地元・旭川から北海道全域へ。ヴォレアス北海道の地域活性化戦略

「大きな勝ちを手にするためには、勝ち続ける、一番を取り続けるということが大事です。私たちはどんな小さな分野でも、一番を取り続けることを目指しています。今は“業界初”とか、“初めて”という言葉がチームの施策に付いてきていて。その積み重ねの中で、どこかでヒットしていきます」

(株式会社VOREAS 代表取締役 池田憲士郎)

昨シーズン、バレーボール・V3リーグで優勝を果たしたヴォレアス北海道は、高額チケットの展開やサポーター参加型のオンラインサロンの設置など、他チームが行うことのない施策で注目を集めている。このような施策の起点となっているのが、株式会社VOREASの代表取締役を務める池田憲士郎氏だ。スポーツ業界とは無縁の仕事をしていた彼が、なぜ自ら地元・旭川に戻ってプロバレーボールチームを立ち上げたのか。そして、“誰もがやらない”策に手を出す狙いとは。

その背景にある地元活性化への思いと、成功するための大胆なビジネス戦略に迫った。

地域を盛り上げるために、バレーボールという選択肢しかなかった

ー池田さんご自身がバレーボールと出会ったのはいつだったのでしょうか?

小学校の頃はバスケットボールをやっていて、そのまま中学校でも続けようと思っていました。ただ、当時はスラムダンクが流行っていた時代ということもあって、バスケ部の部員が40人もいたんです。それに対して、バレー部は部員が6人でした。それならば、試合に出られる可能性が高いバレー部にしようかなと。

バレーボールを始めてからは北海道の代表にも選ばれて、高校の時は春高バレーで銅メダルを獲りました。

ー今はバレーボールのプロチームを運営していますが、もともとそのような思いは持っていたのでしょうか。

ないですね。父親が経営している建設会社で働くつもりで、3年間メーカーの会社に社員として就職し、修行していました。

ーそこから、なぜプロスポーツチームを作ろうと。

僕が地元に戻った時に、建設業界が人手不足で、なおかつ超高齢化していて、業界が先細りしていくだろうと思ったんです。地域に元気もなくなっていたのを目の当たりにして、何か地域を元気にする仕事をしなければいけないと思ったのがきっかけです。

そこで僕にできることはと考えた結果、スポーツが思い浮かび、自分自身がやってきたバレーボールだと思ったんです。むしろ、選択肢がそれしかなかった。例えば僕がサッカーをいきなりやるとなっても、ノウハウもなければ人脈もないわけですから。

バレーボールならずっとやってきたし、少なからず後輩や友人、知人もいるので、ある程度は選手が呼べます。ならば、もうバレーボールでプロチームを作ってしまおう!と。そんなスタートでした。

ヴォレアスを立ち上げることを決めたのは、2015年の冬です。2016年の10月には記者会見をやって、翌年にはもうVリーグに参戦して。そして去年、V3リーグで優勝しました。

ーものすごいスピード感ですね。プロチームを作るのにあたって、どこから着手していったのでしょうか?

とにかくがむしゃらにやっていたので、あまり記憶はありません(笑)。いざチームを作るとなると、最初は予算を500万円くらいで考えていたので、全ての選手をプロとしては雇用しない状態で、Vリーグに参戦しようと考えていました。

周りからそうしろと言われたこともあって、最初は「弱くても良いから、長く続くチームを作ります」と言ったこともありました。だけど、それだと絶対盛り上がらないまま、埋もれるだけだなと。出口の見えないトンネルに入るような感覚でした。そこから転換して、最初からチームとしても運営母体を法人化し、多くのプロ契約の選手を抱えるチームとしてスタートさせました。

ー選手はどのようにして集めたのでしょうか。

もともと、父の建設会社でバレーボールのクラブチームを作っていたんです。まずはそれを母体として始めました。何人かトップリーグから来てくれる後輩・友人にも声をかけていきました。2016年のクラブ設立の記者会見の時は、人数が足りなかったので、僕もいち選手として登録していましたね。試合には出ていません(笑)。

