『松坂世代』ライターが見た、松坂大輔の“本音“と”気遣い“

“平成の怪物”松坂大輔が引退した。

1998年、横浜高校のエースとして甲子園春夏連覇。劇的な試合の連続で、日本中を熱狂させたのを皮切りに、プロ野球でも入団から3年連続最多勝と鮮烈なデビューを果たし、誰もが認める日本のエースに君臨した。

日本シリーズ制覇、ワールドベースボールクラシックでは2大会連続MVPで日本の優勝に貢献、MLBでもワールドシリーズ制覇を成し遂げるなど、数々のタイトルを手にしてきた。

しかし、長く野球界を牽引してきた怪物投手も晩年は故障に苦しみ、とくに日本球界復帰後は思うような投球が出来ないまま、2021年10月19日の引退試合を最後に、現役生活に別れを告げた。

2003年に松坂を中心とする同級生たちの人間模様を描いた群像劇『松坂世代』(河出書房新社)。17年を経て刊行された続編の『松坂世代、それから』(インプレス)。2冊のスポーツノンフィクション小説の著者である矢崎良一氏は、松坂の引退に何を思ったのだろうか。

■クレジット
文=矢崎良一
写真提供=インプレス

■目次
「松坂世代と言われるのは好きではなかった」
取材中止を覚悟した日
同世代の引退は「落ちる」
いつか、『松坂世代、あれから』を

松坂世代と言われるのは好きではなかった

“本音”と“気遣い”。それが、これまでの取材を通じて私の中に作られた、“平成の怪物”松坂大輔のキーワードだ。

10月19日の引退試合。試合前に行われた引退会見の席上で、「松坂世代と呼ばれてきたが」と質問を受けた彼は、少し考えた後、てらいなく言った。

「自分は松坂世代と言われることがあまり好きではなかったんですけど……」

それを言うか! と思わず爆笑するしかなかった。そして、松坂はこう話を続けた。

「同世代のみんなが嫌がらなかったおかげで、先頭を走ることができた。みんなの接し方が本当にありがたかった」

そんなふうに思っていたんだ、と思わずほっこりした気持ちになった。どちらも松坂らしい言葉だった。

『松坂世代』という作品を執筆したことから、私は松坂ととても近しい間柄と思われているのかもしれないが、実はそんなことはない。

高校時代から、単独取材の機会は数えるほど。それも、ほとんどが制限時間30分以内。ときには取材直前に「今日は時間ないんで、10分でお願いします」と、球団広報から鬼の指示が出たこともあった。

だから私は、松坂から見たら、特別な存在の記者ではないことを自覚している。松坂個人と濃密な時間を過ごしてきた記者は、私以外にいくらでもいるはずだ。

「この人にしか書けない」と言われるようなスペシャルなネタは持っていないし、むしろ他の書き手が聞き流したようなごく普通の話を拾って書いてきただけ。なので、こんな原稿を書くのもおこがましいんじゃないのか? と、じつは今も腰が引けている。

ただ、短い時間だったからこそ、1分1秒に集中する、繊細で緊張感のある取材が出来ていた気もしている。

ごくたまに、“本音の松坂”が降臨して、原稿にしにくいような話をしてくれることがある。逆にこちらがビビって、「それ、書いてもいいの?」と聞き返すと、今度は“気遣いの松坂”が現れ、ニヤッと笑って両手の人差し指で×印を作る。「あぁ、確認しなきゃよかった」と後悔するのと同時に、時計と睨めっこの限られた時間だけに、「この話題に使った2分30秒を返してくれ!」と心の中で叫んでいたものだ。

取材中止を覚悟した日

そんな慌ただしい取材の記憶の中で、今も忘れることが出来ないエピソードがある。

中日ドラゴンズ在籍時代の2019年春。キャンプ地の沖縄・北谷で行った、拙著『松坂世代、それから』(インプレス社)の取材でのことだ。

前年の劇的な復活で、キャンプ地はまさに「松坂フィーバー」といえる賑わいを見せていた。

だが、予定していた取材日の前日。球場から引き揚げる時に、出待ちをしていたファンから腕を引っ張られ、肩を故障するという予期せぬアクシデントに見舞われる。

そこから松坂は、ほとんど実戦のマウンドに上がることなく現役を終えている。今となってみれば、現役生活に大きな影響を与えかねない、重大なアクシデントだった。

松坂本人が、その時点で、どれくらい事態を深刻に受け止めていたのかはわからない。ただ、引退会見で語った故障との闘いと葛藤を聞けば、このときも穏やかならぬ気分であったことは想像がつく。こちらは取材の中止を覚悟していたのだが、球団広報から「予定通り、やります」の連絡が。

あとで聞いた話だが、広報に「どうします?」と確認され、「このテーマだけは、やらないわけにはいかないっしょ」という松坂のひと声で、実現した取材だった。

もし松坂の侠気がなければ、拙著は完成には至らなかったかもしれない。今も本当に感謝している。

それはまた、松坂の松坂世代への想いの強さを再確認する出来事だった。

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