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マラドーナは死んでいない――“英雄”が去ってから1年。今アルゼンチンで何が起きているのか【現地発】

数々の栄光を残し、多くの人々から愛されているマラドーナ。その存在は死してなお強まっている。(C)Albert LIGRIA
ディエゴ・マラドーナの一周忌に際し、南米サッカー連盟は、「マラドーナ星」なるものを勝手に登録し、彼の古巣であるナポリは左足が黄金に輝く銅像をお披露目。『Amazon prime』では、遺族の了解を得ないまま製作されたドラマが公開された。

星も銅像も「死者であること」が前提だが、今、アルゼンチンで起きている現象は、これらのオマージュとは全く無縁だ。

よく「人は忘れられた時に死ぬ」と言われる。人が本当の意味で「死」を迎えるのは、肉体的に滅んだ時でも埋葬された時でもなく、「人々から忘れられてしまった時である」という死生観だ。

その観点から見れば、アルゼンチンにおけるマラドーナはまだ死んでいない。それどころか、彼は母国で生命の炎を燃やし続け、逝去から1年経った今、ますます「生きた存在」と化していると言っていい。

「マラドーナは生きている」などと書くと、彼の死を悲しむあまり、私の頭がどうかしてしまったのではないかと思われるかもしれない。確かに、亡くなった直後のアルゼンチンでは、私を含むマラドニアーノ(又はマラドネアーノ=マラドーナを敬愛する者)たちがまるで家族か友人を失ったかのような強い喪失感に襲われ、その感覚を理解できない人たちから大袈裟と思われても仕方がないような状態にあった。
ツイッターで「La Pelota No Se Mancha」(ラ・ペロータ・ノ・セ・マンチャ=マラドーナが引退時に残した名言で『ボールが汚れることはない』の意)という名のアカウントを立ち上げ、約8年前からマラドーナのピッチ内外での忘れ難いエピソードを語り続けるフェルナンド・ブランコは、急死の報せから1か月経った時点での哀しみの感触を巧みに綴っている。

「この痛みは妙なものだ。どこからともなくガツンとやって来て、身体の中に入り込んでくる。本当の話だ。他人の目にはマヌケな奴のように映るに違いない。突然、腑抜けになってしまうのだからね。この気持ちを理解してくれる人、救い方を知る人が傍に来てくれない限り、治癒の術はない」

ブランコの場合、1年経った今もその痛みから解放されてはいない。マラドーナの生前と比較すると投稿の頻度も低下した。だが、逝去後大量に出現した「いいね」の数だけを競うマラドーナ関連のSNSアカウントとは異なり、アルゼンチンが生んだ英雄が残した膨大な数の逸話を語り継ぐことだけを目的とした純粋な活動はその後も多くのマラドニアーノから根強く支持され続けている。

フォロワー6万人という数からは影響力のほどを感じないかもしれないが、その中にアルゼンチンの著名ジャーナリストたちやマラドーナの次女ジャニーナが含まれていることからもコンテンツの価値がわかる。

ブランコによる「私が愛するのは一人の人間としてのマラドーナであり、サッカー選手としての評価はプラスアルファの要素にすぎない」との見方は、アルゼンチンのマラドニアーノたちに共通して見受けられるものだ。
彼らが愛し続けるのは、ボールを使って楽しむ喜びを伝えつつも、常に貧しい人、弱い立場の人を守るために権力に逆らい、立ち向かい、彼らを助けるためならば(例えそれが赤の他人でも)、身体を張って即行動に移した「大衆の味方」としてのマラドーナなのである。

それを裏付けているのが、この1年間、アルゼンチン全土で一気に増えたマラドーナの壁画だ。「壁画」と表現すると大層な響きがあるが、この場合はいわゆるアーバンアート。以前は数えるほどしかなかったのが、逝去後は国内の至るところでマラドーナの肖像が見られるようになり、今も各地で増え続けている。その現象こそ、この国で「マラドーナは生きている」と言い切れる証拠なのだ。

