BMX・大池水杜「本気になれる場所」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

日課とも言える激しい練習を終え、彼女は愛車のマニュアル四輪を駆って風を切る。至福のひと時—ギヤチェンジする手がふと止まり、呟いた。

「私、世間一般で言う、普通のオリンピックを経験してないんですよね・・・」

2021年の夏、1年の延期を経て開催された【東京オリンピック】。この時、初採用となったのが、BMXフリースタイル・パークだ。競技は、パークと呼ばれるステージで、様々な斜面を使いながら、ジャンプなどの難易度を競う。1分間の試技を2本。点数の高い方が採用され、順位が決まっていく。

日本人女子選手として唯一人出場したのが、日本の第一人者・大池水杜、25歳。この大舞台で彼女は、169センチの恵まれた体格を活かし、ダイナミックで美しいジャンプを次々と決めていく。自身の代名詞とも言える、両手を離す技≪ノーハンド≫も披露し、海外の強豪たちと互角に渡り合った。

見事、7位入賞。日本BMX界に新たな歴史を刻んだ。

そんな大池が今、新たな野望に燃えている。

「あいつが一番いい、一番格好いい。そう言われるライダーになるのが理想なんですよね」

彼女が次に見据える舞台とは? その道を突き進む背中を、追いかけた。

戦国末期、城下町として栄えた岡山県岡山市。この地に、BMXのための日本最大級のパークがある。スポーツ庁に指定された、ナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設。大池はここをベースに心身を磨いている。4年前、最高の環境で練習するために、移り住んだのだ。移住を勧めたのは、BMX連盟の出口智嗣理事長。

「(当時)東京オリンピックを目指す上で、環境が整ってない所で練習しても、どうにもならないですから。大池の出場は、連盟にとっても悲願だったので」

結果は前述の通り。期待に応えた彼女は1年後の今、間近に控えたジャパンカップに向け、激しい練習に明け暮れていた。

実は大池は昨年、東京オリンピックの直後に行われた全日本選手権で、5連覇を逃して敗北。当時15歳の新鋭・中村寧々に女王の座を明け渡していた。

「あの時のライディングには、全然納得していません。自分に腹が立つ」

大会は違えども、女王の座を奪還することは至上命題。その先にしか、彼女の新たな野望は見えてこないのだ。

入念に技の確認をする大池。そんな中で、彼女にはもう一つの役目がある。この日は、未来を担う、地元の小中学生も一緒に練習していた。自分のライディング技術を磨くことはもちろん、彼らへのアドバイスも積極的に行う。それがBMXの発展に繋がり、自分自身を取り巻く環境がより高いレベルになると信じているからだ。

大池が、生まれ故郷の静岡でBMXを始めたのは、中学2年の時。もっと幼い頃から、乗り物がある生活が当たり前だった。

「モトクロスやって その後バイクトライアルっていう自転車の競技やって・・・ でっかいキックボードに、ちっちゃいエンジン付けて、それを河川敷で乗り回して遊んだりとか、普通にヤンチャでしたね」

そこで身につけた『乗る感覚』は、BMXでもすぐに発揮される。始めてわずか2年後、高校1年で、いきなり世界大会5位入賞!2018年には、日本人初のワールドカップ優勝を遂げ、世界のトップライダーの仲間入りを果たした。

「(BMXは)性格に合ってるし、本気になれる場所なんです」

パークでの練習後、大池は、週に1度、体のケアを行っている治療院へ向かう。現在、治療院の鍼灸師のサポートで、肉体改造の真っ最中だという。

「コケそうな時、コケなかったり、ライディング中に体の軸がブレなくなってきた感覚はあります」

首周りの施術は、より丁寧に行われる。実は19歳の時、練習中の転倒で、くも膜下出血を引き起こしていた。選手生命どころか、命の危機。それでも驚異的な回復力を見せ、わずか3ヵ月後には、まだ記憶が曖昧にも関わらず、競技に復帰。だが・・・

「今も痛みは残ってます。その影響だと思うんですけど、平衡感覚を養うトレーニングは欠かせないんです」

そう言って、途中フラフラしながらも、大池はそのトレーニングを明るくこなしていく。ポジティブシンキングは、彼女の大きな武器のひとつなのだ。

体のメンテナンスを終えたばかりの大池は、トレーニングジムに場所を移した。技を大きく綺麗に見せるために、主に肩甲骨周りの可動域を広げるトレーニングに時間を割く。以前は、ジムでのトレーニングは、ほとんどやっていなかったという。意識が変わったのは、1年前の夏、東京オリンピックでのことだった。

「選手村で、他の色んな競技のアスリートを見て・・・ 自分が凄く場違いのような気がして。アスリートの体じゃないんですよ、私だけ」

もっと跳べる!もっと強くなれる!オリンピックという舞台は、大池水杜に有形無形の恵みを与えてくれたのだ。

BMXライダーとしての一日を終えた大池が、愛車・スプリンタートレノ(通称・ハチロク)のコクピットに潜り込む。オンとオフをきっちり分ける主義の彼女にとって、ハチロクのハンドルを握る道中は、オフの至福のひと時。だが、不意にオンに戻ったのか、まるで世間話をするかのように、新たな野望について語り始めた。

「私は、世間一般で言う、普通のオリンピックを経験してない・・・」

大池が出場した東京オリンピックは、コロナ渦で1年延期された上に、無観客開催。異例ずくめの大会だった。

「他の競技の選手から、正常なオリンピックの魅力を教えられて・・・ 私も味わってみたい!ってなっちゃいました」

東京オリンピックは困難を乗り越えた上の、素晴らしい舞台だった。否定する気はさらさらない。7位入賞を誇りに思っている。それでも、真の4年に一度の大舞台、そのビジョンが彼女の心を捉えて離さない。花の都・パリオリンピックまでは、あと2年。ギヤチェンジを繰り返しながら、その時へ向け、準備を進めている。

夜は、岡山の家族と呼んで慕う、胡本さん母子との食事。大池を目標にプロライダーを目指す、息子の城くんとは、ついついBMXの話が多くなる。若い世代のレベルアップは、楽しみであり、一方で恐怖でもある。無論、簡単に追い抜かせるつもりは無い。その力を示す舞台、ジャパンカップは、すぐそこに迫っている。ともあれ、まずは女王の座、奪還だ。

7月24日。完全有観客での開催となった、マイナビ・ジャパンカップ横須賀。

大池は、女子エリートの部に出場。昨年の全日本選手権で、彼女の5連覇を阻んだ、現女王・中村寧々の顔も見える。レース直前のインタビューに、大池は・・・

「ぶっちぎりで優勝します!」

強い浜風が吹く難しい条件の中、大池の注目のライディングは・・・

その浜風に煽られながらも、空中でのバランスを崩さず、全ての技を完璧にメイク。大技も決め切って、観客の拍手喝采を浴びる!

一方、全日本チャンピオン、現女王の内藤寧々は、強い風に幾度もバランスを崩し得点を伸ばすことが出来なかった。

宣言通り、大池がぶっちぎりの優勝。女王に返り咲く!

「みんなが『久々に気持ち良さそうに乗ってるの見れて良かったよ』って言ってくれて、自分らしく乗れた証拠じゃないですかね? 今日のこの風、トレーニングしてなかったら、相当流されてる。やっただけの甲斐はあった、間違いじゃなかった!」

花の都で開催されるあの夢舞台が今、間違いなく彼女の視界に入った。

大池水杜、もうすぐ26歳。

大勢の期待と夢を背負う日本BMX界の女王は、パリの女王を目指して、トップギヤで駆けていく。

TEXT/小此木聡(放送作家)

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