物語について、少しだけ綴らせてください。
チームを去る時に、「心に決めた」こと
自分のサッカー人生の中で最も長く在籍したのがフロンターレでした。
28歳での初のJ1挑戦挫折、そこからの這い上がり。代表候補に初めて選ばれたのもフロンターレの時ですし、リーグ優勝、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)出場、と本当に沢山の事を経験しました。
所属した5クラブ全てに思い入れがありますが、その中でもフロンターレは特別です。そして、僕が2018年にフロンターレから離れるときに、心に決めたことが二つあります。それが、
1. 対戦相手として等々力(フロンターレ本拠地)に帰ること
2. いつの日か、何らかの形でフロンターレと関わること
1は残念ながら叶わず、そしてもう二度と叶えることは出来ない。本音をいうと今でも心残りで悔いが残っているのが正直な気持ちです。
ですが、思わぬ形で等々力に戻ってくることになりました。「対戦相手」としてではなく、「現役引退選手」として。
自分にとって忘れられない日
『2022年5月22日』
フロンターレでキャリアを終えた訳でもないのに、引退挨拶をさせてくれました。僕は、この日を一生忘れることはありません。沢山のサポーターの皆さんに温かく迎えていただいた感動の一日でした。
・・・が、当日の流れは「フロンターレらしく」、ハチャメチャでした(笑)。
一応、事前に流れの大枠は聞いていました。引退挨拶の前にジャンケンイベントがあると。自分と1対1でジャンケンして勝った人だけが、引退記念品をもらえると。ふむふむ。
引退記念品 セルソースユニフォームを着た武岡キーホルダー
しかし、「フロンターレらしさ」を痛感させられるのは当日になってからでした。いつも彼らは想像の斜め上をいきます。
スタジアムに到着し、当日の流れを確認していくと、スタッフが竹馬を持ってきて告げた言葉は、
「ジャンケンイベントはこれに乗って登場ね!」
「武岡、武岡、武岡、竹馬!!!!ってなったわ!」
・・・到底理解できるわけもなく、やはりフロンターレはフロンターレやなと再認識した瞬間でした。
そして、開始直前には、「挨拶の時間は2分ね!ピッタリ終わらせてね!いけるやろ!」と言われ、にもかかわらず終わりの時間は教えてくれないと(笑)。
シーズン中、他クラブでは絶対にあり得ないような企画を連発するフロンターレですが、まさか引退セレモニーまでこんなに自由とは。
相変わらず「ぶっ飛んでるな」と思いましたが、どこかすごく懐かしさを感じ、「これこれ、やっぱこれやんな!フロンターレは!」と感じる自分がいました。
引退の挨拶の一言目に出てきた言葉は、『ただいま』。この言葉を伝えるまで思ったより時間がかかったのですが、心の中では「やっとみんなに言えたな。」とホッとしました。
そのあとの言葉は、特に事前に準備していたものでもなく、あのマイクの前に立って感じた言葉をそのまま伝えました。何を話したかよく覚えてません。
それだけ、『ただいま』という言葉が自分の中では大きすぎたという事だと思います。動画などを見返してみると、うまく話せていたので良しとしましょう(笑)。
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