CROSSTALK『仁志敏久×清水隆行_テキスト版』

筋書きなし、打ち合わせなし——。二人のレジェンドアスリートが予測不能のトークを展開する「CROSSTALK」。

今回は元プロ野球選手で、同時期に読売ジャイアンツで活躍した仁志敏久さんと、清水隆行さんがお互いの共通点を探る。

※敬称略

◆試合に出るために1・2番の役割を志す。常に求められているものを意識してプレー!

清水:僕にとって現役時代の仁志さんの印象は、技術的なことも含め「すごく考えてプレーしている」という感じでした。移動中などにもいろいろ話をさせていただいて。

仁志:当時のジャイアンツには、試合の前後に野球の話をする人が少なかったよね。

清水:そうだったかもしれません(笑)。でも、僕と仁志さんは神宮球場へ向かう車の中などで、技術的な面についても会話しましたね。

仁志:確かに。今も2番バッターの定義みたいなものがいろいろいわれているけど、個人的には「清水の2番が理想的」だったと思う。

清水:うれしいですけど、そんな話は現役のときはしてくれなかったですよね(笑)。当時のジャイアンツのメンバーから考えても、打順的に1番か2番を務められないと試合に出るのは難しかったと思うんですよ。

仁志:オレたちのルーキーシーズンの1996年は、当時の長嶋監督が「メークドラマ」を掲げて首位の広島を追いかけた。最終的には11・5ゲーム差をひっくり返したけど、あのときは知らぬ間に優勝していた。

清水:毎日が必死で、いつの間にか首位が近づいてきた感じでしたね。

仁志:2000年も日本シリーズに進出して「長嶋ジャイアンツ」と「王ホークス」の直接対決で、監督での「ON決戦」が話題になったよね。個人的に野球人生で、このときが最大のヤマ場だったかな。

清水:僕はすごすぎて、のまれてしまった日本シリーズでした。その原因、実は仁志さんにあるんですよ(笑)。初戦の最初に、1番打者だった仁志さんがヒットを打ったじゃないですか。僕は2番でしたけど、ここは絶対に送りバントだな、と。それで、まずまずのバントを決めたのですが、2塁で封殺されてアウトになった。結果的に初戦、2戦目と連敗。これを最後まで引きずって完全にのまれましたね(笑)。仁志さんは打って、守って大活躍でしたけど、僕は全然ダメでヒット1本ぐらいでした(笑)。

仁志:そうだっけ? でも2番打者は難しいから。調子が悪くなると、打ちたいケースでも「バントのほうがいいかも」と考えたり。

清水:確かに「ベンチが何を求めているか」を考慮する必要がありますね。もちろん、1番打者も難しいですけど、2番は周りの選手を気にする努力が求められると思います。僕は仁志さんと長い間1・2番のコンビを組んでいたので、小さな仕草や動きを見ただけで考えていることが分かりました。例えば、仁志さんが「盗塁を狙って次走るかもしれない」など。実際にスタートを切ったときの対応の仕方もありましたから。たまに、仁志さんが偽走すると、それに僕も引っかかる(笑)。

仁志:正直、オレたちは初めから1・2番に最適な選手だったわけじゃないしね(笑)。とにかく、1・2番に定着するのが命題みたいな。

清水:アマチュア時代にバント練習などは、そんなにしてないですよね。

仁志:バントがうまくなったのは、野球人生後半で横浜DeNAベイスターズに移籍して2番を打つようになってからかも(笑)。

清水:それは遅い(笑)。でも、僕もバント練習を始めたのは、2番をやるようになってからですね。

仁志:清水は、当時にしては「打つスタイルの2番打者」だったからね。

清水:はい、競った展開の終盤は、左投手が出てくることも多かったし、バントをしにくくて。仁志さんの出塁を応援しない場面がけっこうありました(笑)。

仁志:話は変わるけど、オレたちにとって「ON」は超越した存在だよね。今でいえば、イチローと松井秀喜みたいな感じ。

清水:そうですね。オーラというか持っている雰囲気が違いました。

仁志:長嶋さんは、なぜか明るく見える。いつもカッコよくて、スーツやジャケットの着こなしもオシャレ。でも、当時は長嶋さんに呼ばれて直接スイングの指導を受けていたのは松井秀喜ぐらいだったよね。

清水:仁志さんも知っていたんですね! 実は僕、ミーティングが始まる前に部屋の扉を開けたことがあって、そこで二人の指導風景を目撃しちゃったんです。とにかくものすごい雰囲気で「見てはいけないものを見てしまった」みたいな。ですから、この話は今まで誰にもいわなかったんですけど……。

仁志:ミーティング前に「部屋のドアを開けてはいけない」は暗黙の了解だった。鶴の恩返しみたいな感じ。

清水:僕は全然知りませんでした。ミーティングルームはエアコンの効きがよく「始まる前は誰もいないだろうし、少し休もうかな」ぐらいの気持ちで。今考えれば、松井は練習のときにグラウンドへ出てくるのが少し遅かったですよね。

仁志:「個人的な練習をしてから来る」という話は聞いたことあるよ。

清水:遠征でも「二人での指導はあった」らしいです。

◆チャンスを求め自ら志願してトレード!トップで間がつくれなくなり引退を決意

仁志:清水は、自分が若いころにベテランの先輩たちをどう思っていた?

