スポーツ×建築。広島の街を「借景」するマツダスタジアムの裏側
2017年度、広島東洋カープは2年連続8回目のセ・リーグ優勝を成し遂げた。連覇を成し遂げた要因の一つにファンの熱い声援があったことは間違いないが、この動きを支えたのが広島のホームスタジアムだ。2009年にオープンしたMazda Zoom-Zoom スタジアム広島(通称:マツダスタジアム)は、試合観戦をワンランク上の体験にした。各方面で高い評価を受けるマツダスタジアムについて当時設計を担当したのは、スポーツ施設専門コンサルタント代表を務める上林功氏である。
彼は現在、多くのスポーツ施設の建設やコンサルティングに関わっているが、上林氏が言うに、日本にはスポーツ施設に特化した建築コンサルタントが存在しないという。それゆえ、彼はこの国においてそういった立場を確立しようと動いている。そんな彼が語る日本のスタジアム・アリーナの建設・設計現場における現状とは。前後編に渡り、お届けする。
スタジアム・アリーナ=屋根。その図式に疑問を持った学生時代。
-上林さんがスタジアム・アリーナをはじめとするスポーツ施設の建築に携わるようになったきっかけを教えてください。
私は環境デザイン研究所という設計事務所の出身です。ここは建築家が主宰するアトリエ系事務所としては珍しく、スタジアムやアリーナ、プール、陸上競技場などといったスポーツ施設の実績を多く持つ事務所でした。事務所を率いる仙田満氏は幼稚園などの設計の第一人者で、子どもの成育環境の専門家です。子どもの成育環境のみならず行動や活動に注目した提案や、公園など都市レベルの規模の施設に造詣が深く、それらが上手く組み合ったスポーツ施設の提案には非常に高い評価を頂いています。その事務所で私自身もスポーツ施設のプロジェクトにいくつか関わらせていただいたことが、この世界に入るきっかけですね。
-スポーツ施設の建築は他の建築とどういった点が違うのでしょうか。
まず何より、建築業界においてはスポーツをおこなう空間としてどう設計すべきかという視点があまりに乏しく、スポーツビジネスに関する知見も充分に含まれていない点が挙げられます。代々木体育館は丹下健三先生による名建築で屋根形状の構造性と内部空間の合理性の一致や、都市空間におけるオブジェクトとして隣接する代々木公園のオープンスペースとなじむ伸びやかな建物形状など、大きすぎるがゆえにマクロな視点から評価される傾向にあります。
私が建築学生だった頃、月に一回、設計課題として学生寮やカフェ、美術館や病院といったあらゆるバリエーションの建築について設計する機会がありました。ある時スタジアムの設計が課題になったんですが、サブテーマとして与えられたのが「大スパン構造と美しい屋根」でした。スタジアムではホーム・ビジターチームと審判団、観客やサービス機能などの動線計画が極めて重要なほか、スポーツの場としての一体感が重要となりますが、建築教育の現場において、建築計画に注目したスタジアム・アリーナ設計について議論されることは聞いたことがありません。いかに美しい屋根を作るかが至上命題となり、景観との調和や構造合理性がメインテーマとなってしまっています。”スタジアム=屋根”であるという認識が、建築設計の議論の中心として今でも根強く残っています。
業界オンリーワンのスポーツ施設コンサルタントへ。-コンサルタントとしての難しさについてお聞かせください。
スポーツと建築の両方をコンサルタントできる会社は今まで存在しませんでした。強いて言えばゼネコンが営業の一貫としてお手伝いをする例などがありましたが、これは建物を建てるのに特化したコンサルティングであり、必ずしもスポーツに最適化していませんでした。スポーツチームの皆さんは逆にスポーツに特化した部分で要望は挙げられる一方、建築的な最適化についてどうしていいかわからないのがほとんどです。スポーツと建築の境界線の部分を理解して、お互いの意図を結びつける調整役が必要であり、コンサルティングの難しい部分であると思います。
-その辺りが日本にスポーツ施設のコンサルタントが少ない理由なのでしょうか?
プロジェクト全体を把握し、一貫したプロジェクトマネジメントをできる人がいないことが最大の問題です。スタジアム・アリーナの案件は比較的巨大になりがちです。プロジェクトの時間自体はかなり長くなります。私はマツダスタジアムや2006年兵庫国体の競泳プール、日本女子体育大学総合体育館など、コンペ提案から現場まで一貫してプロジェクトの設計監理を担当してきましたが、実はこうした大型プロジェクトで異動もなく最初から最後までプロジェクトを担当させてもらえる経験を持つ人はとても珍しいと思います。
スタジアムやアリーナはプロジェクト規模が大きくなり、チーム体制による設計監理が進められるほか、大企業が業務を担う場合がほとんどであり、異動やチーム編成などメンバーの変更があるからなんです。5,6年のプロジェクトに同じ一人を担当させ続けるということはまず行われません。私の場合、運よくアトリエ系事務所に所属していたことや、景気の関係もあり少人数精鋭で設計監理に集中させてもらえたことが貴重な経験を積むきっかけとなりました。現在、スポーツファシリティコンサルティングにおいて競合が少なくオンリーワンな特徴を出せる理由はそれだと思います。
マツダスタジアムの「遊環構造」と「世界をのぞむ建築」-マツダスタジアムの場合、最初から最後まででどれくらいの期間を擁したプロジェクトだったんですか?
