【テキスト版】CROSSOVER「STANCE」深堀圭一郎×平瀬智行

輝きを放つアスリートたちは、どのようにして頂点を極め、そのときに何を感じ、そして何を手にしたのか—— 。

自身もプロゴルファーとして活躍している深堀圭一郎が、スポーツ界の元トップ選手や現役のトップ選手たちをゲストに招いて、アスリートたちの深層に迫る、BS無料放送『クロスオーバー』連動企画のテキスト版。

そこから垣間見えてくる、ゴルフにも通じるスポーツの神髄とは? 第9回目のゲストは平瀬智行さん。

※敬称略

小学生の時に書いた『夢ノート』の目標はサッカー日本代表!その原点にあるのが基本練習

深堀:今号からは、元サッカー日本代表のフォワードとしてシドニーオリンピックなどで活躍された平瀬智行さんにお話を伺います。平瀬さんは、生まれは東京都とお聞きしましたが、その後に鹿児島市へ転居してサッカーを始められたんですよね。

平瀬:はい、鹿児島がメインですがJリーグは出生地を表記するため、そこでは東京都出身になっています。4歳のころから鹿児島にいてサッカーは幼稚園のころに始めました。

深堀:幼稚園にサッカー部があったんですか?

平瀬:そうなんです。僕らが一期生ですかね。ただし、活動は石ころを拾って遊んでた感じです(笑)。

深堀:最近のスポーツ選手は、いろいろな競技を経験してから最後にひとつに絞る傾向が強いように感じます。僕もゴルフだけでなく野球もやっていましたが、サッカー界はどうなのでしょう。

平瀬:そういう方が多いかもしれません。僕は空手を小学校1年生までやっていました。サッカー部に入りたかったんですが、スポーツ少年団は1年生と2年生は入れなくて。それで父から「空手か剣道をやりなさい」といわれたんです。

深堀:お父さんはものすごくストイックな方だと聞いたのですが。

平瀬:毎日朝の3時近くに起きて、3時間ぐらい走っていましたね。その後に筋トレをして会社に行くんです。

深堀:何かの選手を目指していたわけではないんですよね?

平瀬:自分を鍛えるためだけです。運動会のときは、僕も1週間前ぐらい前から一緒に走らされていました。「寝かせてよ」と思いましたけど、ストイックな父がいたからこそ今の自分があるのかもしれません。父は当時リュックにダンベルを入れて走っていたんですよ。

深堀:それはすごい。まさに、自分で決めたことをやり遂げるタイプのお父さんですね。平瀬さんがサッカーを極めていくなかで、何かいわれたことはありますか。

平瀬:練習をしないと怒られました。それから食事面もうるさかったですね。「しっかり食べなさい」「酢の物を摂りなさい」みたいに(笑)。

深堀:子供のころは、サッカー人生が順当に進んだ感じでしょうか?

平瀬:実は父から、小4のときに「中学では野球をやりなさい」といわれました。でも、同時期に生でディエゴ・マラドーナ選手を見た瞬間「この人になりたい」と思ったんです。それで『夢ノート』を書きました。小学校、中学校、高校、その先のことまで書きました。このとき、小学生のうちに「鹿児島県代表になる」ことを最初の目標としました。それを達成すると、父もサッカーに興味を持ってくれて。小学校時代は監督さんにも恵まれたと思います。基本練習を律儀に行う方だったので、おかげで基本的な技術が上手くなりました。

深堀:小学校の「サッカーの基本」とは、どういうものなんでしょう。

平瀬:ボールを「止める」「蹴る」という部分です。これは自分一人でも練習できます。壁に蹴って返ってきたボールを止める、そういう基本技術がすごく大切だと思います。

深堀:小学校や中学校時代に、ライバルも含めて印象に残っている選手はいますか?

平瀬:中学校のときに一人。僕が通った西陵中学校と2強といわれていた重富中学校にいた久永辰徳くんです。卒業後は一緒に鹿児島実業高校に入学して、彼もJリーグに入り、同じ年に引退しました。久永は当時からドリブルが上手かった。重富中学校は、テクニック系の選手が揃っていて、僕らの学校はフィジカルが強い選手が多かったんです。それでも小学校のときの基礎技術のおかげで、体ができ来上がってきたころにはテクニックも身に付きましたね。

深堀:基本が大切なのは、ゴルフも同じです。本当はラウンドをしたくても練習場で地味で正直「面白いとはいえないこと」を繰り返し練習する。これが後になって効いてきます。平瀬さんは中学校時代からストライカーとして活躍されていましたが、その先のこともすでに思い描いていたんですか?

平瀬:はい、鹿児島実業高校に進学し、日本代表になってオリンピックに出場する、みたいに決めていました。

深堀:想いがしっかりあったからこそ、中学校時代のスーパープレーにつながったんでしょうね。

平瀬:僕が中学校3年のときに、Jリーグも誕生しましたから。あれを見た瞬間に「この舞台に立ちたい」と強く思いました。

深堀:Jリーグの誕生で「その先のビジョン」が明確になったことも“ヤル気”を奮い立たせる要因だったんでしょうね。

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