眞嶋優が、「サッカーができる女優」になるまで積み上げたこと。

5歳からNHKの朝ドラの子役として活躍する傍ら、家族の影響でサッカーにも親しんでいた眞嶋優さん。現在は女優として映画やドラマに出演するほか、Jリーグ・横浜FCの応援番組リポーター、日本フリースタイルフットボール協会(JFFA)の公認アンバサダーとしてパフォーマンス活動もしています。

幼少期から「サッカーができる女優」を目指していた彼女が、いかにしてその夢を実現したのでしょうか? フリースタイルフットボールとの出会いと、それをきっかけに掴んだ様々なチャンスについて語って頂きました。

幼少期から「サッカーができる女優」を目指す

私は、歩けるようになってすぐ自転車を補助輪なしで乗るくらい、活発な子でした。生まれは群馬ですが、3歳の頃には埼玉県の浦和市に引っ越しています。街がサッカー愛であふれていたこともあって、自然とサッカーを始めていました。また、家族全員がスポーツ好きな家庭だったこともあって、家の中にボールが転がっていたことも大きかったです。

そしてサッカークラブに入ろうと思ったのですが、お母さんから「サッカーは男の子っぽすぎるから……」と言われて、お兄ちゃんと一緒にダンススクールに通い始めました。スクールにはお芝居や歌のレッスンもあって、子役のオーディションの話も来ていたんです。そこでNHKの朝ドラのオーディションを受けてみたら、運良く合格することができました。子役として活動しているうちに、お芝居も楽しくなってきました。

その頃からサッカーは男の子に混ざって遊んだり、スクールに通ったりしていて、小学校を卒業する時には「サッカーのできる女優になりたい」と将来の夢を周囲に言っていました(笑)
本格的にサッカーを始めたのは、中学校でサッカー部に入ってからです。サッカー部でもリフティングは得意なほうで、インステップの大きなリフティングではなく、つま先で細かいリフティングをしていました。1年生の時には100回くらいできるようになっていましたね。

眞嶋優さん

フリースタイルフットボールとの出会い

フリースタイルフットボールと出会ったのは去年(2016年)の4月で、まだ始めて1年ちょっとしか経っていないんです。もともとリフティングが得意だったので、それを生かした特技を作りたいと思っていて。たまたまテレビで(※)ALEG-Reさんがパフォーマンスをしているのを見て「私もやりたい!」と興味を持って、インターネットで調べて練習し始めました。

※日本を代表するフリースタイルフットボールチーム。2015年に世界大会のチーム戦で優勝を果たし、世界一に輝いている。

眞嶋優さん

そこからTwitterに技の動画をアップし始めたら、日本フリースタイルフットボール協会(JFFA)の方が「一緒にフリースタイルフットボールを盛り上げませんか?」と声をかけてくださって、人前でパフォーマンスをするようになりました。初めての仕事は、去年のクラブワールドカップの会場(日産スタジアム)でした。なんと憧れのALEG-Reさんとコラボさせていただいたんです。

今はいろいろなところでパフォーマンスをしているんですが、芝居するよりも緊張します(笑)

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