ドッジボール日本代表総監督・吉田隼也が語る競技の魅力。

今回はドッジボール日本代表総監督・吉田隼也さんにお話を伺います。小学4年生の時にドッジボールと出会った吉田さんはご家族と共にドッジボールに長く携わっており、2012年から創設された日本代表でも選手・総監督としてご活躍されています。ドッジボールへの熱い想いを語って頂きました!

教えるだけでは感じられない面白さ、楽しさ

——まず吉田さんがドッジボールをされるまでのスポーツ経歴を教えてください。

ドッジボール以外ですと小学校から高校までずっと野球をしていました。

ドッジボールとの出会いは兄と小学校4年生の時、大会に出場したことがきっかけです。兄と兄が誘って集まった友達のチームに僕も入って一緒に出ました。ドッジボール協会ができて今年で25年になりますが、設立のきっかけは少年誌・コミックボンボンのドッジボール漫画「爆風ドッジ」から来ています。その漫画の影響で実際にドッジボール大会が開催されることになったんです。なのでローカルで行われていた試合などを除けば、おそらく僕らが出たその大会が日本で一番初めに開催されたドッジボール大会ということになると思います。その時の事は今でも覚えています。その大会開催がきっかけとなって詳しいルールが作られ、今日のドッジボールに至ります。ちなみに当時、僕が出場していたチームは今も引き継がれています。

——そのチームは日本で一番歴史があるということになりますね。

そうですね。私もドッジボールができたときからやっていることになるので、他の方と比べて競技歴も携わっている時間もかなり長い方になると思います。

——中学校、高校ではドッジボールは続けられなかったのですか。

中学、高校では野球に専念していてドッジボールから離れていました。その間も小学生の時のチームの監督を父が、コーチを兄がやっていて、指導メニューを考え、毎週練習を行っていました。私も競技から離れてはいましたが家に帰ればいつも試合のビデオを一緒に見ながら家族とドッジボールについて話をしましたね。

——しばらくの間離れていた吉田さんがドッジボールに復帰したきっかけを教えてください。

私が18歳くらいの頃からチームは強くなり始め、その影響で子供達も70名ほどに増えていきました。それで兄から自分だけでは練習を見ることができないから手伝って欲しいと言われ、復帰することにしました。兄と2人体制になってから全国大会に出始めています。ドッジボールは兄が始めたもの、という認識だったので長くは関わらないだろうと思っていましたが、自分達が作ったチームだったので責任も感じて、本格的に手伝うようになりました。

兄は中学・高校と自分の時間を使って、チームの指導をずっと続けていました。僕は現在ドッジボールの日本代表総監督をさせて頂いていますが、今でも兄が考えてきた練習方法や指導方法から学んでいます。研究熱心な兄がいて、練習ができるチームがあって、ドッジボールに恵まれた環境で僕は育ってきました。

吉田隼也、吉田直人

吉田さん(左)のドッジボール人生に大きな影響を与えた兄・直人さん(右)

——吉田さんのドッジボール人生においてお兄様の存在は大きいということですね。

はい。兄のことを僕は本当に尊敬しています。ただその中でも練習方法や戦略を考え、自分でも試しながら指導をずっと続けていました。

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