マラドーナの写真を使ったアートを施すことで知られ、2016年にはナポリ市内の各所にも作品を残したアーティスト、San Spiga(サン・スピガ)ことサンティアゴ・スピガリオルは「アーバンアートこそマラドーナに捧げるオマージュに相応しい」と語る。
「時には違法であり、刹那的で破壊的だが、同時に国境を越える影響力を発揮し、力強い。アーバンアートそのものが、反骨心に溢れていたマラドーナ自身を象徴していると言っていいだろう」

スピガリオルは、マラドーナの逝去後に彼の壁画が増えたことについて「正義が果たされた」と語る。過去、街角でアートを施していると理解してもらえず、通りがかりの人から怪訝そうな顔で「なぜマラドーナの肖像を残すのか」と問われた経験が何度もあったというのだ。

「アルゼンチン国内だけでなく、ナポリでも同じ目に遭った。ところが彼が亡くなった時、私が残したアートは一種の祭壇と化し、人々がキャンドルや花を供える場所になったんだ。追悼と感謝の気持ちを伝えるために、誰もがマラドーナの肖像を求めたのさ。今(マラドーナの壁画が)あちこちで見られるようになったのは、人々がそれだけマラドーナを間近に感じている証拠なんだ」

普段はアルゼンチン国営放送の子ども向け教育番組でアートを教えているスピガリオルだが、仕事の合間を縫っては首都ブエノスアイレスのみならず、地方都市にも足を伸ばして街角をマラドーナの肖像で飾っている。 壁画が祭壇代わりになった現象を見て、実際にマラドーナを守護神として祀った祭壇を作り始めた人もいる。アルゼンチン国立ラプラタ大学で建築史の教師を務めるベロニカ・サンチェス・ビアモンテだ。

サンチェス・ビアモンテは3歳だった1977年、当時アルゼンチンを支配していた軍事政権によって両親を連れ去られ、以後は祖父母に育てられた。ラグビーの花形選手だった父を偲びながら、全盛期のマラドーナに恋焦がれ、「自分の記憶の中で父親の思い出が薄れていくなか、マラドーナへの思いが日に日に強まった」という。

「86年のメキシコW杯の時、活躍を祈願して祖父がマラドーナの祭壇を作って、毎日そこにお供物をしたんです。祖父は私が15歳の時に他界してしまいましたが、手作りの祭壇の思い出はマラドーナへの愛情とともにずっと私の心に残っていました」

昨年11月にマラドーナが亡くなった際、悲しみに暮れたサンチェス・ビアモンテは、人々が壁画のもとに集まってキャンドルや花を供える様子を見たパートナーから「君のその思いを伝えることのできる祭壇を作ってはどうか」との助言を得た。

「アルゼンチンでは街角のあちこちに祭壇が置かれています。世界の幸せを祈るものから交通事故防止を願うものまで様々ですが、誰が置いたのかわからないものばかり。絶えず花が供えられ、道行く人は祈りを捧げます。そこでマラドーナを守護神とした祭壇を作り、私が住んでいるラプラタ市内に設置しようと思いついたのです」
当初はマラドーナにちなんで10箇所に設置する予定だった。だが、口コミで広がり、この1年の間になんと170もの祭壇がアルゼンチン各地に置かれた。そのほとんどが貧しい人たちが暮らす地区や、貧困層を支援する団体の施設で、まさにマラドーナの意思を引き継ぐ形になっている。

祭壇に飾られる写真によって、「草サッカー」もあれば、「栄光」「子どもたち」と様々に守護神が存在する。

「祭壇があれば私たちはいつでもマラドーナに話しかけ、祈り、思いを伝えることができる。生前に見せてくれた数々の魔法と奇跡は人々の希望となり、マラドーナ自身も私たちの心の中でいつまでも生き続けるのです」

あの忌まわしい2020年11月25日以後、マラドーナは壁画となり、祭壇となって、確実に、より近く、より広い範囲で人々の暮らしに浸透している。忘れ去られるどころか、今後ますます存在感を増すのではないかと思わせるほどだ。