清水:実績を残されているので、僕は先輩たちの経験などについていろいろ聞いていた感じですね。例えば、同じ左打者の吉村禎章さんにはよく相談していました。

仁志:当時の読売ジャイアンツには、他にも岡崎郁さんや広澤克実さんら、ベテランですごい選手が数多くいたよね。みんな年齢による衰えを感じなかった。

清水:そうですね。僕も仁志さんもベテラン選手の領域になってから、自らトレードを志願して読売ジャイアンツを去りましたけど、決断するときはどうでしたか?

仁志:球団にいろいろ話を聞いてもらって、最終的には自分の意向どおりにチームも動いてくれた感じだった。世間では、どう思われているか知らないけど(笑)。日本ではトレードに対してネガティブな印象が強いから、今も不要な選手同士を交換するみたいなイメージがあるけど、実際はそうじゃない。

清水:僕も自ら志願してトレードでチャンスをいただいたというか。読売ジャイアンツでの最後のほうは、試合に出場できない状態でしたから。とはいえ、体が悪いわけでもなく、あの時点では辞める理由は見つかりませんでした。引退するのには抵抗があったんです。それで、西武ライオンズに移籍してチャンスをいただけた。

仁志:プロは辞めるタイミングが難しいよね。

清水:価値観は、それぞれあると思いますけど、ちなみに仁志さんは、最後にアメリカの独立リーグへ行きましたよね?

仁志:理由は「まだ物足りない」という気持ちがあったから。最初、アメリカの独立リーグに関しては全然印象がなかったけど、ホームページなどを見たらお客さんも多く入っているし、レベルも高いと聞いて入団を決めたんだ。アメリカへ行く前は「このままユニフォームを脱ぐタイミングじゃないな」と思っていた。

清水:それでも、現役の一番よかったときと比べたら「絶対にできる」という確信はない状態ですよね。そこでの判断は、すごく難しいと感じます。

仁志:確かにね。当時は、環境が変われば「何か変化が生まれるかも」と思いながらアメリカへ渡った。結局、全然打てなかったけど(笑)。そもそもバッティングに関しては、若いころからいろいろ悩んでいたからね。長い間「コレというもの」を持たずに続けてきたせいで、32歳ごろからスランプも多かった。しっかりと自分のスタイルを確立できていない状態で年を重ねると、晩年にグチャグチャになると思う。そんな状態で横浜ベイスターズへ移籍して、3年間は何とかごまかしながらプレーした感じ。

清水:スランプの理由が分からなくなるときがありますよね。いいときとの違いが。

仁志:そうだね。若いときに「何がよかったのか」、「今、何が悪いのか」について判断ができない。

清水:「引退しよう」と決めた瞬間はあったんですか?

仁志:チームの状態が悪くなって、誘ってくれた監督も最後のシーズンになりそうだと。しかも、選手の入れ替えをシーズン中に行うことになって。ちょうど、自分も軽い肉離れを引きずりながらプレーしていたから「このタイミングで辞めようかな」と。

清水:それは何月ぐらいですか?

仁志:6月で、その後1カ月ぐらいはアメリカにいた。まだシーズン中で、チームは試合をしていたから、たまに顔を出していたけどね。清水は、西武ライオンズに移籍してからの引退だよね?

清水:僕の場合、引退を決めるきっかけになった試合があるんです。それは当時、東北楽天ゴールデンイーグルスのエースだった岩隈久志選手との対戦。彼がメジャーリーグに行く前で、ストライクゾーンのストレートを立て続けに空振りしたんですね。ファウルにもできなくて。しかも2打席同じような感じが続いたんです。そのときに「この状態では少し難しいかも」と感じました。移籍した1年目で、夏ごろの試合だったと思います。同年は開幕からスタメンで使っていただいたんですが、思うようなプレーは実現できなかったですね。頭の中でスイングの感覚は生きていても、体が思うように動かない。

仁志:バットがスムーズに出てこなくなるよね。それからトップにも入らなくなる。

清水:浅くなって動きが小さくなる感じですよね。足も上がらないし。

仁志:そうだね。トップの「間」がつくれない。いまだに「どうすれば打てるか」考えている(笑)。トップはどこかな、みたいな(笑)。

清水:僕も頭の中では理解していても「そのとおりに動けないとき」があります。足を長く上げていられない、みたいな(笑)。

◆戦うフィールドを変えれば新発見がある…… 引退してからもさまざまな知識を習得!