短いですよ。基本設計と実施設計合わせて9ヶ月、現場施工に14ヶ月なので2年弱です。普通は基本・実施設計だけで1年から2年、現場施工に2年くらいかける場合もあります。
-建築する上ではその地域性や県民性も反映させるのでしょうか?
多くの建築設計者は”地域性というものに対して何を提供するか”という問いかけへの回答ももちろん、”人とは、幸せとは”といった普遍的な問いかけへの回答も提供しなければという考え方を持っていると思います。
マツダスタジアムに関しては、建築家仙田満がおこなった子どものあそび行動に注目した人の意欲を掻き立てる構造、遊環構造を設計段階で取り入れています。それから仙田満の設計思想として「世界をのぞむ建築」という設計コンセプトを意識しながらプロジェクトを進めました。
-「世界をのぞむ建築」とはどのようなものなのでしょうか?
必ずしも仙田先生は全てをスタッフに説明しているわけではありませんが、キーワードとして世界をのぞむ「眼差し」を意識しました。物理的な距離ではなく“意思・意識の方向”について注目し設計を進めることが極めて重要だと考えました。
スタジアムに話を戻します。これまでは建築と都市に対する関係、そして都市における建築の関係について双方向に一緒くたに考えられてきました。
それらを別々に丁寧に考えてみてはどうかという考えに注意しました。一つは都市からスタジアムを見たときに、スタジアムが都市の一部であるためにはどうしたらいいのか考えました。例えば街中を歩いているときにその歩道がいつの間にかスタジアムに続いていくだとか、都市からスタジアムを見たときのボリューム感をどうするかという話など、広島にとってのスタジアムについて検討しました。
野球を見るためではなく、広島を感じるためのスタジアム-一般的にはなかなか考えられない発想ですね。
もう一つはスタジアムにとっての広島、という考え方です。おそらく従来ではあまり無かった視点だと思います。そもそも、スタジアムはあくまで野球を観るための施設であり、利用者の視線、意思の方向はグラウンドなどのスタジアムの中心に向けられた内向きの方向を持っていました。
世界をのぞむ建築では、スタジアムにとっての街がどのように在りえるのかという考え方が必要なのではとの考えのもと、広島の街を「借景」にするような考え方でコンコースの空間の“抜け”を構成したんです。
借景というのはよく京都のお寺なんかで使われている考え方ですけど、庭園を作るときに向こうの山の景色を庭の風景の一部として取り入れてしまうという考え方です。マツダスタジアムは隣接している新幹線の線路であるとか、もしくはライト方向から奥に見える黄金山であるとか、広島の街を象徴するようなものがコンコースを巡る中で見えるようにスタジアムから都市を望む視野を計画的に開放しているんです。広島の街の縮図をスタジアムで体験できる構成を目指しました。
日本一の内野スタンドで、選手との一体感を!-なるほど。他にマツダスタジアムを設計する上で工夫されたところはありますか?
いち技術者として、日本一のプロ野球場を作りたいとの思いから、一つは徹底的に勾配の緩い観客席スタンドを設計しました。普通、観客席は施工の際の手間を考え、段の高さを揃えて作りやすくしているんです。例えば甲子園球場の外野スタンドだと三段階で段階的にスタンドの勾配が上がっていくんですけど、マツダスタジアムは一段一段スタンドの段差寸法を変えています。断面で見るとスタンドそのものがなだらかなカーブを描いていて、1階席で約8.9~18.6°となっていて、日本一緩い勾配を達成しています。
-緩い勾配はどういった利点をもたらすのでしょうか?
一般的に言われているのはプレー中の観戦者の視野の方向です。野球というのはサッカーと違い、フライに代表されるような“ボールが上空に行く機会”が多いんです。 そうするとお客さんが見る角度は上向きになります。サッカーというのは基本的には常にボールが地面を転がっています。またフォーメーションを重視したチームスポーツということもあり見下ろした方が見やすい。そういったことも踏まえて、より野球の試合観戦に適しているというのが緩い勾配のメリットの一つです。
さらに、選手との一体感について、“観戦者と選手の目線の高さを近づける”という発想がありました。マツダスタジアムの内野席の最前列は、椅子に座った状態の成人男性の目の高さが選手の目の高さと同じ高さになるように設計しています。あたかも自分がフィールドに立っている一員であるように感じさせる工夫をおこなっています。マツダスタジアムでは多彩で特徴的な観客席に注目が集まりがちですが、いち設計者として最も力を注いだのは内野スタンドだったと思います。
<後編へ続く>
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