体育を赦し、スポーツと和解する。御田寺圭コラム
体育を赦し、スポーツと和解する
スポーツをこの国の大きなカルチャー、あるいは世界的なコンテンツとして盛り上げていくためには、そのマーケットの担い手である日本人に対して「体育を赦し、スポーツと和解する」道筋を可能なかぎり開いていくことが重要になる。
「スポーツ嫌い」の人を増やさない、あわよくば、たとえ自分自身がスポーツから離れても、スポーツや選手たちのことをうっすらと好きでいてくれる人を増やす──。そのための大きなヒントは、すでに現場から見出すことができる。
『慣習的な少年野球の常識を取り払ったチームが、徐々に注目を集めている。2021年から活動を開始した「練馬アークス・ジュニア・ベースボールクラブ」。練習中は罵声が飛ぶことはなく、勝利至上主義を否定する。代表を務める中桐悟さんは、時代を経てもなかなか変わらない練習への疑問から大きく舵を切った。(中略)
チームには“9つの約束”がある。「罵声や高圧的な指導を完全禁止」をはじめ、「ばっちこーい!」など野球独特の「ロジカルではない声出しは行わない」や「活動は休んでも構わない」との項目も。共働きの家庭も多いため「保護者の時間的負担一切なし」と掲げている。』
引用:罵声禁止、休んでOK、保護者の負担なし… 少年野球の常識を疑う新設チーム“9の約束”
https://full-count.jp/2021/11/25/post1159834/|Full-Count|2021年11月25日
『生徒の中には運動が苦手で、運動会や体育祭が憂鬱な気持ちになる生徒もいます。大縄跳びや全員参加のリレーなどでは、自身のミスが原因で周囲に迷惑をかけてしまうこともあり得ます。「クラス対抗」の場合、そうした失敗でクラスの仲間から責められ、人間関係にひびが入ることもあります。
「全員が楽しむ」ためには、運動が苦手な子にも居場所を作る必要があります。もし「クラス対抗」の形で勝敗を意識すれば、勝ったクラスを除く大半の生徒は悔しい思いをし、運動が苦手な子は肩身の狭い思いをします。当然、「全員が楽しむ」ことなどできません。
その点で、3年生が自分たちで、それまでの体育祭とは異なる形を自ら考え、選択し、クラスを解体して、「1日限りのチーム」で競い合い、終わったらそこで解散という仕組みを考えて実行したことは、とても素晴らしいことでした。これでどの生徒も喜びを感じることができて、悔しさがあっても、後を引くことはありません。』
引用:『すべての組織改革のヒントになる「千代田区麹町中学校」の変革【第4回】
「競争しない体育祭」の成功から考える…目標の在り方とは?』
https://gentosha-go.com/articles/-/20541|幻冬舎GOLD ONLINE|2019年3月27日
「体育」や「部活動」の在り方を批判的に再構築し、とりわけ運動が得意でない人が植えつけられがちな、スポーツに対する「負」の経験を取り払っていく。そうすることで、スポーツの持つエネルギーやアスリートたちが届けようとする想いを、わだかまりなく受け取れる人はきっと増えていく。
多くの人にとって、人生で初めてスポーツに触れる機会が「体育」であることは、おそらくこれからも変わりはない。「体育」は、「運動が得意な子どもたちだけがなんのストレスもなく楽しく過ごせる時間」であり続けてはならない。
「体育」の教育が往々にしてスポーツに結びつけてしまうネガティブな側面を、社会全体(とりわけスポーツにかかわる人びと)が意識を向けてこれを改革していくことで、スポーツは人びとにとってより身近で親しいものになり、より感動的なものになっていくだろう。
「スポーツの素晴らしさ」は、「卓越したヒーローが勇気や感動や夢や希望を語る」以外の方法でも、人びとに伝えることができる。
「スポーツ」は決して敵ではなく、本来はすべての人にとって生涯の友となりうることを、私たちは思い出さなければならないだろう。
■プロフィール
御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー。会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「現代ビジネス(講談社)」「プレジデントオンライン(プレジデント社)」などに寄稿多数。著作に『矛盾社会序説』(2018年)。
Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。
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