清水:仁志さんとは同年の入団ですけど、初めてプロの練習を見たときはどう思いました? 僕は「大変なところに来た」と感じたんですけど。

仁志:すごい選手が多くいたからね。とにかく「どうやって生き抜こうかな」と。打順も空いているのは1番か2番で、ポジションも経験がないセカンドをこなす必要があったし、守備も苦手だったから。実はバッティングも入団したころは悩んでいた。アマチュア時代は金属バットで「何とかなっていた部分」があったから。

清水:仁志さんも同じ気持ちだったんですね。僕も入団したときに、「今まで見たことがないレベル」に驚きました。フリーバッティングでは、ホームランバッターではない人も柵越えを連発していましたから。仁志さんはアメリカの独立リーグなども経験されていますけど、どうでしたか?

仁志:アメリカはプレー期間が1カ月半ぐらいだったけど、すごく楽しかったね。結果に追われるつらさはあったけど、野球場に毎日行くことにワクワクしたから。そんなふうに感じたのは小学生以来だった。これが「ベースボールか」みたいな。

清水:今まで知らなかったことに触れた感じですね。僕も現役最後の1年間、埼玉西武ライオンズにお世話になりましたけど、キャンプの流れが全然違うなど新しい発見があって勉強になりました。

仁志:埼玉西武ライオンズは、いい練習をしているよね。

清水:当時は朝がすごく早くて。今は知りませんけど、月が出ている時間から準備するみたいな。それで朝食は球場で食べて、軽くアップしてから練習が始まるんです。スタートも終わる時間も早いので、あとは自分たちで行う感じでしたね。チーム練習が短くて、個々でいろいろできる環境でした。

仁志:埼玉西武ライオンズは、投内連携がうまいイメージがある。

清水:そこは、みんな強い意識を持っていましたね。打撃面だけではなく、細かい連携プレーに対するモチベーションが高いのは、伝統なのかもしれません。

仁志:話は変わるけど、清水は読売ジャイアンツ時代に打順が1番と2番で入れ替わるのをどう思った?

清水:難しかったですね。2番の場合は「ベンチが何を求めているか」考える必要がありますから。

仁志:1番は自分から動くけど、2番は周りを見ながらのプレーが求められるよね。

清水:そうですね。ベンチがヒットエンドランを考えているかもしれないから「見逃したほうがいいかも」みたいな判断が難しいですね。

仁志:当時は今みたいに、ベンチの方針が分かりやすくなかったよね。打つのか、ヒットエンドランか、バントか。

清水:僕の場合は「打ってランナーを進める」ことを求められました。「打ってチャンスを広げる2番を目指す」という点にも、難しさがありましたね。

仁志:引退してからは、外から野球を見る機会が多くなったと思うけど、何か感じる?

清水:間違いなく知識は増えました。野球中継もよく見るんですが、解説などが「自分の感覚になかったもの」だったりするんです。見ることで勉強になりますね。仁志さんは?

仁志:解説の仕事だけではなく、キャンプを見に行ったり、グラウンドで「どんな練習をしているのか」は勉強になった。特にコーチの話は面白い。あとはメジャー中継も学ぶことが多い。野球の流行はアメリカからきているしね。日本のプロ野球界が取り入れる前に分かることがある。技術面もいろいろな人にメジャー式の話や考え方を聞くと勉強になる。守備などもメジャーの選手を見ていると「そういう体の使い方か」など、新しい発見があったし。実際に、若手のキャンプにコーチ的な形で2週間程度入れてもらった経験もあって、アメリカのマイナーの若い選手を間近で見られたのもよかったかな。

清水:引退後のほうが、いろいろな情報が入るチャンスがありますよね。僕はセ・リーグでプレーしているとき「スイングの形を気にしてリキまず打つ」のが正しいと思っていたんです。ところが、パ・リーグの選手は「とにかく振り切る」。それを見て「強く振ることの必要性」を、あらためて感じました。

仁志:引退直後は自分の野球観を正しいと思っているけど、時間の経過と一緒に揺らぐよね(笑)。いろいろな人に会うことで「バッティング理論が全然違う」みたいな(笑)。

清水:打つタイミングや球をとらえるポイントなどは、人により違いますから「絶対に正しいこと」はないですよね。結局、指導者は「いろいろな知識を備えて提供できるか」が重要だと思います。お互い、そういう部分を意識していきたいですね。

▼仁志敏久/にし・としひさ

1971年10月4日生まれ、茨城県出身。読売ジャイアンツなどで内野手として活躍。来年、横浜DeNAベイスターズの二軍監督に

▼清水隆行/しみず・たかゆき

1973年10月23日生まれ、東京都出身。読売ジャイアンツなどで外野手として活躍。現在は野球解説などを行う

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