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現役テニス選手として後進を指導。山本ひかりが感じた、教えることの喜び

昨今日本のテニスは錦織圭選手の活躍により、常に男子の話題が先行しているが、女子もこれまで世界舞台で実績を残してきている。

昨年はツアートーナメントで日比野菜緒選手、土居美咲選手がそれぞれ優勝し、歴代世界女子テニスツアー日本人勝者は10人になった。(男子は松岡修造氏、錦織圭選手の2人のみ)

世界の舞台で活躍するためにはジュニア世代からの育成が重要になる。その中で現役選手でありながら、後進の指導にあたっているのが山本ひかり選手。

幼少期よりテニスを始めた彼女は、全日本ジュニア選手権、世界スーパージュニア選手権など国内外の大会で数多くのタイトルを獲得した。高校3年生時には満を持してプロ転向。

しかし、順風満帆にも見える選手生活を変えることになる、大怪我が彼女を待ち受けていた。その中で起きた自身の気持ちの変化の中で、もう一度自分を見つめ直す弱冠20歳の彼女が語る今とは。

姉妹でプロ選手。娘達に託されたテニスを仕事にするという父の夢。

-テニスを始めたきっかけから教えてください。

父親の影響で始めました。父はテニスを職業にしたいと思っていたみたいですが、家族から反対されてしまったようです。先に姉がやっていて、私も一緒にやりたくなって始めました。

3つ上の姉・みどりも私と同じく、プロでテニスをやっています。ちなみに姉・「み」どりは「み」ぎ利きで、私「ひ」かりは「ひ」だり利きです。

-テニス以外にやっていたことは何かありますか?

基本的にテニス以外はやっていないです。母親は女の子らしいことをやらせたかったみたいで、ピアノを少しやったのですが、結局すぐに止めてテニス1本でずっとやってきました。

ただ、テニスに絞ったからといってジュニアで1番最初から活躍できていたというわけではないです。小学生の低学年から試合には出ていて、ちょこちょこ勝つこともありましたが、関西で絶対的に強い選手がいて、その子には全然勝てなくて悔しかったですね。

でもそこからライバルを意識して猛練習をし、気付いたら追い越していたという感じです。その間に「テニスをやめたい」とは何回も口では言っていたんですけど、心の底から辞めたいと思ったことは一度もなかったです。

-テニスの魅力はどんなところにあると思いますか?

今私は教える立場にもあるので、それを見ていても思うのですが、テニスは本当に心理面の勝負だな、と思います。深いところを知るとさらにそれが分かってきて。

打ち合うのも1対1で、相手との真っ向勝負です。その間には1つのボールしかないので、正直な勝負ができます。

実力だけで勝てるわけでもなく、相性が現れるスポーツなので、何が起こるか分からないという面では、勝負の面白さが一番出ているように思います。

-自分自身で選手としての強みはどこにあると考えていますか。

ボールの質が日本人女子選手らしくない、『重くて回転がすごい』というのをずっと言ってもらっていて、それからは意識してやるようにしています。その結果、相手にとってすごく嫌なテニスをできるようになってきました。プレー自体、攻撃的でもあるんですけど、それ以上に試合を通して相手を嫌にさせることができるのが強みですね。

-試合の時に手渡された複数個のボールから1つを選ぶ動作がありますが、どういった基準で球を選択しているのでしょうか?

それは選手の間でも人によってルールが違います。私の場合は勝ちボール。つまりその前のポイントを取ったボールを選びます。だからそのボールを誰が持っているか、試合中は見ていたりします。テニスはゲン担ぐことがすごく多いです。もちろん単純に綺麗だからという理由でボールを選ぶこともありますけど。

山本ひかり

抵抗があった海外を克服できた理由。

-テニスの場合、早いうちから海外に出ていくことも多いですが、日本から離れることに抵抗はなかったですか?

実はすごくありました。今の子達は子供の頃から海外遠征に行く人も多いんですけど、私はずっと部活でやっていて縁がなかったですからね。海外に出るきっかけになったのは中学3年生の時に杉山愛さん主催の、グランドスラムに出る選手を育てる企画「Road to GRAND SLAM」の選手に選ばれたことでした。親も海外に行くことを勧めてくれたのですが、私は「絶対に行かへん」と猛反対していました。海外は本当にすごい舞台で、レベルも高く、絶対に勝てないと思っていたからです。

私はその時点で全国中学生テニス選手権2冠、全日本ジュニア選手権でも優勝していましたが、それでも自信がありませんでした。お金に対しての恐怖感もありましたし。だから大泣きして、断りました。

最終的には親から『遊んできていいから行きなさい」と言われ、ようやく行くことにしたんです。

そしたら出場した大会のダブルスでいきなり準優勝できて、楽しいと思えたんです。シングルスも夢中になっているうちに決勝まで進んでいて、気付いたら優勝していました。それから親と話し合って、海外を中心にやっていくことにしました。親には大学行くために貯めていたお金をここで使うから覚悟してやるように言われ、その時からプロを目指してやると決意しました。

-言葉の壁もあったと思います。

初めは全然話せませんでしたね。でも海外遠征に行くと自分の同じように拙い英語で会話しているアジア圏の選手がいて、その子達と仲良くなれるのでそれはよかったです。

-大きな怪我の経験もあるそうですね。

はい。2年前のオーストラリアの遠征中のことでした。

その前にプロ大会でまず単複で準優勝して、スペインでもダブルス優勝。甲府での大会でも優勝して、本当にうまくいっていたんです。自分自身でもすごく希望を持てていて、外国人のコーチにも付いてもらい、合宿の後に7週間大会に出てそこで一気にグランドスラムの予選にかかるぐらいまで行こうという気持ちで挑んでいました。そうしたら遠征中のトレーニング初日に粉砕骨折してしまいました。結局治るまで長くはかからず、いい先生にも出会えて手術せずに済みました。

遠征にかかる費用についてはホテル代とかはキャンセルできたんですけど、コーチのお金は全部支払ってしまっていました。そこにすべてをかけていたので、精神的にもショックを受けました。唯一ついていたスポンサーさんも切れてしまい、終わったなと思いました。その時期は正直テニスどころじゃなかったですね。

山本ひかり

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