【サッカー】ポーランド代表レヴァンドフスキ選手の経歴と凄さ
写真:ロベルト・レヴァンドフスキ(提供:AP/アフロ)
2022年現在、世界でもトップクラスの点取り屋と言えば「レヴァンドフスキ選手」ではないでしょうか?
ブンデスリーガ得点王7回、チャンピオンズリーグ得点王1回、ヨーロッパ・ゴールデンシュー2回というように、その実績も圧倒的です。
そんなレヴァンドフスキ選手もすでに34歳となり、カタールワールドカップが最後の国際大会になる可能性が高いと言えます。
この記事では、そんな「ポーランド代表レヴァンドフスキ選手の経歴と凄さ」について解説していきたいと思います。
レヴァンドフスキ選手の経歴
レヴァンドフスキ選手は、1988年8月21日生まれの34歳で、国籍はポーランドです。
父親と母親の両方がスポーツを行っていた(母親はバレーボール選手、父親は柔道家)ので、レヴァンドフスキ選手も自然とスポーツへの関心を高めました。
様々なスポーツを体験する中で、サッカーへの興味が強まります。
しかし、父親の考えの元、体操など他のスポーツも並行して続けていました。
この時の経験がどんな態勢でもシュートが打てる今のレヴァンドフスキ選手の活躍に繋がっているとも言えるでしょう。
サッカーを続けながらもワルシャワ体育大学に入学し、休学を経てトレーニング理論とマネジメント専攻し卒業しました。
まさに文武両道な人物だと言えます。
2006—2007シーズンはポーランド国内の3部リーグのズニチュ・プルシュクフに所属し、18歳ながら得点王を獲得。
2部に昇格した2007—2008シーズンも21ゴールを決めチームを1部昇格に導き得点王を獲得しました。
若くして大活躍したレヴァンドフスキ選手は、ポーランド最上位リーグに所属しているレフ・ポズナンに移籍し、ここでも2008—2009シーズンの公式戦で20得点、2009—2010シーズンに21得点を取ります。
2009—2010シーズンは得点王にもなり、ドイツブンデスリーガの強豪ドルトムントへの移籍をしたのです。
移籍した当初は日本の香川真司選手の控えに甘んじていましたが、当時のレギュラーFWのバリオス選手の故障をきっかけにレギュラーを奪うと、一気にその名をヨーロッパ中に轟かせていくのです。
2011—2012シーズンからリーグ戦で20得点以上取れなかったのは2014—2015シーズンのみ(それでも17ゴール)で、それ以外のシーズンは年間の公式戦でほとんど30ゴール以上をマーク。
バイエルンに所属していた2021—2022シーズンは公式戦50ゴールをマークしています。
キャリア通算540ゴールというまさに圧倒的な実績を残しているのです。
2022—2023シーズンからは、スペインのFCバルセロナへと移籍し、さっそく久保建英選手が所属するレアル・ソシエダ戦でゴールを奪うなどその実力を発揮しています。
(次のページへ続く)「レヴァンドフスキ選手の凄さ」
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