家本政明が、主審を続ける理由。「ときには、嫌われる勇気」

「以前はどちらかというと我が強くて、自分の手で試合を良くしたい、もっと言えば、プレイヤーズファーストよりもルールファーストという思いが強過ぎたの*ですが、今は選手たちがいかに試合に集中し、かつ観客を楽しませられるように、審判としてどう選手と向き合い、試合に関わるべきかを考えています」(*サッカープロフェッショナルレフェリー 家本政明)

前編では家本さんが審判を志したきっかけと、プロに至るまでの経緯に迫りました。後編となる今回は、聖地・ウェンブリーでの不思議な経験や、スポーツ業界を志す上で必要な要素について語っていただきました。

選手たちが観客を楽しませられるように

京都パープルサンガを退社後は、僕が審判をやることを応援してくれる、あるいは兼業を理解してもらえる会社を探し、シミズオクトというイベント会社に転職しました。そこで仕事をしながら審判技術を高めた結果、2005年にはプロフェッショナルレフェリー、さらには国際審判員として活動しました。

プロフェッショナルレフェリーという制度ができたのは、2002年のことです。僕はプロや国際になるために審判を始めたわけではないですし、そうなるためにがんばってきたわけでもなく、「こんなサッカーができれば、選手も観客も審判も、誰もがサッカーを心底楽しめる」という理想像があって、それを実現させられるように審判としてのあるべき姿や、観客や選手との関係性を突き詰めることだけを考えてきました。

今もプロとして続けているものの、プロであることにこだわりを持っているわけではなく、先に述べた理想像や志を実現させたいだけなんです。プロや国際という肩書きは「付録」であって、ゴールではありませんから。

クラブに勤めている時は、Jリーグの審判も担当していました。当然、京都の試合や、京都の順位に関わるような試合は、僕が担当しないように協会は考慮します。クラブを退社した審判に対しても、退社から5年間はそのクラブの当該試合を担当させないなどの規約が設けられています。ですが、今でも僕は京都の試合を担当したことはありません。

僕の契約元は日本サッカー協会なのでそこから給料を頂いていますし、試合を担当することで受け取れる試合報酬はその試合の主管者、すなわち、国内ならばJリーグ、海外ならばAFCやFIFA、各国協会から支払われます。

毎月4~6試合、年間では50試合くらいを担当します。その中で常に理想の試合、審判の姿を追い求めるスタンスは今も昔も変わりません。ただ、強いて言うのであれば、近年は人の喜びをより重要視するようになりました。

以前はどちらかというと我が強くて、自分の手で試合を良くしたい、もっと言えば、プレイヤーズファーストよりもルールファーストという思いが強過ぎたのですが、今は選手たちがいかに試合に集中し、かつ観客を楽しませられるように、審判としてどう選手と向き合い、試合に関わるべきかを考えています。

若い頃に我が強いのは仕方ない部分もあるのかもしれないですが、これまでの苦しい経験や結婚して親になったことで、審判をする上での考え方や価値観、喜びや楽しみといったものが大きく変わりましたね。(※1)2016年の川崎フロンターレ対横浜F・マリノス戦や、(※2)2017年の最終節もそうですけど、昔の僕であれば、あのように試合がエキサイティングになるようにコーディネートすることなんて、絶対できなかったと思います。

※1 J1リーグ・2ndステージ第13節。川崎の2点リードから、横浜FMが後半アディショナルタイムに2得点を決めて追いついたものの、ラストプレーで再び川崎が勝ち越し。3-2で劇的勝利を収めた。

※2 J1リーグ最終節・川崎フロンターレ対大宮アルディージャ。川崎が5-0と大勝を収め、首位の鹿島を得失点差で上回り、逆転で初優勝を飾った。

正しいことを批判されて心が折れそうになった時も、家族という最高の居場所があり、審判仲間や心許せる人達が声をかけてくれることで、何があっても一人ではないと感じています。こういったことによって、良い意味で自分の審判の理想像がブラッシュアップできています。

