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【後編】仕事と競技の両立を乗り越え、日本代表へ。「来年が勝負」と意気込む花谷昴の覚悟

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仕事と競技の両立という苦難

-大阪外国語大学(現在は大阪大学と統合)陸上競技部時代のことを教えてください。

競技力を高めるというよりは陸上を楽しむ雰囲気でした。人数は30人くらいはいましたが、関西インカレに出られる選手も少なかったです。集合日を除いては一人で練習することが多かったです。土のグランドで練習道具もなかったのですが、部室の裏とかを探すと、重りやバーベルが落ちていました。それを拾い集めて自分の練習スペースをつくり練習していました。最初はアップで脚がつったりと練習再開してから苦労しました。大阪大学になってからは、部員は80人ほどで、全体の競技レベルも上がりました。

-記録が伸びたきっかけを教えてください。

きっかけは順天堂大学の越川先生に教えていただいたことですね。2年から3年になるときです。当時の関西学生記録が15m99で、どうしても「16mは跳びたい」と思っていました。16m跳べるようになるきっかけが欲しかったので、高校の先生から頼んでもらい、跳躍で有名な順天堂大学の越川先生に指導していただくために沖縄の合宿に参加させてもらいました。それまでは地面につく脚を意識していたのですが、越川先生からは逆脚のスイングの大切さを教わりました。

沖縄合宿は3月のことでしたが、実はその冬、脚を肉離れしており、3ヶ月程走れない状態でした。不安はありましたが、教えてもらった逆脚のスイングのイメージだけはやろうと思ったので、その練習と、ケガのリハビリもかねてストレッチを徹底しました。すると3年の4月の大会で15m65cmの自己新が出ました。ビデオ確認すると、跳躍練習をしていないのに動きが変わっていました。そこでイメージトレーニングの効果を実感しました。そこからはとんとん拍子で毎試合ベストが出るような感じで、6月に念願の16mを跳びました。

-その後も競技を続けられている花谷選手ですが、社会人でも競技を続けたいと最初から思われていましたか。

思っていたのだと思います。でも意思は弱かったかもしれません。本気でやろうと思ったら、実業団も探せたと思います。でも、「社会人でも陸上を続けたい」ということは、いろいろな人に言っていました。その中で大阪ガスとスポーツ系の企業に内定をいただきました。

-花谷選手は大阪ガスに入社されていますね。

はい。大阪ガスは陸上部も練習施設もあるから、仕事終わりにでも練習ができると思って選びました。でも、1年目は本当に苦労しました。かなり仕事はハードでしたね。

-大阪ガスへは選手としてではなく、一般社員として入社されたのですか。

そうです。営業職だったので残業や飲み会もありました。社会人1年目の日本選手権の前日も、研修でアンケートを取りに1件1件お家を歩き回りました。全部で90件です。研修が終わってから、夜に移動して次の日に試合でしたね。

-高い競技レベルで仕事と競技の両立は大変ですよね。なぜ大阪ガスを辞められたのですか。

3年目のときに任される仕事が増え、担当の顧客も増え、仕事がこれからもっと忙しくなっていくのが見えていました。「そろそろお前も区切りつけなあかんのとちゃうか」と言われることもありました。自分に対してまだまだやれる可能性を感じていましたし、このまま引退するのは後悔すると思いました。どうせ引退するなら、自分の可能性を信じて思い切り競技をやり切ってからにしたいと思うようになりました。そう思っていたときに、現在、勤務しているニューモードの社長のTwitterで「新規事業の立ち上げでスポーツ選手の採用を考えています。」と、つぶやかれているのを見つけました。これを見て、すぐにメッセージを送りました。後から聞いた話では、社長のツイートに反応があったのは僕だけだったそうです(笑)そこから何度かお会いして話をしていくことで、前向きに考えてもらえて、社長から「俺らのところは受け入れる準備はできているからいつでもおいで」と言われた後に、母親に会社辞めると伝えました。

-家族から反対はされませんでしたか。

意外だったのですが、母親は「陸上を今まで続けていて、大阪ガスで陸上を引退したら陸上と関わることがなくなる、だからしんどいかもしれないね。スポーツ関係の仕事なら、仕事もおもいっきりできるし、辞めた後もスポーツに携われるね。あんたにとって幸せかもね。親元を離れるんだから、どうこういうことはないから好きにしなさい」と言ってくれたんです。でも、「あんた本当に苦労するからそれだけは覚悟しときなさい」とも言われました。一応反対もされましたよ。「母さんの老後が安心やったのに・・・」と(笑)

-きっかけがTwitterからというのもおもしろいですね。

そうですね。今はニューモードに入りたいという問い合わせはかなり多いです。僕はタイミングが良かったですね。ちょっと遅かったら僕なんて相手にもしてもらえてなかったと思います。

ニューモード

来年が勝負だと思っている

– 花谷選手が思う、三段跳の魅力を教えてください。

陸上競技っていろいろな種目があるんですけど、例えば100mだといきなり走って速い選手もいます。幅跳びもいきなり跳べる選手がいる。槍投げもそうです。でも三段跳はいきなりやって跳べる選手はいないです。その分だけ技術的な要素も多く、考える部分がたくさんあります。助走もホップもステップも腕の使い方も、いろいろ考えて試して身につけて初めて勝負できる。その難しさが魅力だと思います。

