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山沢拓也。ロナウドに憧れたサッカー少年が、ラグビー日本代表になるまで

2017年5月10日、京都の迎賓館で2019年に開催されるラグビーW杯日本大会の組み合わせ抽選が行われ、日本はスコットランドやアイルランドと同プールに組み分けられました。これから日本は初のベスト8を目指して準備を進めることになります。

その日本大会に向けて、選手たちも熾烈なポジション争いを繰り広げていくことになりますが、2019年のスター候補生のひとりとしてご紹介したいのがパナソニック・ワイルドナイツに所属する山沢拓也選手です。

初の大学生トップリーガーは、サッカー少年だった

高校から本格的にラグビーを始めた山沢選手ですが、高校1年生の時には早くも高校日本代表に選出され、2年生でU-20日本代表、3年生の時には日本代表の合宿に招集されるなど、エディー・ジョーンズ前日本代表監督からもその才能を高く評価されていました。ただ、怪我のため、エディー・ジャパンでは実際に試合に出場することはありませんでした。

昨シーズンは日本最高峰リーグ「トップリーグ」に初の大学生選手として挑みました。日本では高校ラグビー→大学ラグビー→トップリーグと進むのが一般的で、高校卒業後にすぐにトップリーグへ進むことは稀。また、二重登録が認められておらず、山沢選手の場合も筑波大学で出場することはできなくなるため、トップリーグ選択は大きな決断でした。

山沢拓也

初の大学生トップリーガーとして注目も浴びましたが、開幕戦から先発出場し、2016年10月8日に地元熊谷で行われたNECとの試合では、待望の初トライを決めるとマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれています。2017年4月には念願の日本代表デビューも果たし、今後ますますの活躍が期待される山沢選手ですが、実は将来を有望視されたサッカー少年でした。

強豪クマガヤSCで3年間指導した富岡信吾さんは、中学時代の山沢選手についてこう振り返ります。

富岡氏「山沢は小学生の時から注目されていましたが、小学6年生の時にクマガヤSCのセレクションを受けに来て、もちろん合格。体が強いというよりは発想が豊かで、イマジネーションやひらめきといった感性が違うと感じました。面白い子だなと。クマガヤSCでもすぐにレギュラーを獲得しましたね。

そして、3年間で物凄くうまくなりました。ひらめき、アイディアも持ちながら、ボディコンタクト、相手の競り合いがパワーだけではなく、技術の部分、駆け引きが非常にうまかったです。

ロングスローも凄かった。クマガヤSCのOBで、青森山田に進学して全国選手権でもロングスローで高校サッカーを沸かせた原山(海里 東京学芸大学在学中)というのがいますが、ロングスローで観客を沸かせた初代の選手は山沢ですね。

関東大会は全て山沢のロングスロー絡みで勝ち上がっていきましたよ。利き足は右だけれど、器用なところがあったので両足キレイに蹴れる。FKも彼に任せていたし、大柄ではないけれどヘディングも強くて滞空時間も強いと中学3年生の時には全てを兼ね備えた逞しい選手になっていたので、いくつもの高校サッカー名門校から声も掛かりました」

ラグビーへの転向を決意した、横田監督の一言

熊谷

Jリーグのクラブを複数抱えていることからサッカーの印象が強い埼玉県ですが、埼玉県北部の深谷や熊谷は全国的にもラグビーが盛んな地域です。

2019年ラグビーW杯の開催地のひとつでもある熊谷の駅前には、大きなラグビーボールのモニュメントもあります。山沢選手はサッカー少年でありながらも、ラグビーが盛んな熊谷出身であったため、中学の部活はラグビー部に所属していました。そして、熊谷東中学の山沢というとラグビー界でも有名な存在であったため、クマガヤSCの練習試合をサッカー部だけではなく、ラグビー部の監督が観に来たこともあったそうです。

中学生の時にはサッカーを優先し、周りからもサッカーの道に進むだろうと思われていた山沢少年がなぜラグビーの道を選んだのでしょうか。深谷高校ラグビー部の横田典之監督にお話を伺いました。

横田氏「山沢拓也の兄の一人(かずと)が深谷高校のラグビー部で、試合を観に来ることもあったので、拓也のことは知っていました。

サッカーで活躍しているのも知っていましたし、一人やお母さんを通じて、拓也はどうするのか聞いた時に、『サッカーだと思いますよ』とも聞いていました。彼はサッカーを優先しながらも、日程が合えばラグビー部の練習や試合に出ていたのですが、たまたま1度だけ山沢が出ている試合を観たんです。

ワンプレーしか観られませんでしたが、1回ボールを持った時に、これはちょっとモノが違うなと。兄貴のこともあるし、どうにかラグビーをやってくれないかと思ったんです。ダメ元で『今は自分では分からないと思うけれど、2019年のW杯の舞台に立てる可能性もある。サッカーも良いけれど、ラグビーで日本代表になって世界の舞台で戦うという可能性もあるから、ラグビーをやってみないか。素晴らしい素材だから一緒にやってみたい』といったことを伝えました。

それから1か月半後に本人から電話がかかってきて、『深谷高校でラグビーをやります』と言ってくれたんです。その時は鳥肌が立ちました。手紙以外は本人に直接アプローチしたこともなく、電話で話したこともなかったので、初めて話したのが「深谷高校に行ってラグビーをやります」という一言だったので、それは嬉しかったですよね。同時に責任も感じました。サッカー界から逸材をラグビーに引っ張るわけだから、しっかり育てないといけないな、と。

ずっとサッカーをやっていたので、彼自身分からないことも多かったと思います。ただ、能力は高かったので、『分からなくても頑張ってやればどうにかなるから』と伝えていました。今思えば無謀でしたが、1年生の最初からどんどん試合に出していたんです。すると、夏までにはフィットしてきて、関東大会でも片鱗を見せ始め、夏が過ぎた頃にはいっぱしのラガーマンになっていましたね。一番ブレイクしたのが、1年生で出場した全国高校ラグビー大会です。2回戦では一人で、3,4トライ決めて会場が騒然としました。スカパーの解説をしていた藤島大さんが、『スター誕生!』と絶叫していたことを覚えています。そこから全国的にも知られる存在となりました。

周りが過熱しすぎて、周囲の期待に押し潰されそうになった時もあったでしょう。でも、山沢本人は常に矢印を自分に向けて、自分がうまくなろうとやっていることで、自分を見失わないでやっていけると思ったんじゃないかと思います。

インタビューなどでも、遠い先のことを軽々しく口にはしませんね。でも、確実に毎日の積み重ねをやっている。山沢のことを天才という人もいますが、努力家です。上手なんだけど、さらに努力して磨きをかける才能を持っている。高校時代からずっと変わらないですし、それが彼の特徴であり強みでしょう。今は、いちファンとして活躍を応援しています」

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