サッカーの聖地で日本人初快挙。世界的大舞台で感じたこと

日本はFIFAから、国際審判員の枠として主審7名、副審9名が認められています。特にテストはなく、年齢や実績、人柄などを基準として各国審判委員会と協会理事会によって選出された人をFIFAに申請して、承認されれば国際試合を担当できるようになります。基本的には大陸ごとに分かれて、日本人であれば主にアジアを担当しますが、評価が上がれば世界的な大舞台でも笛を吹けるようになります。

ウェンブリー・スタジアムでのイングランド対メキシコ戦は、僕にとって一生忘れることのできない貴重な経験となりました。2010年・南アフリカW杯前の最終調整の試合で、両チームにとって非常に重要な試合でした。試合の流れもすごく早いですし、レベルもスピードも僕がこれまで経験したことのない超ハイレベルなものでした。

観客の声援で笛の音も聴こえなくて、これが世界最高レベルのサッカーなのかと身震いしました。ただ、不思議と流れが早い中でも全てのプレーや展開がスローモーションのように見えて、すごく騒がしいはずなのに静かに感じて、まさに自分が「ゾーン」に入っていた試合だったんです。

残念ながら、この感覚は後にも先にもこの1試合だけなんです。90分が3分くらいの感覚でしたし、何とか同じ経験をもう一度したい、と思いながら今でも毎試合臨んでいるんですが、実現できていません。

審判は知識や判断力、決断力だけでなく、体力が必要不可欠なので、当然選手と同じように毎日トレーニングを積んでいます。結婚する前までは、静岡県御殿場市にいる僕の師匠に、人の身体と動きに関する様々なことを教わりました。

その方は動作解析のプロフェッショナルで、カイロプラクティックの資格も持っていて、「審判こそ全てを知っていなければいけない。サッカーはもちろんのこと、身体のことやケガを起こすメカニズムといった医学的知識や動作解析のスキルが必要」ということをずっと言っていました。これはまさしく真理だなと思い、その方に弟子入りし4年ほど、専門的な知識とテクニックを学びました。

結婚して家族ができたものの、審判を50~60歳まで続けるのは難しいですし、将来的に何をしようか漠然と考えていました。そんなタイミングで、知人のプロ経営者と話をする機会があったので「生きていくために不可欠なスキルの中で、僕に圧倒的に欠けているものは何ですか」と聞いてみたんです。

2つあると言われ、1つは論理的思考、もう1つは数字でした。今、時間があるうちに物の見方や捉え方、考える力や問う力をしっかりと身につけたほうが良いと。数字に関しても、ビシネスにおいて定量分析やアカウンティング、ファイナンスといったものは身につけておくべき必須スキルだと言われました。

そこで、その知人からグロービス経営大学院の関係者を紹介してもらい、単科生として単発で授業を受けることにしました。受講したのはクリティカルシンキングという思考系の科目だったんですが、これが本当に面白かったんです。

家族の理解もあったので、その後単科生ではなく本科生としてグロービス経営大学院に入学して、4年間勉強しました。そこには様々な起業家や経営者が講師や受講生としているのですが、皆口を揃えて言うのは「審判がなぜビジネススクールに?」という疑問ですね(笑)。

審判は試合の中で、コンマ何秒の変化を捉えながら、最適解を出さないといけないんです。反則を取るか取らないか、選手に話をするかしないか。話をするのであれば、誰に、どのタイミングで、どういう表現を使うのか。どうコーディネートすれば選手がプレーに集中し、観客がプレーに感動するのか。そう考えると、ビジネスと審判はリンクするところがたくさんあって、学んでいても紐づく部分がたくさんあったんです。学んだことは審判をする上でも活きていますし、もっと言えば、審判界、さらにはサッカー界がどうなのか、ビジネスの切り口で分析できるようになりました。

将来的には今あるスキルと経験を活かして、サッカー界でもう一度、ビジネスに取り組みたいという気持ちもあります。ただ、僕はこれまでサッカー界しか知らないので、はたしてそれだけでいいのか、という懸念もあります。知識見識を広める意味でも、サッカー界、あるいはスポーツ界以外の違った世界に行くのもありだと思っています。

他の業界でも生きていく自信はありますし、最初から選択肢を限定したくないんです。今は将来にいくつかの選択肢があり、審判界やサッカー界、スポーツ界に限ることなく、次のステージを見定めている段階です。

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