僕はもともと脚が遅くて短距離をやめたことから始まっていますが、特に長所はありませんでした。身体も大きくないし、手足も長くない、脚も速くない、でも日本で勝負できているのは、三段跳が難しいからだと思っています。そこを追求する性格が自分にあっていたのかなと思います。余談ですが、三段跳なんてマイナーで特殊な種目をしている人を見ると、「相当陸上が好きなんだな」と思いますね。こんなに面白いスポーツ、他に見当たりませんけどね。

– なるほど。そうすると三段跳はベテラン選手の活躍が多いのですか。

そうですね。世界記録をもっているジョナサン・エドワーズも29歳での世界記録です。国内でもベテラン選手が活躍しています。

– 今までで一番苦労されたことと嬉しかったことを教えてください。

苦労したことは、やはり社会人になってからの「仕事と競技の両立」ですね。あのときがあってこその今だと思っています。時間がない中で、何をすればいいか練習の優先順位付けができるようになりました。あとは自分を客観視できるようにもなりました。限られた時間で考えながら練習することも覚えましたね。

– 大事なスキルですよね。優先順位付けと客観視。

はい。あと、嬉しかったことというか大切なものとしては、「仲間の存在」ですね。もし一人だったら寂しいです。僕はたまたま周りに同世代で陸上を続けている仲間がいたので、いつも刺激をもらっています。最初は仕事との両立を「営業の世界はそんなにあまくない」と職場の人に反対されることもありました。でも、仕事を一生懸命やった上で競技を続けたら文句は言われないと思って仕事も全力でやりました。大会に出て賞状をもらうたびに、賞状を持って上司のところに報告にいきました。それを続けていたら、大阪で日本選手権があったときに、全然違う部署の方も含め、会社から20人くらい応援に来てくださってうちわや横断幕まで作ってくださりました。その時に4位に入賞し、その結果を受けて最終的には人事部から特別表彰をしてもらいました。ちょうどその頃、仕事でも表彰をしてもらい、仕事も陸上も頑張っている社員ということでまた表彰してもらって、職場の方にも喜んでもらえました。そのときは本当に両立してきて良かったと思いました。

– 応援してもらえることは選手にとっては、本当に嬉しいことですね。

今でも大阪で試合があると前の職場の方々が応援にきてくれます。本当に嬉しいです。

花谷昴

– 現在の目標を教えてください。

日本代表として、日の丸をつけることです。ニューモードから日本代表として出たいと思っています。まずは世界大会のB標準16m85cmを超えることですね。来年が勝負だと思っています。

– セカンドキャリアについては考えられていますか。

僕は死ぬまで今の会社で働くと決めています。セカンドキャリアで悩む選手が多いと言いますが、ニューモードではアスリートが自分たちでお金を生み出して、それで競技を続けるという自活した団体を目指しています。仕事内容は、選手のキャリアを生かせる仕事であることが重要です。今の陸上界は、実業団選手は会社に所属して競技だけをする、もしくは、慣れない事務仕事を少しだけというパターンが多いです。しかも、その環境下で競技を継続できるのは、長距離を除けば本当に一握りです。会社の業績が悪くなったら廃部になることもあり、それだと引退後にどうしようとなります。そのためには、競技をやりながらも仕事をしたり、勉強したりという姿勢を忘れてはいけないと思いますし、違和感も感じます。今も仕事もしながら競技をしていますが、僕自身が競技をやりたいと思いながらも仕事との両立で苦労したので、セカンドキャリアでは「競技をやりたいと思う選手のための環境づくりをしたい」と思っています。しっかりとバランスを取りながら、仕事もしながら競技も頑張れるという環境を作りたいです。セミプロのような環境が増えていますが、本来の実業団とは、仕事と競技の両立が大事だと思います。社会人になると競技を辞めていく選手がとても多く、寂しく思います。今の会社を大きくしていろんなスポーツの支えになりたいです。

– 花谷選手の趣味はありますか。

最近は読書です。小説を読みます。落ち着いた時間が好きなので、自分でコーヒーを淹れて部屋で、まったりと。あとはバレーボールやサッカーなどのスポーツ観戦です。

– 三段跳のまめ知識や、他の人が知らない話があれば教えてください。

よく三段跳をしていると言うと、ルールを知らない人が多いですね。「ホップ・ステップ・ジャンプ」という言葉を知っていても、どこからどこまでの距離を競うのかを知らなかったり、ホップとステップは同じ脚で跳ぶことを知らなかったり。一度、競技を生で見ていただきたいですね。陸上競技場の雰囲気を味わってもらいたいです。まめ知識やマニアックな話は、直接聞いてもらえればいくらでも答えます(笑)

– 最後に見ている方々に、メッセージをお願いします。

三段跳は戦前、オリンピックで3大会連続金メダルをとっています。戦後も日本人が世界新記録を出している種目です。日本記録は自分が生まれる前の記録(1986年17m15山下訓史)です。最近は競技レベルが低いと言われますが、三段跳の歴史や背景も知ってもらい、これからの世界での活躍や日本記録の更新に期待していてください。

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