
Jリーグ理事 佐伯夕利子 YURIKO SAEKI Vol.1「“普通の人間”になりたくなかった」
サッカー先進国・スペインで指導者としての道を切り開き、アトレティコ・マドリー、バレンシア、ビジャレアルなどで重要な役割を任せられてきた佐伯夕利子。
「ニューズウィーク日本版」で「世界が認めた日本人女性100人」にノミネートされるなど、サッカーで活躍する女性のベンチマーク的存在でもある。
2020年よりJリーグ理事に就任した佐伯は、日本サッカーが発展するために何が必要だと考えているのか。
「SmartSportsNews」の独占インタビューを3回に分けてお届けする。
サッカーの仕事で生きていく
――佐伯さんは2003年にスペインの男子リーグで初めての女性監督になったことで大きな話題になりました。当時は日本からも多くの取材が押し寄せたとか。
そうですね。
――スペインで指導者ライセンスをとるだけでなく、男子リーグの監督に初めてなるというのはオンリーワンの経験ですよね。
第一人者であることにはあまり意味がないというか、私が他の指導者よりも優秀なのかと言われると決してそうではなかったですから。何事においても誰かが一番目になります。それがたまたま私だっただけだと思っています。
――でも、30年ほど前のサッカーの現場って今よりもずっと男性社会だったんじゃないですか?
はい。それはもう間違いありません。地球上は半分が男性で、半分が女性です。どんなシチュエーション、どんな場でも本来は半々でなければいけないのに、フットボール界では女性のプレゼンス(存在感)が圧倒的に低かったのが事実です。特に指導の現場に関してはさらに閉鎖的でした。
――前例のない挑戦を佐伯さんが成し遂げられたのはなぜだったのでしょう?
そもそも、私が好奇心旺盛な人間だったからというのがあります。高校生ぐらいから漠然とですが「普通の人間になること」への恐怖心があったんですね。
――恐怖心、ですか?
ええ。大学の附属高校に行ったのですが、このまま普通に大学に行って、普通に就職していくんだろうなという未来が見えた時に恐怖心が芽生えました。自分が本当にやりたいと思うことが職業にならないのではないか、自分をだましながら生きていかなければいけないのではないか、と。ただ当時は周りにはそのことを言えなくて。自分が特別だと思っているんじゃないかと周りから見られるのが嫌だったんですね。
――お父さんの仕事の都合でスペインに行ったのは、18歳の時でした。
本当に幸運だったと思います。19歳になる前に生まれて初めて「私はこの職業に就きたい」と思えるものに出会えました。
――それがサッカー指導者だった。
私はサッカーで生計を立てたいんだという強いモチベーションが生まれました。女性監督がいないというのは、当時の私にはよくわかっていませんでした。ただただ自分がやりたいという強い思いだけで門戸を叩きました。
――19歳で将来の目標が明確に決まったんですね。
日本だと大学に行って、就職試験を受けるぐらいのタイミングで何になりたいかを考える人が多いという印象があります。日本は豊かな国なので子どもたちも確固たる思いを持って大学の学部を選ぶ、将来の目標へ突き進むといったことが、欧米の人と比べると少ないのかなという気がします。欧米では大学の学部と異なる分野の企業ではまず雇ってもらえません。私の兄は大学の法学部を出たのですが、今は映画関係の仕事をしています。そういうことは欧米ではまずあり得ません。