ークロアチアから監督を呼び寄せたというところも気になります。

彼は知人に紹介してもらいました。多くの指導者が、協会のお偉いさんだったり、学校の先生だったりするのですが、僕は最初から監督を外国人にしようと思っていたんです。

この業界の人しかバレーボールに指導者として携われない、という風潮に疑問があったので。日本のバレーボールには、プロの指導者というジャンルがほとんどありません。

また、旭川にはそもそも外国人が少なくて。だから、“外国人の監督”というだけで、1つのブランドにできます。服装についても、Vリーグはほとんどの監督がチームジャージを着るのですが、絶対スーツにして、ルックスからこだわろうと。

実際にお会いして、僕のビジョンを伝えたら、彼はもう即答でしたね。お金がどうとかは関係なく、ぜひやらせてほしいと言ってくれました。最高の監督ですよ。

池田憲士郎氏

[なぜ地元・旭川を拠点に?]()
ーそもそも北海道はバレーボールが盛んなのでしょうか?北海道という地域柄とバレーボールは、すごく相性が良いと感じています。農家の女性が、冬に運動不足解消を目的にバレーボールに取り組むケースが、多くあったんですよ。冬の寒い時でも、体育館でできる。だからこそ、今でもママさんバレーやミニバレーが盛んなんです。

この辺りの自治体では、「バレーボールが町技だ」と言われています。それくらいバレーボールはマーケットとしてポテンシャルを秘めています。

バレーボールは、男女ともに60歳を超えても親しまれており、ミニバレーやソフトバレーのように、負担が少ない競技もあるので、生涯スポーツとしての側面が強いです。そして、ミニバレーやソフトバレーの皆さん含めてみんなバレーボール仲間なのです。

ーなぜ地元の旭川をクラブの本拠地にしたのでしょうか。札幌のほうがマーケットは大きいし、色々とやりやすいのかなと。札幌から旭川まで特急で1時間半ほどかかりますし…。

チームを作るときに協会の方と話をしたのですが、自然と札幌に作る流れになっていました。でも、それは嫌だと(笑)。札幌は人口こそ多いものの、競合が多すぎるんですよ。

バレーボールはたしかにスポーツですけど、僕はエンターテインメントのジャンルとして捉えています。札幌には劇団四季があれば、サッカー、野球、バスケ、フットサルなど、いろいろなエンターテインメントもある。まさに北海道の文化施設は札幌一極集中です。バレーボールをスポーツとして集客するとなると、本当のバレー好きしか来ないですし、マーケットは広いですが競合も多いです。

僕はバスケからバレーボールに道を変えたときに「小さなところで一番になる」という考え方を持っていましたが、その考えた方は今でも生きています。旭川近郊を含めると人口40万人の商圏ですが、この商圏にスポーツチームがないのは珍しいと思います。僕が思うに、これからスポーツチームを作る上では、サッカークラブやプロ野球球団の本拠地がないところが良いと思っていて。

ー「その競技しかない」のが、はまる要因だと言いますよね。

まさにそうなんです。エンターテインメントが圧倒的に少ないというのは、札幌以外の都市の特徴でもあります。アーティストもほとんど来ないですから。

ーその中で「北海道」とチーム名に入れたのは、どういう意図があったのでしょうか。

将来的に見て、旭川近郊の40万人のマーケットがMAXになると考えると、少し厳しいところがあります。函館、釧路、帯広など、10万人から30万人の都市があるのにも関わらず、そこにアプローチしているチームが少ないという現状もあるので。将来的にはそういった都市でも試合を興行するつもりではあります。

旭川という小さなコミュニティの中で、がっと盛り上がる熱も必要です。でも、旭川だけでは将来的にはやっていけない。だったら、チーム名に“北海道”と入れたらどうだろうと。本拠地は旭川でありながら北海道のチームとして活動していく決意です。我々のエンターテイメントを広く北海道の皆さんに見てほしいと考えています。