【PHOTO】マラドーナは生きている――アルゼンチン国内で広がる壁画や祭壇によるオマージュを厳選ショットで紹介

取材・文●チヅル・デ・ガルシア text by Chizuru de GARCIA

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ディエゴ・マラドーナの一周忌に際し、南米サッカー連盟は、「マラドーナ星」なるものを勝手に登録し、彼の古巣であるナポリは左足が黄金に輝く銅像をお披露目。『Amazon prime』では、遺族の了解を得ないまま製作されたドラマが公開された。

星も銅像も「死者であること」が前提だが、今、アルゼンチンで起きている現象は、これらのオマージュとは全く無縁だ。

よく「人は忘れられた時に死ぬ」と言われる。人が本当の意味で「死」を迎えるのは、肉体的に滅んだ時でも埋葬された時でもなく、「人々から忘れられてしまった時である」という死生観だ。

その観点から見れば、アルゼンチンにおけるマラドーナはまだ死んでいない。それどころか、彼は母国で生命の炎を燃やし続け、逝去から1年経った今、ますます「生きた存在」と化していると言っていい。

「マラドーナは生きている」などと書くと、彼の死を悲しむあまり、私の頭がどうかしてしまったのではないかと思われるかもしれない。確かに、亡くなった直後のアルゼンチンでは、私を含むマラドニアーノ(又はマラドネアーノ=マラドーナを敬愛する者)たちがまるで家族か友人を失ったかのような強い喪失感に襲われ、その感覚を理解できない人たちから大袈裟と思われても仕方がないような状態にあった。
ツイッターで「La Pelota No Se Mancha」(ラ・ペロータ・ノ・セ・マンチャ=マラドーナが引退時に残した名言で『ボールが汚れることはない』の意)という名のアカウントを立ち上げ、約8年前からマラドーナのピッチ内外での忘れ難いエピソードを語り続けるフェルナンド・ブランコは、急死の報せから1か月経った時点での哀しみの感触を巧みに綴っている。

「この痛みは妙なものだ。どこからともなくガツンとやって来て、身体の中に入り込んでくる。本当の話だ。他人の目にはマヌケな奴のように映るに違いない。突然、腑抜けになってしまうのだからね。この気持ちを理解してくれる人、救い方を知る人が傍に来てくれない限り、治癒の術はない」

ブランコの場合、1年経った今もその痛みから解放されてはいない。マラドーナの生前と比較すると投稿の頻度も低下した。だが、逝去後大量に出現した「いいね」の数だけを競うマラドーナ関連のSNSアカウントとは異なり、アルゼンチンが生んだ英雄が残した膨大な数の逸話を語り継ぐことだけを目的とした純粋な活動はその後も多くのマラドニアーノから根強く支持され続けている。

フォロワー6万人という数からは影響力のほどを感じないかもしれないが、その中にアルゼンチンの著名ジャーナリストたちやマラドーナの次女ジャニーナが含まれていることからもコンテンツの価値がわかる。

ブランコによる「私が愛するのは一人の人間としてのマラドーナであり、サッカー選手としての評価はプラスアルファの要素にすぎない」との見方は、アルゼンチンのマラドニアーノたちに共通して見受けられるものだ。
彼らが愛し続けるのは、ボールを使って楽しむ喜びを伝えつつも、常に貧しい人、弱い立場の人を守るために権力に逆らい、立ち向かい、彼らを助けるためならば(例えそれが赤の他人でも)、身体を張って即行動に移した「大衆の味方」としてのマラドーナなのである。

それを裏付けているのが、この1年間、アルゼンチン全土で一気に増えたマラドーナの壁画だ。「壁画」と表現すると大層な響きがあるが、この場合はいわゆるアーバンアート。以前は数えるほどしかなかったのが、逝去後は国内の至るところでマラドーナの肖像が見られるようになり、今も各地で増え続けている。その現象こそ、この国で「マラドーナは生きている」と言い切れる証拠なのだ。

