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久光重貴(湘南ベルマーレ)。ガンを乗り越え、前進する男の生きざま

今回はFリーグ・湘南ベルマーレ、久光重貴選手にお話を伺います。久光選手は現在、2013年に見つかった右上葉肺腺がんと闘いながら選手として復帰されることを目指し、治療に努めています。一時は試合に復帰できるまで回復し、昨年2月9日のホーム最終戦にも出場しました。

また、※「フットサルリボン活動」にデウソン神戸・鈴村拓也選手と共に取り組まれており、選手を続けながら闘病する姿は多くの方に勇気を与え続けています。

※「フットサルリボン活動」:フットサルを愛する人々に向けたがんの啓発、およびがんの子供達への支援を行う活動。

フットサルとの出会い

——まずは久光選手のスポーツ経歴を教えて下さい。

久光重貴(以下、久光) 小学校1年の頃から綱島にある横浜サッカークラブつばさという少年団チームでサッカーを初めて、そこには6年生までいました。中学校3年間は東京ヴェルディのジュニアユースに所属していました。その後帝京高校でサッカーをやりましたが、卒業後3年間はチームには属さず、蹴る機会があるときだけやっていた感じです。フットサルには21歳の時に出会い、(ペスカドーラ)町田の前身チーム、カスカヴェウでプレーを始めました。

——卒業後の3年間はお仕事をされていたということですか。

久光 そうですね。サッカーを続けたいという気持ちはありましたが、高校を卒業するとプレーできる場所がなくなってしまいます。それまでお金を払ってサッカーをやるということを想像したことがなく、戸惑いもありました。チームに入りたいという気持ちとクラブチームに月謝を払ってプレーするということへの違和感がある中でサッカーから遠ざかってしまいました。

一番始めにやったアルバイトは羽田空港のトイレ掃除の仕事でした。当時、一番やりたくない仕事をやろうとしました。人が一番嫌がる仕事をしておけば、その次にやる仕事に対して何でもできるだろうと考えたからです。

19歳の時にその仕事を始め、貯金をして車の免許を取ることを目標にしました。時間は6時~9時までで、その他の時間は空いていることが多かったので、自由にボールを蹴ったりしていました。その時は本当に遊びだったので、仲間内でやるところに呼んでもらっていた形です。

——サッカーでプロを目指そうと考えた時期はなかったのでしょうか。

久光 高校時代は考えていました。帝京高校でも選手権予選のメンバーにも入っていましたが、本選のメンバーからは外れてしまったんです。東京都予選を勝ち抜いて選手権に出られる、ここから上を目指せるという時に外されてしまい、すごくショックでした。でも今思えばすごくありがたかったと感じています。それがなければサッカーに対する想いはここまで強くなることはなかったと思います。ちなみに当時はFWでした。

——フットサルに出会ったきっかけを詳しく教えてください。

久光 トイレ掃除のアルバイトをして、車の免許を取った後に引っ越し屋のアルバイトを始めました。まだ若く、お金が稼げればいい、お金のためだけの生活をしていました。その歳で手にしてはいけないほどの額のお金は持っていましたが、それ以外に生きがいがないことに途中で気が付いて、本当は何がしたいのかを考え始めた時にフットサルと出会い、のめり込んでいきました。

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