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アイドルではなく、いちファンとして。SKE48日高優月がドラゴンズ愛を発信する理由【PR】

スポーツ界を支えているのは、ファンを始めとした「支える人々」の熱量と言っても過言ではありません。本企画「スポーツを支える人々の“熱意”の裏側 powered by HEAT-X」では、愛するチームや選手を支える人たちのエピソードを発信します。

第1回は名古屋・栄を拠点に活動するSKE48のメンバー、日高優月さん。彼女のライフワークは、中日ドラゴンズを応援すること。アイドルとしてナゴヤドーム(2021年よりバンテリンドーム ナゴヤへ名称変更。本項では当時の呼称である「ナゴヤドーム」で統一)の始球式やドラゴンズ関連の野球番組に登場するだけでなく、個人でドラゴンズ愛を語るYouTubeチャンネルも開設しました。

「ドラゴンズファンを増やしたい」という日高さんの熱い思いのワケとは?

父からの“英才教育”で育ったドラゴンズ愛

私は愛知県出身で、父は大のドラゴンズファンでした。そのため幼少期から父の“英才教育”を受けてきました。「青い帽子のチームが、優月の好きなチームなんだよ」と教えられて、物心ついたころにはナゴヤドームで観戦していました。当時は外野スタンドで観戦していて、応援団の方に歌詞カードをもらって、応援歌を歌っていましたね。

特に大好きだったのは当時のエース、川上憲伸投手です。先発した試合はほとんど見ていると思います。小学校から帰って、そのままナゴヤドームに観戦に行く日々でした。その当時、2000年代といえば、チームは落合博満監督のもとで戦い、ずっとAクラス。私にとっては当時の“強いドラゴンズ”こそが本当のドラゴンズの姿なので、2019年シーズンまで7年連続Bクラスだったのは少し寂しかったですし、不思議な気持ちでした。

2007年に日本一になった試合も球場にいました。日本ハムを相手にナゴヤドームで行われた日本シリーズ第5戦を家族で一緒に観戦していて。当時、私はまだ9歳でしたけど、岩瀬さん(仁紀投手)への継投、日本一が決まった瞬間、目の前での胴上げ、球場に投げ入れられる紙テープ……今でも全てを鮮明に覚えているんです。

選手からも好評の野球モノマネ、本人の前でも…

14歳の時に、現在所属するSKE48のオーディションに合格しました。グループはメンバーが多く、その中で目立つには個性が必要です。そのとき「自分に無理なく出来て、みんなに勝てる自分の個性ってなんだろう?」と考えたら、やっぱり野球しかないなと思ったんです。

他のメンバーには野球が好きな人もいるけれど、好きな気持ちでは絶対に負けない自信があったので、自分の“好き”を追求し、発信しようと思いました。

まずは私が野球を好きであることを知ってもらわなければと思い、野球モノマネを始めました。本当は恥ずかしいからやりたくなかったんですけど……(笑)。動画でいろんな選手のモノマネをしているうちに、ドラゴンズファンとして認識してくださる方が増えていったんです。ファンだけでなく、選手にも見てもらえたようで「野球モノマネをしている子」として覚えてくれているみたいです。

平田良介選手、高橋周平選手、キンブレル選手……といろんな選手の真似をします。福田永将選手には、数年前に目の前でモノマネを見てもらったことがありました! 本人のご公認がほしかったのですが、「ここが違う」と直々に細かいところまで指導してもらう結果になりました(笑)。 だから、今はもう完璧です!野球モノマネだけでなく、生活の中心がドラゴンズになるほどのめり込みました。

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