なぜ“業界初”の取り組みにこだわるのか

ーヴォレアスは、Vリーグの中でも様々な取り組みをされています。

大きな勝ちを手にするためには、勝ち続ける、一番を取り続けるということが大事です。私たちはどんな小さな分野でも、一番を取り続けることを目指しています。今は“業界初”とか、“初めて”という言葉がチームの施策に付いてきていて。その積み重ねの中で、どこかでヒットしていきます。以前話題になりましたが、(※)業界で最高値のチケットを出したことがありました。

※ホームゲームにおいて、SS席が12,000円、S席が10,000円など、3部リーグとしては前例のない高額な価格設定を打ち出した

ーそもそもファンの絶対数がそこまで多くない中で、高額なチケットで盛り上げようとした背景には、どのような狙いがあったのでしょうか?

企業さんに対して応援してもらうことももちろん大切ですし、いわゆる「お布施」的な営業も必要ですが、それはもう人の繋がりだけじゃないですか。だから社長が変わったり、業績が悪くなったりすると、最初に切られるのは私たちスポーツチームなのです。

自分たちではやれません、スポンサーが助けてくれないと無理です、お願いだから離れないでください…。そんな不安定な土壌の中で、スポーツチームが運営されている仕組みが回っていることがおかしいなと。

では何をメインに収入を作っていくのかを考えたとき、原点回帰でチケットにしようと思ったんです。チケットを有料で買っていただき、それに見合った体験を提供していく。そしてチケットを買ってくれるファンの数が増えていけば、長い目で見ると企業側にもメリットが生まれます。

ー高額なチケットを売るために、どういった施策を?

「体験する」という特典を考えました。そのきっかけとなったのは、当時僕が見に行っていたスーパーフォーミュラや、競馬などです。チケットは高額でも、例えばスーパーフォーミュラに行くと、実際にレース前の車やレーサーを目の前で見ることができます。

一番高い席を買っていただいた方には、試合後にコート内で試合直後の選手とコミュニケーションを取れたり、記者会見に参加したりできる権利を用意しました。一般の方も質問ができて、選手からの生の話が聞けるんです。

[ママさんバレーのチームをターゲットに]()ーロゴやポスターなど、クリエイティブへのこだわりも感じます。

バレーボールという言葉を使わず、何のポスターなのか分からないようなポスターを、200枚から300枚くらい地元のお店に貼っていきました。ただ、色とロゴを見ることで「この象徴的なマーク、良く見るけど何のマーク?」と会話に繋がるように設計し、視覚的に攻めています。

ロゴは東京のデザイナーの方に作っていただきました。マンツーマンでずっと話し込んで、僕の想いを全て伝えて、それをロゴに表現してもらって。クリエイティブな部分に関しては、費用を割かないで素人がやってしまうと、イメージが全部くずれてしまうと思っています。

ーチーム創設時には、ママさんバレーのチームをターゲットとしたと聞きました。

ママさんバレーの方々は比較的時間に余裕があり、なおかつバレーボールが好きです。しかも子どもたちが地元から出ていってしまうことも多いので、選手たちに対して息子のような感覚を重なるという話も聞いています。

また、私たちは自前でダンスチームを持っています。しかもチアではないんです。スポーツ=チアという文化がなんとなくありますが、そもそもチアは必要なのかと。来場者のメインが女性層なのにチアが踊っていても、正直あまり需要はないじゃないですか。

旭川にはダンスを学べても、披露する場がないんです。ならば、それを私たちが作ろうと考えました。子どもたちは1,000人の前で踊ることができますし、試合後には選手と触れ合うこともできます。

そこで子どもたちがファンになってくれれば、自然とお母さんたちも試合に来るようになりますよね。子どもの発表を見に、祖父母や親戚も来てくれるかもしれません。そういった世代を超えたコミュニティの場として機能してほしいと思ってます。

池田憲士郎氏

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