マラドーナの写真を使ったアートを施すことで知られ、2016年にはナポリ市内の各所にも作品を残したアーティスト、San Spiga(サン・スピガ)ことサンティアゴ・スピガリオルは「アーバンアートこそマラドーナに捧げるオマージュに相応しい」と語る。
「時には違法であり、刹那的で破壊的だが、同時に国境を越える影響力を発揮し、力強い。アーバンアートそのものが、反骨心に溢れていたマラドーナ自身を象徴していると言っていいだろう」

スピガリオルは、マラドーナの逝去後に彼の壁画が増えたことについて「正義が果たされた」と語る。過去、街角でアートを施していると理解してもらえず、通りがかりの人から怪訝そうな顔で「なぜマラドーナの肖像を残すのか」と問われた経験が何度もあったというのだ。

「アルゼンチン国内だけでなく、ナポリでも同じ目に遭った。ところが彼が亡くなった時、私が残したアートは一種の祭壇と化し、人々がキャンドルや花を供える場所になったんだ。追悼と感謝の気持ちを伝えるために、誰もがマラドーナの肖像を求めたのさ。今(マラドーナの壁画が)あちこちで見られるようになったのは、人々がそれだけマラドーナを間近に感じている証拠なんだ」

普段はアルゼンチン国営放送の子ども向け教育番組でアートを教えているスピガリオルだが、仕事の合間を縫っては首都ブエノスアイレスのみならず、地方都市にも足を伸ばして街角をマラドーナの肖像で飾っている。 壁画が祭壇代わりになった現象を見て、実際にマラドーナを守護神として祀った祭壇を作り始めた人もいる。アルゼンチン国立ラプラタ大学で建築史の教師を務めるベロニカ・サンチェス・ビアモンテだ。

サンチェス・ビアモンテは3歳だった1977年、当時アルゼンチンを支配していた軍事政権によって両親を連れ去られ、以後は祖父母に育てられた。ラグビーの花形選手だった父を偲びながら、全盛期のマラドーナに恋焦がれ、「自分の記憶の中で父親の思い出が薄れていくなか、マラドーナへの思いが日に日に強まった」という。

「86年のメキシコW杯の時、活躍を祈願して祖父がマラドーナの祭壇を作って、毎日そこにお供物をしたんです。祖父は私が15歳の時に他界してしまいましたが、手作りの祭壇の思い出はマラドーナへの愛情とともにずっと私の心に残っていました」

昨年11月にマラドーナが亡くなった際、悲しみに暮れたサンチェス・ビアモンテは、人々が壁画のもとに集まってキャンドルや花を供える様子を見たパートナーから「君のその思いを伝えることのできる祭壇を作ってはどうか」との助言を得た。

「アルゼンチンでは街角のあちこちに祭壇が置かれています。世界の幸せを祈るものから交通事故防止を願うものまで様々ですが、誰が置いたのかわからないものばかり。絶えず花が供えられ、道行く人は祈りを捧げます。そこでマラドーナを守護神とした祭壇を作り、私が住んでいるラプラタ市内に設置しようと思いついたのです」
当初はマラドーナにちなんで10箇所に設置する予定だった。だが、口コミで広がり、この1年の間になんと170もの祭壇がアルゼンチン各地に置かれた。そのほとんどが貧しい人たちが暮らす地区や、貧困層を支援する団体の施設で、まさにマラドーナの意思を引き継ぐ形になっている。

祭壇に飾られる写真によって、「草サッカー」もあれば、「栄光」「子どもたち」と様々に守護神が存在する。

「祭壇があれば私たちはいつでもマラドーナに話しかけ、祈り、思いを伝えることができる。生前に見せてくれた数々の魔法と奇跡は人々の希望となり、マラドーナ自身も私たちの心の中でいつまでも生き続けるのです」

あの忌まわしい2020年11月25日以後、マラドーナは壁画となり、祭壇となって、確実に、より近く、より広い範囲で人々の暮らしに浸透している。忘れ去られるどころか、今後ますます存在感を増すのではないかと思わせるほどだ。

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取材・文●チヅル・デ・ガルシア text by Chizuru de GARCIA

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