サッカークラブが増えすぎると、一番困るのは誰なのか?(えとみほ)

一番苦しむのは誰なのか

しかし、私がクラブ数が増えることに懐疑的なのは、これまで述べたことが一番の理由ではない。最も問題だと思っているのは、このしわ寄せが選手にいくのではないか、という懸念である

クラブ数が10クラブしかなった頃のJリーガーは、知名度的にも、収入などの待遇やその暮らしぶりにおいても、まさに「スター」といえるような存在だった。引退後もタレントに転身したり、サッカー界に残って指導者になったり、解説をやったり、サッカースクールを立ち上げたり、「元Jリーガー」というブランド力を生かして様々な道に進むことができた。

しかしいまやJリーガーは、単純計算でリーグ開幕当初の6倍近くいるのである。単純に希少性の観点だけで言うと、数が増えれば増えるほどブランド力が低下の一途をたどるのは必然のように思う。

そしてもう1つ私が問題だと感じているのは、選手が自身のキャリアに限界を感じてもスパっと辞められないという点である。

プロクラブが少なかった時代であれば、行先は限られるので、どこからもオファーがなければ、そこで引退という道を選ばざるをえなかった。しかし、今のようにクラブ数が増えると、カテゴリを落として選手を続けることも可能になる。

選手の引退年齢については計測が難しいため公式な統計がないのだが、Jリーグで26〜27歳、JFL以下で32〜33歳という情報をどこかで見かけたことがある。つまり、単純に考えればクラブが増えることで引退の平均年齢は上昇するのだ。

本人がサッカーを続けたいと思っているのだから、それでいいじゃないかと思われるかもしれない。私もそう思っていた。しかし、満足な貯金ができるほどの報酬をもらっていたり、引退後の道が約束されているようなレジェンドでもない限り、年が上がれば上がるほどセカンドキャリアへの道は険しくなる。この現実は忘れてはならない。

昨年、SSNでも「若い選手に求めたい「使い捨てられない」ための覚悟。」という記事が話題になったが、実際のところセカンドキャリアにおいて大きな努力を要するのは、高卒ですぐに見切りをつけられた(つけた)選手ではない。

私の知る範囲では、そのくらいの年齢で引退した選手は、大学に進学したり第二新卒扱いで就職したりしていて、さほど問題なく次の人生をスタートしている。苦労するのは、それができなかった選手たちなのである。

「Jリーグ入りを目指す」+アルファの存在意義があるか

ひたすらネガティブな話をしてしまったので、ポジティブな話もしたい。

実は、新しいサッカークラブの中で、私がその存在意義に共感しているクラブが2つある。それが、「南葛SC」と「クリアソン新宿」である。

この2つのクラブもJリーグ入りを目指すクラブではあるが、選手たちはただサッカーだけしていればいいというわけではなく、フロントスタッフとしての業務を兼務していたり、クラブが紹介した先で社会人として就業をしている。社会人としてのキャリアを積みながら、サッカー「も」本気でやるというスタンスである。

こういったスタイルは珍しいものではなく、むしろJリーグができる前の企業クラブでは当たり前のことだった。ただ、昔の企業クラブと違うのは、企業クラブが会社の宣伝広告やイメージアップのために存在しているのに対し、上記の2つのクラブは、企業主体ではなくあくまで中心にあるのがサッカーであり、選手である、という点である。

サッカー業界における社会課題とも言える選手のセカンドキャリア問題に真っ向から取り組むこと。それは、実は既存のJリーグクラブにはとても難しい。

なぜなら、昇降格があるので、なにをおいてもまずは「勝利」に意識をむけなければならないからだ。選手にはなるべくサッカーに集中してもらい、良い戦績を残してもらいたい。そうならざるを得ないのである。

上記のクラブを含むいくつかの新興クラブは、そういった事情を理解したうえで「Jリーグクラブにはできないこと」を存在意義として掲げており、実際にその理念に共感した元Jリーガーが集まってきている。もちろん、理念だけでなくそれを裏付ける経営母体があることも重要だ。

つまり、新しいクラブを立ち上げること自体が悪いわけではなく、既存のクラブにはない「存在意義の有無」がクラブの存続において重要なポイントになるのだと思う。それは、既存のJリーグクラブにとっても無関係な話ではないだろう。

■プロフィール
江藤美帆(えとう・みほ)

Jリーグ「栃木SC」マーケティング戦略部長。外資IT企業などを経て、広告代理店在籍中にSNSマーケに特化したWebメディア「kakeru」を立ち上げ初代編集長に就任。「インスタジェニック」などのトレンドワードを生み出す。その後スマホで写真が売れるアプリ「Snapmart」を開発。上場会社に事業譲渡後、代表に就任。2018年5月より現職。

■関連記事

関連記事